ビジネスの街
ちょっとした街があった。
遠くから見えた煙は、火災によるものではなく、燃料の使用によるものであったようだ。
バリケードのようなものはなかったが、エリアは柵とロープで囲まれていた。
「通行証は?」
愛想のよくない若者が「入場口」に立っていた。
服はとりわけ立派ではなかったが、汚れてもいなかった。
「持ってないわ。初めてなの」
「その場合は金がかかる。ひとりあたり五十万だ」
「……」
高すぎる。
というより、私たちは一円たりとも所持していない。
若者は威嚇するように顔をしかめた。
「なんだよ? 金がねぇなら失せろ」
「……」
真っ二つに切り裂いてやりたい。
けれども、そんなことはすべきではないのだろう。
私だってこんな偉そうな連中にペコペコするつもりはない。こんなショボい街、素通りしてやる。
「なにか問題ですか?」
別の男が来た。
でっぷりとした腹の、目の細い初老の男性。スーツがはちきれそうだ。
若者はビシッと姿勢を直した。
「あ、副会長! お疲れさまです!」
「お疲れさま。こちらのお客さまが、どうかされたのですか?」
「あー、それがですね、こいつら文無しみたいで」
「しかし荷物を抱えていますよ。商売のために訪れたのかもしれない」
「えっ? あきらかにフリーライダーですよ?」
「まあまあ。フリーパスをお渡ししてやりなさい。三日分ね」
「ええっ!?」
なんだろう。
このふとっちょおじさんは、私たちに恩でも着せようと言うのだろうか。
私はこの街に興味をなくしていたから、いまさら通行を許可してくれたところで嬉しくもなんともない。となりで腹を鳴らしているイトたんは違う意見かもしれないけれど。
若者が不快そうな態度でチケットを渡してきた。
「ほら、フリーパスだ。通っていいぞ」
「っしゃあ! おじさん、ありがと!」
イトたんは素直にはしゃいでいる。
が、私は感謝の言葉を述べるつもりはない。
けれども副会長のおじさんは、「どうぞ楽しんで」と声をかけてきた。
本当に、ただの親切心なんだろうか。
タダより高いものはないと聞いたことがある。入場で金をとるような連中が、計算もナシに他者を受け入れるとは思えない。
少し進むと、かなりの活気が感じられた。
瓦礫はほとんど撤去されており、フリースペースを中心に、屋台や露店などのマーケットが広がっていた。生鮮食品はないが、缶詰やレトルト食品、ブラシ、石鹸、靴、服、電気部品などが売られていた。
フリースペースでは、食事をする人たち、酒盛りをする人たち、読書をする人たち、さまざまだった。
外周には小屋も並んでいた。看板によれば、案内所、ホテル、レストラン、バー、遊技場などであるようだ。
まるでテーマパークだ。入場料を取りたくなる気持ちも分からなくはない。それでも金額がおかしいけれど。
「あー、おなかすいてきちゃったぁ……」
イトたんの腹はずっと鳴りっぱなしだ。
「でもお金なんてないよ」
「分かってるけどぉ……」
屋台からはいいにおいもしている。
お好み焼きを焼いているようだ。ソースのにおいがする。
でも大丈夫。私たちにはお醤油がある。そう考えれば耐えられるはず。
紫のスーツの男が近づいてきた。
「もしかして、お困りですか?」
整髪料で髪をなでつけた、テレビに出てくるセールスマンのような男。歳は三十代前後だろうか。
なんだかうさんくさい。
けれどもイトたんは、無警戒に応じてしまった。
「うん。おなか減ったんだけど、お金なくてさー」
「おや、そんなことでしたか。ここはビジネスの街ですよ。なにか売れるものがあるなら、質屋へ行ってごらんなさい。もし足りなければ、貸してくれるお店だってある。元気があるならお仕事も紹介できますよ?」
「え、なになに? どんなお仕事があるの?」
「レストランのアルバイトです。誰にでもできる簡単なお仕事ですから、いますぐ始められますよ。興味がおありですか?」
「ちゃんとお金くれるの?」
「もちろんです。それで生計を立てている人だっていますからね。自分のペースで働けて、この安全な場所で生活できる。素晴らしい街ですよ、ここは」
「ちょっと見てみようかな」
頭に栄養が回ってないとしか思えない。
私は我慢がならず、会話に割って入った。
「ちょっと待って。そんなに長く滞在するつもりはないんだから。勝手に決めないで」
「なによ勝手って! エルたんもお好み焼き食べたいでしょ?」
「お煎餅あるでしょ!」
「いまはソースの気分なの!」
「怒るよ?」
すると紫の男はうんざりしたのか、曖昧な表情で「気が向いたら案内所へどうぞ」と言い残し、去っていった。
「あーあ、行っちゃった……」
「ちょっとは考えて。お金を中心に動いてる街だよ? ただの親切のわけないじゃない」
「テレビの見過ぎ! 若い女を借金づけにして、えっちな仕事させるとでも思ってんでしょ! あたしがあんなのに引っかかるわけないから!」
「いまちょうど引っかかってるところでしょ」
「ちぃーがぁーいぃーまぁーすぅーっ!」
顔が極限までぶちゃネコになっている。
よくこれほど効率的に人をイラつかせることができるものだ。
「伊藤さん、冷静になって。いまのあなたは脳が働いてないわ」
「バカにしすぎでしょ!」
「一回食事にしよう。お煎餅まだあるから」
「ソース……」
「しつこいと絶交だよ」
「はいはい。なんでもエルたんの言う通りだよぉー、だ」
しばしばクソガキみたいな言動を見せつけてくる。
けど、耐えるのだ。
私も成長しなければ。
フリースペースの端っこで、私たちは荷物をおろした。
そしてお煎餅を二人で分けて齧った。
ちっとも足りないけれど、可能な限り節約しなければ……。
ひとつ呼吸をして、あたりを見回して、私はそのとき初めて気づいた。
全体的に活気がある。
ただしそれは、あくまで全体の印象であって、個々人を見ると、だいぶ疲れ切った顔の人たちもいた。
この人たちだって、入場料を支払う余裕があったはずなのに。
いや、もしかすると私たちみたいに、無料で入れてもらったのだろうか。そしてルールも分からぬまま借金を背負わされ、自由に出ることができなくなっているのでは。
「伊藤さん、もう出ない? ここ、なんだか落ち着かないわ」
「ソースのにおいするもんね」
「そういう意味じゃない。いい加減、頭を動かしてよ」
「動かしてるよ!」
酔っている人は、自分は酔ってないという。
騙されている人は、自分は騙されていないという。
本人の思い込みは決してアテにならない。
どうしようか頭を抱えていると、誰かが近づいてきた。
今度は女性。
フレンチメイドというのだろうか。メイド服なのに、胸元は大きく開いているし、スカートもかなり短かった。しかもメガネでおさげ髪。小学校で仲のよかった「すーちゃん」に、少し似ているかもしれない。
「もしかして灰田さん?」
彼女はハッキリとそう言った。
不快そうに眉をひそめながら。
「すー……鈴木さん? 鈴木さんなの?」
「そうよ。悪い? 髪、切ったんだね。アイくんみたい。そっちの子は?」
「友達……」
「あっそ」
以前はこんなに冷たい子じゃなかった。
アイがからかわれていると、必ず男子を叱り飛ばしてくれた。私とも友達だった。でも絶交されたのだ。「エルちゃん、自分のことしか考えてないよね?」の言葉とともに。
私は、戦えば誰にだって勝てる。
だから、こんな気持ちになるとは思ってもみなかった。目の前にいる相手に対して、手も足もでないなんて……。
鈴木さんは盛大な溜め息とともに、近くのベンチに腰をおろした。
「灰田さんさ、この街初めて?」
「うん」
「お金は?」
「ない。もう帰ろうと思ってたところ」
「ならさっさと帰ったら? ここね、夜になると退場できなくなるの。しかも野宿は罰金刑。払えないと強制労働。おっさんどもに体まさぐられながら『レストラン』で『アルバイト』するハメになるから」
鈴木さんが……。
私は吐きそうになった。
理由はうまく言語化できないけれど、とにかく強烈な罪悪感に襲われた。
「鈴木さん、おぼえてる? 私ね、魔法が使えるの。だから、あなたのこと救えるかもしれない」
「なにそれ?」
「えっ?」
鈴木さんが、怖い顔で私を見ている。
「救う? あなたが? 私を? 何様のつもりよ。そんな人間らしい感情持ってたの? それとも、世界がこうなってから、ようやく人間に進化できたの?」
「なんで……」
「私、お金がいいからここで働いてるの。自分の意思よ。我慢してればお金も貯まるし。でもね、あなたみたいに顔がいいだけのヤツが来ると、すぐお客取られちゃうの。だから出て行って欲しいだけ。分かったら消えてよ。いますぐ」
「鈴木さん、違うの……」
「うるさい。あなたなんかと話すんじゃなかった。貴重な休み時間がムダになったわ」
立ち上がって、どこかへ行ってしまった。
私は追うこともできない。
こんなに強く拒絶されたら、もう、どうしようもない。
こういうときこそ、アイに入れ替わって欲しかった。
なのに私は、私のまま。
最初に絶交されたときもショックだったのに、いまも同じくらい傷ついてる。
仲良しだった。
私だけのすーちゃんだった。
すーちゃんは、私以外と仲良しになっちゃダメだった。なのに、みんなの問題に首を突っ込んでしまうから、私は次第に強く拘束した。
「エルたん、行こ?」
「うん」
イトたんが自分からそう言いだしてくれた。
せっかく鈴木さんが教えてくれたんだ。逃げなくちゃ。もし戦いになって、この街を壊したら、ここで暮らすみんなが路頭に迷うことになる。
*
ゲートへ戻ると、若い男がぎょっとした顔になった。
「え、もう出るのか?」
「そうよ。これは返す」
「……」
私はチケットを押し付けて、街を出た。
特に誰かが追ってくることもなかった。
いちおうのルールはあるのだろう。そのルールの範囲内なら、手を出してこないのだ。それだけに厄介だ。いっさいの言い逃れができなくなってしまう。
もしかすると涙が出ているのかもしれない。
少なくとも鼻水は出そうになった。
弟の命を奪ったときも、玉田さんが撃たれたときも、涙なんて出なかったのに。
きっと怒りの感情がまったくないせいだ。
私だけが悪い。
なんで自分はこんな人間なんだろう。
小学校に戻ってやり直したい。
鈴木さんは私の庇護者を気取っていた。けれども、それは幼かったせいだ。少なくとも善意ではあったはず。私がワガママじゃなかったら、もう少しいい関係を築けていたと思う。
「エルたん、あたしがついてるからね」
「うん」
いまはあんまり優しくしないで欲しかった。
でも、嬉しかった。
イトたんのことだけは、絶対に失いたくない。いっぱい救われてきた。だから私も恩返ししなくちゃいけない。
この先なにがあっても。
(続く)




