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Double ~未必の終末論 必然性の否定かつ不可能性の否定~  作者: 不覚たん
本編

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16/35

バニラ

 ぼんやりとしていたら、いつの間にか朝になっていた。

 いや、これでも眠っていたのかもしれない。

 自分が眠っているのか起きているのかさえ曖昧だった。

 頭がぼんやりしているせいだ。

 もう「寒い」とか「痛い」とか「おなかすいた」とか個々の感覚を通り越して、まんべんなく衰弱している。

 焚き火はとっくに消えている。

 イトたんの体温がなかったら凍死していただろう。


 浜辺に、煙のあがっているのが見えた。

 誰かが火をおこしているらしい。

 私はイトたんを起こした。

「なぁに?」

「あそこ。煙がある。誰かいるよ。ご飯もらお?」

「うん」

 余裕のある人間なんていない。

 だからご飯くださいといって、くれる人なんていないだろう。

 それが分かっていて、私は止まれなかった。


 地元の漁師だろうか。

 男性が五名ほど、火を囲んで魚を焼いていた。

「なんだ姉ちゃん。フラフラじゃねーか」

 こんな状況なのに、みんなガッシリしている。きっと魚をたくさん食べているのだろう。

 私はなんとか声を絞り出した。

「あの、少し……食べ物を……」

 ここまで追い詰められても、まだプライドが邪魔をした。

 奪おうと思えばいくらでも奪える。だからお願いなんてしたくない。だけど、それではダメだということを知っている。

 男は笑顔を見せた。

「いいぜ」

「ホントに?」

「ああ。けど、タダってわけにはいかねぇなぁ」

 ニヤニヤしている。

 やっぱりこうなるのか……。

 私はいちおう、こう応じた。

「お金はないの」

「じゃあ体で払ってもらうしかないな」

「あの……たとえば?」

「簡単だよ。ヤらしてくれりゃいい。べつに減るもんじゃねーしいいだろ?」

「……」

 けれども心はすり減る。

 そして戻らない。

 そんなことも分からないとは。

 ただ、彼らの言い分も理解できなくはない。この魚は、彼らの労働によって得られたものだ。そして私たちは、タダでありつこうとしている。ムシのいい話だ。

「じゃあいらない」

 私は断って、その場を通り過ぎた。

 イトたんも黙ってついてきてくれた。

 男たちは「なんだアレ」などと悪態をついている。けれども、追いかけて乱暴しようとまではしてこない。

 このまま別れた方がいい。


 *


 浜辺を歩いていると、ぎょっとするものに出くわした。

 海岸に、折りたたまれた黒のセーラー服があったのだ。上には護身用と思われる刀も置かれていた。

 私はイトたんと顔を見合わせた。

 この世界で生きる気力をなくして、海に入ってしまったのだろうか。服の感じからすると、きっと中学生だろう。多感な時期だ。


 この子も、きっとあのクジラのように、誰にも知られず命を断ったのだろう。

 イトたんが手を合わせたので、私もそれにならった。

 生きていればいいことあるよ、なんて、無責任に言える気分ではなかったけれど。でも世界がこんなことにならなければ、きっと絶望することもなかったはずだ。

 誰であろうとこの世界を壊すべきではなかったのだ。本当に壊してしまったら、傷つく人たちもいる。力の代償は大きい。


「そらわしの服じゃ。とらんでな?」

 いきなり海から、素っ裸の少女があがってきた。

 オカッパ頭で、痩せこけた体をしている。イトたんよりも背が低い。

「なんじゃオドレら? 人んこと拝みよってからに。まだ死んどらんぞ」

 頭をぶんぶんして水を切った。

 その冷たい飛沫がこちらへも飛んできた。

「無視すんなや」

 返事ができなかった。

 彼女は手で体の水を落とすと、ぶるっと震えてから服を拾い上げた。

「のぅ。オドレら、食いモンもっとらんか? ちぃとも魚とれんくての。死んだクジラ食ったら下痢もゲロも止まらんようなるし、さんざんじゃ。このままじゃ、わしゃオダブツじゃけぇ」

「ごめん。なにもないの。私たちも、朝からなにも食べてなくて」

「お互い難儀じゃのぅ」

「あそこの漁師さんからもらえればよかったんだけど……」

「ありゃダメじゃ。人んケツ触りよる。もうちっとでぶった斬るところじゃった」

 この子も剣術をやっているのだろうか。

 少女が生き延びるには、戦う技術が必要ということなのかもしれない。


 *


 寒そうにしていたので、焚き火をおこした。

「わしゃ大谷嘉代じゃ。よろしゅうに」

 大人になったら美人になりそうな顔だけれど、とにかく目つきの悪い少女だった。

 言葉遣いも少し怖い。

 怒っているのではないと思うけど。

「ご飯も分けられたらよかったんだけど」

「ええんじゃ。そんなお人好し、いるほうがびっくりじゃけぇ」

 それは私も同感だ。

 他人に食事を分け与えるなんて……。

 でも、もし世界がそうであったら、どんなによかったろう。条件付きではあったけれど、世田谷の人たちはあたたかかったかもしれない。人が人らしくあるためには、やはり文明がなければ。

 私は話題を変えた。

「ところで、あのクジラ食べたの?」

「ちぃとだけじゃ。やっぱ生がよくなかったんかのぅ」

「ちゃんと火を通したほうがいいと思う」

「火なんか、こんな簡単につかんわ。そっちの姉さんはすごいの。その道のプロなんか?」

 たぶんプロだと思う。

 なのにイトたんは曖昧な表情だ。

「プロじゃないよ。ただ得意なだけ」

 喋りながらも、ずっと腹を鳴らしている。

 あんまり凄そうに見えない。

 なのに嘉代ちゃんは、鋭い眼光をさらに鋭くしている。

「いーや、プロじゃな。身のこなしが違う。わしゃ騙されんぞ」

「もー、考えすぎだって! こんなのカッコだけだから!」

「その刀は? どこの流派じゃ?」

「いちおう伊藤流……」

「一刀流か!?」

「違う違う。無関係な伊藤。家が道場だから、名字を名乗ってるだけ。ぜんぜん有名じゃないよ」

「そうか……」

 日本には、こんな武士みたいな少女がいっぱいいるんだろうか?

 地上のことはよく分からない。

 嘉代ちゃんは溜め息をついた。

「じつをいうと、わしも似たようなもんなんじゃ。オジキが道場やっとっての。大谷流なんて名乗っとる。で、大会に出よう思って東京来たら、こんなことになってしもうてのぅ……。電車も止まっとるし、しゃあないけぇ、歩いて帰る途中じゃったんじゃ。ところで正露丸もっとらんか? また下痢が来そうじゃ」

 身体能力だけでこの状況を生き延びてきたようだ。

 私はリュックから水と薬を分けてあげた。

「正露丸じゃないけど、抗生物質ならあるよ」

「なんでもええ。この借りは必ず返すけぇ」

「気にしないで」


 それにしても、海から吹き付けてくる風が冷たすぎる。

 南へ来れば寒さもマシになるかと思ったのに、アテは外れたみたいだ。防寒着がないと野宿も厳しい。


 食べ物だって、なんとかしないと。

 お金があれば買うことができるんだろうか。

 どうやって手に入れるんだろう。

 やっぱりレストランでアルバイトするしかないのか……。


 *


 一緒に来たいというので、嘉代ちゃんと三人で砂浜を進んだ。

 道路は乗り捨てられた自動車でいっぱい。とても歩けるスペースはない。

 だけど、急にひらめいた。

「ねえ、もしかしたら車の中に、食べられるものあるんじゃない?」

「……」

 ふたりが目を見開いた。

 かと思うと、信じられないスピードで車道のほうへ駆けあがっていった。まだ体力があったんだろうか。それとも燃え尽きる前の花火みたいなものか。

 私が追いついたときには、もう瓦礫で窓ガラスを破壊しているところだった。ずいぶんアグレッシブだ。

「カップ麺じゃ!」

 買い物帰りの車だろうか。

 人の気配はない。

 生モノは腐敗するどころかすでに干物になっていたが、包装された保存食は無事だった。

 私たちは袋を開けると、かたいまま齧った。なんでもいいからとにかくおなかに入れたかった。噛んでいると甘味が出た。

 水も飲んだ。


 むかしは蛇口をひねれば水が出た。言えば食事も出てきた。スイッチを入れれば明かりがついた。

 なのに、いまは、そのどれもない。

 こうして誰かのものをあさらないと生きていけない。


 私たちは砂浜へ続く階段に腰をおろし、食後の余韻にひたっていた。

 日は高い。

 穏やかな波の音。

 そしてイトたんの腹の音。嘉代ちゃんのおなかもギュルギュルと鳴っている。

「下痢、まだ止まらない?」

「いや、たぶん平気じゃ。出したらもったいないけぇのぅ」

 本当にもったいない。

 もっと探さなくっちゃ。


 魚が食べたい。

 油がのってて、焼きたてであつあつの魚が……。

 でも、あのおじさんたちに体を許す気にはなれない。そんなことをするくらいなら、魔法の力で奪ってやる。でも、それもしたくない。

 なんとかして自分たちで食べ物を手に入れるのだ。

 そうでなければ、これまで忌み嫌って殺してきた連中と同じレベルになってしまう。


 *


 ぼうっと考え事をしていた私は、いつの間にか道路の真ん中に立っていた。

 となりには、裂けた空を見上げるアイ。

 地面にはウサギ。

 私は衝動を抑えきれず、突発的にウサギの顔面を蹴りつけた。ぬいぐるみがアスファルトの上を転がってゆく。

「ひどいよエルちゃん!」

「あなたがムカつく顔してるからよ。それより、いくつか質問があるの」

「教えなぁい」

 ウサギはわちゃわちゃしながら起き上がった。頭が重たそうだ。

 私は蹴り飛ばしたいのを我慢しつつ、こう尋ねた。

「どういうつもり? あなたは私に寄生してるオマケみたいなものなんだから、質問に答える義務があるでしょ?」

「ないよ。だって私、エルちゃんのこと嫌いだもん」

「私も嫌いよ」

「じゃ、もうお話はおしまいだね。そのまま永遠に混乱してて」

「……」


 混乱してる?

 そう。

 私はずっと混乱している。

 このウサギは、私の知らないことまで知っている。正確には、私が思い出したくなくて封印した記憶を持っている。


「ウサギ、私はあなたのご主人サマよ? 命令に従いなさい」

 するとウサギは、振り子のように左右に揺れた。

「えー? なにそれー? ご主人サマなの? お友達じゃなかった?」

「勘違いしないで。あなたみたいな綿のかたまりが、私の友達になれるわけないでしょ?」

「でもエルちゃん、毎日泣きながら私に言ってたよね? あなただけが友達なの、私のこと嫌いにならないでー、って」

「やめてよ……」


 余計なことを言うものだから、当時の記憶が急によみがえってきた。

 私は「ママ」にお願いして、このぬいぐるみをプレゼントしてもらった。

 飛び跳ねるほど嬉しかった。

 毎晩ベッドで一緒に寝た。あのときは、すべてが満たされた気がした。ほかになにもいらないんだと思った。


 ウサギは黒い目で、じっとこちらを見つめていた。

「私の名前、思い出せたら質問に答えてあげる」

「名前……」

「まさか忘れてないよね? だって、たったひとりの友達だもんね?」

「……」


 どうしても思い出せなかった。

 色は白い。だからシロかもしれない。ユキかもしれない。ウサコか。ピョンちゃんか。どれも違う気がする。


 ウサギはキャハキャハ笑っている。

「苦しんでる苦しんでる! たーのしー! もっと苦しんで! 私、あなたが苦しんでるのもっと見たいの!」

 ひどいセリフだ。

 けど、思い出した。

 私はいつの頃からか、このぬいぐるみをいじめるようになっていた。いま言われたのは、そのとき私が吐いた言葉だ。

 興奮していた私は、耳まで引きちぎってしまった。

 とってもかわいくて、不安なんてひとつもなさそうなウサギ。たくさん話しかけても、ちっともお返事してくれない。そんなウサギに、当時の私はだんだん憎しみをつのらせていた。

 名前も、そのとき忘れたんだと思う。


「ごめんね、バニラ。本当にごめん。耳、痛かったよね?」

「痛くないよ。綿だもん。キャハハ!」

 この子がこんな性格になってしまったのは、きっと私のせいだ。

 ぎゅっと抱きしめると、むかしの気持ちが湧きあがってきた。本当に幸せな気持ち。私だけの友達。

「エルちゃん、なにが知りたいの?」

「なんでもよ。私が忘れてることぜんぶ」

「もう思い出してるんじゃない?」

「分からない。まだなにか欠けてる気がするの。思い出すの手伝ってくれない?」

「いいよ。私たち、友達だもんね」

 私を許してくれたのだろうか?

 分からない。

 この際、ウソでもいい。

 ウサギが私にひどいことを言わないなら、なんでも。


「ね、バニラ。消えた人間たちはどこに行ったの?」

「どこって?」

「だって、死体もなかったんだよ? どこかに消えたんだよね?」

 大量の人間が一瞬で消え去った。

 でも、本当にそれだけ? どこかへ行ったのではないの?

 するとウサギは、身を震わせて笑った。

「ねえ、エルちゃん。天国ってどこにあるか知ってる?」

「えっ?」

「上だよ。あの裂け目の中。みんなもそこにいるんだ」

「ウソでしょ……」

 まさか、怪物の餌にされたとでも言うのだろうか?

 それとも、あそこで生きてる?

 ウサギは愉快そうだ。

「ウソじゃないよ。みんなドロドロに溶け合って、ひとつになってるの。とっても満たされた気持ち」

「でも、あそこには怪物が……」

「ひどいなぁ、エルちゃん。怪物だなんて。そんなふうに言ったら、あの子きっと哀しむよ」

「じゃあなんなの?」

「私からは言えないよ。エルちゃんが自分で考えて」

 答えを知っている気がする。

 なのに、記憶が、届きそうで届かない。

 私は思わず頭を抱えた。

「あれは悪い存在なの?」

「エルちゃん、それは愚かな質問だよ。なにがよくて、なにが悪いかなんて、人によってバラバラだもの」

「混乱させないでよ。あれは光の力なんだよね? だったらいい存在のはずでしょ?」

「みんなを救済したのは確かだね」

「でも、救済されなかった人たちもいる。なんで取り残されたの?」

 するとウサギは、ピタリと動きを止めた。

「知りたい?」

「知りたいよ。もったいぶらないで。なにか重大な秘密でもあるの?」

「ううん。秘密なんてないよ。残された人たちは、救済されなかったわけじゃないの。自分たちの意思で残っただけ」

「なんで?」

「満たされるのが怖かったから。あなたもだよ、エルちゃん」

「私が……?」


 本当に?

 組織の人たちは、ひとりも消えていなかった。

 あれだけ救済を待ち望んでいたのに。

 私も同じだというの?

 でも、ウサギがウソをついているとは思えなかった。彼女はちゃんと知っているから。ううん。私がちゃんと知っているから。

 なぜなら、あの怪物から直接聞いたことがあるからだ。

 その記憶を、私は自分で封じていた。


(続く)

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