メイド
ディナーは豪勢だった。
レンジであたためたつやつやのライスに、よく味の染みた缶詰の鶏肉、煮魚、おでん、それにみずみずしいフルーツポンチ。水は飲み放題。舌もおなかも、信じられないくらい満たされた。
落ち武者が、だんだんイケメンに見えてきたくらい。
「うぅ、わしゃどうやって恩を返せばええんじゃ……」
嘉代ちゃんは泣きそうになっている。
もしマリオネット氏が手を出して来たら、容赦なく切り裂いてやろうとは思ってる。けれども、これだけの食事をもらってしまった以上、なにもせずただ滞在しているのも落ち着かなかった。
神経の図太いイトたんはまったく気にしてないようだったけど。
「足りなければまだあるが?」
彼は得意顔だった。
実際、そういう顔をする権利はあるだろう。
イトたんがさらに欲しがりそうだったので、私は先に返事をした。
「もういいわ。ごちそうさま。とても素晴らしいディナーだった。感謝します」
「ならしばらく滞在するといい。俺は寛容な男だからな」
「ええ。しばらくご厄介になるわね」
まだ食べたそうなイトたんをなだめて、私は立ち上がった。
*
アリスが私たちの部屋を用意してくれた。
ベッドは二つしかなかったけれど、そこにはふかふかの布団が敷かれていた。
「わしゃ下っ端じゃけぇ、床で寝るわ。ベッドは姉さんらで使ってつかぁさい」
嘉代ちゃんはコンクリートの床に座ってしまった。
スカートが短いのに、構わずあぐらだ。
「待って。そんなことしなくていいから。誰かが二人で寝ればいいだけだし」
「ええんか? なら、わしゃ命令に従うけぇ」
謙虚というのかなんというのか。
イトたんは「うーん」と考え込んでいた。
「エルたんは一人で寝たほうがよくない? いつ人格入れ替わるか分からないし」
「たしかに、アイに変わったら面倒ね……」
もし一緒の布団に少女が寝ていたら、きっと妙な気を起こすに違いない。それに、最近ではアイだけでなく、ウサギまで出しゃばってきている。ほかにもいろいろ出てくるかもしれない。私は自分で自分を信用できない。
「なら決まりね。エルたんは一人で寝て。あたしと嘉代ちゃんで一緒に寝るから」
理解してくれる仲間がいると助かる。
このところアイは出てきていないけど。自分でも制御し切れないし、いつなにが起きるかは予想もつかない。
嘉代ちゃんやマリオネット氏にもきちんと説明しておかなくては。
*
それから私たちは暇つぶしのお喋りをした。
出てくるのは「お米おいしい」とか「鶏肉おいしい」とか、さっき食べたものの感想ばかり。それくらい私たちは満たされていた。嘉代ちゃんも渋柿をもてあましている。
けれども、楽しい雰囲気は長く続かなかった。
廊下から怪しい声が聞こえてきたせいだ。
どんな声かというと……。おもにアリスの声だ。あとはマリオネット氏の声も。とても言えないような行為をしている様子だった。
「……」
私たちは、誰からともなく黙り込んでしまった。
ドアを隔てたすぐそこで、きっと二人が体をまさぐりあっている。男同士で。短いスカートのアリスを、マリオネット氏がいたぶっているのだ。
女の子みたいな声。
イトたんが疲れ切ったネコみたいな顔になり、嘉代ちゃんは異様にキョロキョロし始めた。
私は……。私は最年長だし、大人なのだから、ちょっと余裕のあるところを見せないといけない。なのに、なにも言葉が出て来なくて、ただ状況を見守ることしかできなかった。
マリオネット氏は、わざと廊下でそれをしているのだろう。
私たちに聞かせるために。
あまりに歪んでいる。
いくら食事をもらうためとはいえ、これから毎日この声を聞かされるのかと思うと、力が抜けてきた。
イトたんがやれやれといった様子で立ち上がった。
かと思うとドアへ近づき、コンコンとノックした。
「お楽しみのところ悪いんだけどさー、そーゆーのはよそでやってよね! あたしら純粋無垢な乙女なんだから!」
最年長の私よりしっかりしている。
私はいろんな意味で恥ずかしくなってきた。
廊下からの返事はこうだ。
「お楽しみ? 俺が俺の家でなにをしようと勝手だろう? それに、見てもいないのに勝手なことを言うじゃないか。なにをやめて欲しいのかハッキリ言え」
もし世界が壊れていなければ、きっとなんらかの法律に触れていたはずだ。国がなくなったのをいいことに、マリオネット氏は好き放題している。
けれども、イトたんも負けていない。
「あー、そーゆーこと言うんだ? だったらいいよ。毎日あんたの部屋の前でうんこしてやるから! 毎日よ? 決まった時間にね! それがあたしの特技だから! もしイヤなら、あたしの言うこと聞いたほうがいいんじゃない?」
「な、なんてガキだ……」
「お返事は? 内容によっては、二度とドアが開かないようにもできるけど?」
「分かった分かった。静かにするよ。だから、それだけはヤメてくれ」
圧倒的かつ力強い交渉術だ。
イトたんだったら本当にやりそうだから、説得力が桁違いだ。
私にはマネできない。
嘉代ちゃんも感動している。
「姉さん、とんでもない女じゃの。尊敬するわ」
「そうでしょそうでしょ。嘉代ちゃんも、悪い男にはガツンとカマしてやんないとダメだかだんね」
「ただの食いしん坊だと思っとってすまんかったの」
「それは言わなくていいから! 心の中に秘めておいて!」
嘉代ちゃんは素直な子だ。
*
しわにならないよう、メイド服を脱いで寝た。
ぽかぽかした布団。風だって吹き込んでこない。こんな環境で寝るのは本当に久しぶりだった。たぶん地下シェルターのとき以来。
夢を見たような気もするけれど、記憶に残らなかった。
それくらい熟睡できた。
男の部屋で朝食をいただいた。
缶詰のパン、ジャム、紅茶。
アリスが給仕した。
「マリオネットさん、お願いがあるの」
食事の終わり際、私はそう切り出した。
「なんだ?」
「アリスと一緒に、私もメイドとして働きたいの。その代わり、二人の服を返してあげて」
「殊勝だな。ま、いいだろう。許可する。アリス、あとで服を返してやれ」
するとアリスは「かしこまりました」と頭をさげた。
この変態にかしずくのはシャクだが、仕方がない。
嘉代ちゃんがなにか言いたそうだったけれど、ここは私の顔を立ててもらうことにした。
食事が終わったので、私も一緒に食器を下げた。
すると嘉代ちゃんも手伝ってきた。
「わしもやる」
「やめて。私だけでいいから。彼の目当ては私だけよ。嘉代ちゃんは普通にしてて」
「なんでそんなこと言うんじゃ。寂しいじゃろ」
「いいの。これは命令だよ」
「ぐぅ……」
男はこのやり取りを愉快そうに眺めている。
私は大人だけど、嘉代ちゃんもイトたんもまだ大人じゃない。精神年齢はともかくとして。
たぶんまだ中学生なのに、こんなに恥ずかしいカッコをさせるなんて。
*
キッチンでアリスと一緒に食器を洗った。
清潔なステンレスの流し台があった。
「洗剤はこれを使ってください。でも在庫が心配なんで、なるべく節約してくださいね」
「うん」
女の子みたいな顔をしている。
笑顔もかわいい。
けれども、弟を思い出して少しイラっとしないこともない。
「水はどこから引いてるの?」
「リサイクルです。あとは雨水を浄水したりとか」
「電気は?」
「いろいろです。風力とソーラーだったかな……」
本当に核戦争に備えていたらしい。
でもこの世界を壊したのは「核戦争」なんかではなく「救済」だった。
「アリスはいつからここにいるの?」
「最近です。外を歩いてたら拾ってもらって」
「ドローンが来たのね?」
「はい。でもご主人さまは、最初僕を女だと思ってたみたいで……」
聞いているとイライラする。
弟が変態の食い物にされている気がして。
でも、あの男はなにも強制していない。私たちが自分の判断で残っているだけだ。彼を責めることはできないだろう。
「ひどいことされてない?」
「あ、いえ……」
顔を赤くしてうつむいてしまった。
昨日のようなことは、いつもあることなんだろうか。
たぶん合意の上なんだろうけれど。
紫外線で布団を干してから、洗濯をした。
数は多くないから、さほどの重労働ではない。
作業を終えた私は、部屋へは戻らず、男の部屋に入った。
「失礼するわ」
「入れ。なんの用だ?」
モニターを眺めていたマリオネット氏は、キザったらしく椅子を回転させてこちらを向いた。
私は自分がメイドである自覚はあったが、構わずソファへ腰をおろした。
「話しておきたいことがあるの」
「結論から言え」
いちいち偉そう。
ならご希望通り結論から言ってやろう。
「私、二重人格なの。もしかすると三重かも」
「は?」
「たまに弟のアイと入れ替わるけど、気にしないで。一人称が『僕』になるくらいだし」
「PTSDか?」
「なに?」
四文字熟語はあまり詳しくない。英語ならなおさら。
「なにかトラウマでも抱えているのか?」
「そうよ。でも説明する気はないから」
「ふん。俺に害がないならなんでもいい」
さらっと流された。
この人、意外と大物なのかも。
「そのモニター、なにを見てるの?」
「世界だ」
「インターネット?」
「違う。気象衛星をハッキングして地上の様子を観察している。見ろ。アメリカもロシアも、ヨーロッパもアフリカも、中国もインドも、どこも全滅だ。大破壊を免れた国はひとつもない」
大破壊――。
その正体が救済だと知ったら、この男はどんな顔をするだろう。
彼はゴキゴキと首を鳴らし、こう言葉を続けた。
「だが、地下だけは例外だ。今回の災害が破壊したのは、おもに地上だけだ。人のなせる業ではない」
「魔女の仕業だって噂もあるけど」
「以前の俺なら、非科学的だと笑い飛ばしていたところだな。だが、いまやそう考えるほかないようだ」
私にはなにも分からない。
弟が怪物を呼び出して、この世界を壊した。いま言えるのはそれだけだ。
「作業の邪魔したわね」
「いつでも来てくれ。なにせここは退屈だからな」
そう。
退屈だ。
寝て起きて食べるだけ。
これだって贅沢なことなのに。
人はなにかに満たされると、代わりに他の感覚が満たされなくなってしまうのかもしれない。得れば得るほど物足りなくなる。
*
部屋に戻ると、二人は楽しそうにお喋りしていた。剣術の話題だったけれど。
それに、まだメイド服を着ている。
「あれ? 着替えは? まだもらってないの?」
いや、そんなことはない。部屋の隅にたたまれている。
イトたんが肩をすくめた。
「エルたんが頑張ってるのに、私たちだけ助かるなんてできないよ」
「そこは気にしないでよ。私が自分で選んだことなんだから」
特にイトたんは足がむちむちだから、見ていると変な気分になる。女同士なのに。嘉代ちゃんは寒そうだし。
「わしも姉さんに任せっ放しはイヤじゃ。わしも働くけぇ」
「ダメだよ。あいつ、私たちがこの格好でチラチラ見せてるのを楽しんでるんだから」
「なんの。減るモンじゃなかろう」
「減るの! そこをあまく見てると、あとで取り返しのつかないことになるんだから」
「なにが減るんじゃ?」
「心よ。一度すり減ったら、もとには戻らないの。お願いだから、嘉代ちゃんはもとの服に着替えて。イトたんも」
するとまったく意味不明なことに――本当に意味不明なんだけど、イトたんにスカートをめくられた。
かわいい悲鳴など出なかった。
「ぐっ……。イトたん、説明して。女同士でもセクハラになるからね」
彼女はふてぶてしいぶちゃネコ顔だ。
「エルたんの心はどうなの? 自分ばっかカッコつけちゃってさ」
「そういう言い方……」
「あたしはエルたんの心がすり減るのもイヤなの。特にエルたんは不安定なんだから、もう少し自分を大事にしてよ」
「でも、鈴木さんは頑張ってたから」
そう。
ずっと心にひっかかってた。
すーちゃんもこういう格好で働いて、ご飯を食べているのだ。彼女に比べれば、勝手に体を触られないだけマシだろう。
イトたんは溜め息だ。
「そんなことだろうと思った。でもエルたん、またワガママ言ってるよ。あたしらもやるって言ってんのに、ぜんぜん聞かないんだもん」
「ワガママ……」
「絶交されたくなかったら、あたしらの言うことも聞いてよ。仲間ってそういうもんよ? ひとりよがりの自己犠牲なんて、鬱陶しいだけ」
「……」
言われてイヤな気分じゃなかった。
いままで、こういうことを言ってくれる友人さえいなかったのだ。
鈴木さんがちょっと言ってくれたくらい。
「イトたん、ごめん。嘉代ちゃんも。私、また失敗するところだった。こうしたほうがいいって思ったら、つい……」
イトたんは人懐こい笑みを見せてくれた。
「んー、成長したねぇ。偉いぞ、エルたん。それでこそ仲間だよ。みんなで協力して頑張ろ!」
「うん」
水も食料も大事だけれど、仲間というのも同じくらい大事なのかもしれない。
そして私は、それらすべてを得ている。
これまでの人生で、いまがいちばん満たされているのかもしれない。
(続く)