泣いちゃった
日暮れ前に、なんとか寝泊まりできそうな場所に到着できた。
屋根のない、三方を囲まれてるだけの袋小路だけれど。
なぜ人は、こんな逃げ場のない袋小路を好むんだろう。敵の襲ってくる経路が分かるからだろうか。メリットとデメリットのバランスがよく分からない。
私はイトたんに寄りかかっていた。
「ね、これからはイトたんて呼んでいい?」
「うん、いいよ」
最初はバカバカしいと思った。
なのに、あまりに寂しくって、その気持ちを埋めようとして、私はあまったれの子供みたいになっていた。
「イトたん、私、どこを直したらいいと思う?」
「急に反省?」
「だって、みんな私を嫌いになるから……。私ってワガママ?」
怖かったけれど、率直に尋ねてみることにした。
友達なんだから、イトたんは優しく応じてくれるはずだ。
「あー、これはねー、あたし史上最高レベルのワガママだね。てか傲慢? 自分のこと特別だと思ってんだろーなー、って思うときある。てか毎日ある。いや毎秒ある」
「ふぇぇ……」
自分でも、なにが「ふぇぇ」だ、とは思うけれど、我慢しきれず声が漏れてしまったのだから仕方ない。
優しいどころか、何倍にもなって帰ってきてしまったのだ。
弱音も出る。
「でもさー、完璧な人間なんていないんだよ。人間、誰しも欠点ってあるわけでしょ? そこをどう見せるか、だよね」
「イトたんはどうしてるの?」
「もう出しちゃうね。隠しててもバレちゃうからさ。自分を完璧に見せようとすると、現実と理想の落差で大変なことになるじゃん? だからダメなとこはダメで認める。その上で、自分で抱え込まないで、相手にゆだねる。で、欠点は欠点として認めて、その他の長所でカバーすんの。これで完璧よ」
「欠点あったら完璧じゃないでしょ……」
少し理屈っぽいところがあるのは自覚している。
ただ、聞かずにはいられなかった。
イトたんもさすがに苦い表情をしている。
「完璧は言い過ぎたけどさ。たとえば、友達が遊びに来てるときに、ガチガチに鍵かけてたら遊べないでしょ? だから開けとくのよ。フルオープンよ」
「イトたんがオナラするのもフルオープンだからなの?」
「いや、あれはただの生命活動だけど」
イトたんは出し過ぎだと思う。
ときどきとんでもなくウザくなる。
でも嫌いになれない。
きっと出入り自由だからだ。私はすぐに寄り付きたくなる。そして私は鍵をかけているから、誰も入ってこられない。
イトたんは私の頭をなでてくれた。
「昼間のこと、気にしてるんでしょ?」
「うん。鈴木さん、小学校の友達だったんだ。仲良しだった。でも、嫌われちゃった。私が自分のことしか考えてなかったから……」
すると彼女は、少し笑った。
「なにがおかしいの?」
「ごめんごめん。でも違うよ。あの人、エルたんのこと嫌ってないと思う」
「嫌ってるよ」
「嫌ってないよ。だって、そうじゃなかったらあんな情報教えてくれないでしょ?」
「そうかな……」
「ま、もしかしたらわりと嫌ってるかもしれないけどさ。でも何割かは、優しくしたいって思ってるはずだよ。なにがあったかは知らないけど」
「……」
もしそうなら、また友達に戻れるかもしれない。
鈴木さんに嫌われたことは、ずっと心に引っかかったままだった。
ともあれ、そのときはあそこから連れ出さないといけない。暴力で街を破壊するのではダメだ。どこかでたくさんのお金を手に入れて、鈴木さんの借金を支払わないと。
「イトたん。私が嫌われなくなるためには、どうしたらいいと思う?」
「それはたぶん簡単。魔法が使えないと思って生きてみたら? 力があるから、ムカついたときに『やっちゃえ』って思っちゃうんだと思うよ」
「でも、それだとたぶん、なにもできなくなっちゃう」
「玉田さんみたいにやればいいんだよ。卑屈に見えたかもしれないけど、あの人、あれで結構うまいことやってたと思うんだよね」
じつは私もそう思ってた。
悪いヤツは切り裂けばいい。それが私の考えだ。いまでも、それでしか乗り切れない局面はあったと思う。
ただ、玉田さんはそれ以外の道を模索していた。あの人だって銃を持っていたのだから、敵を見た瞬間に撃つという選択肢もあったはずなのだ。
世田谷に入ったとき、もし玉田さんがいなければ、私は防衛隊の人たちを殺していたと思う。そうなると彼らの仲間も集まってくるから、最終的に全員を殺していたはずだ。世田谷共和国は滅亡。私たちもお醤油をもらえなくなる。
「なんか、少しだけど、ヒントが見つかったような気がする……」
「ちょっとずつでいいんだよ。あたし、いまのエルたんも好きだし」
「ホントに? こんなにワガママなのに?」
でも実際、イトたんは私たちについてきた。
ラジオを盗んだ泥棒だったのに。
彼女の答えはこうだ。
「世界がこんなことになってからさ、あたし、いろんな人たちを見たんだ。普通だった人たちが、急に殺伐とし始めて……。人のモノ、平気で奪ってくの。もちろん返してなんてくれないよ。みんな豹変しちゃったから」
「うん」
「でもエルたんと会ったとき、あたし、直感したの。この子たち、きっと前と変わってないんだろうなって。なんていうか、心の中に大事なものがあって、それを捨ててないなって。だから信用したんだ」
言われてみればそうかもしれない。
私は以前のまんまだ。成長していないとも言うけれど。玉田さんも、世界が荒れ果てる前の人という感じだった。
銃で武装していたのに、ちゃんとラジオを返そうとした。
イトたんは遠くを見つめた。
「だからね、変わらないことって、悪いことばっかりじゃないんだよ。もちろん、よくなろうとするなら応援するけどね」
「ありがと。私もイトたんと出会えてよかった。これからも友達でいてね」
「もちろん」
*
その後の旅は順調だった。
気温の寒さと食糧事情を考えなければ、だけど。
海の気配も近づいてきた。
けれども、強烈な腐臭がただよっていた。
もしかすると人間同士が争って、大虐殺でもあったのかもしれない。私たちは警戒しながらも、海へ近づいていった。
初冬の朝日が、海面にキラキラと反射していた。
もしかすると私は、海を見たのは初めてかもしれない。小さいころの遠足で行ったかもしれないけれど、ハッキリとは思い出せなかった。テレビでは何度も見たけれど。
そして腐臭の正体も分かった。
砂浜に、巨大な肉塊が転がっていたのだ。
「クジラだね……」
イトたんがネコみたいに目を細めた。
黒いドロドロ。
裂け目の「向こう側」にいるあいつみたい。
クジラの身体は大きく裂けて、そこから巨大な内臓をまき散らしていた。血液はすでに赤黒くなっている。
そこへ、穏やかな波が優しく寄り添っている。
まるで地球がクジラの死を悼んでいるかのように。
もし世界が滅んでいなければ、そこに誰かが集まっていたかもしれない。話題にして、会話のネタにでもなっていたかもしれない。
けれども、いまは無人だ。
ただクジラが死んでいる。
私たちが通りがからなければ、その事実を知るものは誰もなく、いずれ風化して流されてしまったことだろう。
美しくも哀しい光景だった。
においのせいで感傷も台無しだけれども。
死は美化されることもある。けれども、必ずしも美しくはない。たくさん血が出るし、そのにおいで気分が悪くなる。むせかえるような血のにおいは、鼻の奥にむっと立ち上ってくる。動物としての防衛本能が、それを嫌悪する。心がざわついて仕方なくなる。
イトたんが「行こ」と袖をひっぱってきた。
「さすがにあれは食べられないね」
「うん」
「お母さんの実家、たぶんあっちだから。行ってみよ」
地割れはここまで続いていないはずだから、ようやく西へ行ける。
たぶん江の島なんだと思う。
よそと同様に建物は破壊され、どこも人の住める状態ではなくなっていた。人の気配もほぼ皆無。
「ねえ、イトたんもあの夢、見たんだよね? 世界が滅ぶ直前の……。どんな感じだったの?」
「んー? なんかよく分かんなかったかなぁ。道歩いてるだけだし。みんなどこ行くんだろって思って、それであたし、歩道のほう行って眺めてたんだ。そのうち目が覚めて、こんなことになってたってワケ。イミワカっしょ?」
「いみわか……。ええ、意味が分からないわね」
「あの人たち、みんな死んじゃったのかなぁ」
「でも死体がないよ。どこかに行ったんだと思う」
「どこかって、どこに?」
「分からない」
知っているのは、たぶんあの怪物だけ。
*
浜辺で一泊することにした。
冷たい海風が吹き込んでくるから、別の場所にすればよかったけれど。
海の家の残骸と思われる木々を燃やして焚き火にした。
イトたんがいなかったら、私は火をおこすことさえできない。
「お煎餅、これで最後だね」
私はふたつに割ってイトたんに渡した。
最近、荷物が軽くなったような気がしていたけれど、それは消費しているせいだった。
あとはお醤油と水しかない。
「おなかすいたよぅ」
イトたんはしょぼくれたネコみたいな顔でお煎餅を齧った。
歩いてるときからずっとグーグー鳴っていた。
このままだと死んでしまう。
引き返して、あのクジラの死体でも食べようか。
それとも釣りにでもチャレンジしてみようか。
頭がおかしくなってお醤油を飲み始める前に。
*
私はイトたんと身を寄せ合って眠った。
彼女の体はふかふかだ。
とても安心する。
*
というわけで!
私は世界が破壊された事件に迫ることにしたわ!
まあミステリーなんてひとつもなくて、ぜんぶ分かってるんだけど。
いま私は、例の広い道路に立っている。
となりには空を見上げるアイくん。
そして歩道の縁石には、ぐったりと座り込むエルちゃん。
空の一部は黒く裂けている。
「エルちゃん。お返事して。エルちゃん」
私が声をかけると、エルちゃんは虚ろな目でこっちを見た。
でもすぐに興味をなくして地面を見つめてしまう。
「エルちゃん! 無視しないで! お話ししましょう!」
「うるさい……」
「もう。エルちゃんがそんなだから、私が苦労するんじゃない。ちょっとはこっちのことも考えてよ」
「……」
口を半開きにして、魂が抜けそうなほどの溜め息をついた。
そういえばこの子、私のことが嫌いなんだったわ。
いいけど。
私も嫌ってあげるから。
言われたくないこと言っちゃう。
「アイくんがこの世界を壊したの、エルちゃんのせいなんだよ? なのに、なんで自分は関係ないみたいな顔してるの?」
「……」
返事はなかったけれど、目をこちらへ向けてくれた。
きっと思い出したくない過去。
でも「なかったこと」にはできない。
「エルちゃんがウソついてやらせたんだよね?」
「違う……」
「違わないよ? ふたりの魔法は世界を救うキレイな力だから、魔王が来る前に使ってもいいんだって。そしたらアイくん信じちゃったよね?」
「違う……」
「お空が割れて、黒いドロドロが出て来ちゃった。あれが魔王の正体だったんだね」
「……」
「そしたらママが怒っちゃった。こんなことのためにお前たちを教育してきたんじゃない、なんて。でも、ちょっと言い過ぎだよね」
「……」
「で、アイくんを悪者にしておいて、エルちゃんは光の使者として世界を救ったんだ。なにも殺すことはなかったのにね?」
「しょうがないじゃない……。そうしないと、止まらなかったんだから……」
ぷるぷる震え始めちゃった。
泣いちゃうの?
泣いちゃうの?
でも許さないんだ。
「そしてなんと、エルちゃんは外に出ることができたんだよね。理想的なハッピーエンド! どんな気持ちだった?」
「ちょっと静かにして……」
「どんな気持ち? どんな気持ち? どんな気持ちぃ? ンギモチィィィィィィィィィィィィィ!」
おっとっと。
つい興奮してのけぞっちゃった。
耳がひとつしかないからバランスをとるのが難しいの。エルちゃんにむしり取られちゃったから。ひどいよね。
私が返事を待っていると、顔面に爪先が叩き込まれて、私はポーンと道路に転がされてしまった。でも痛くないの。ぬいぐるみだから。
「もー、すぅーぐ暴力で解決しようとするんだから。エルちゃん、暴力はダメだよ? だからすーちゃんにも嫌われちゃうの」
「すーちゃんは関係ない!」
「きっとイトたんに嫌われるのも時間の問題だよ」
「やめて!」
「誰もエルちゃんを好きにならないんだ。みんなに嫌われちゃうの。分かってるよね? だってこの世界が壊れた原因、エルちゃんなんだもん」
「やめてよ……お願いだから……」
「あはは! 面白い! 泣いちゃった!」
*
涙が出ていた。
自分勝手な感情。
泣くくらいなら、最初からやらなければよかったのに。
(続く)