さよなら、おじさん
結局、ほんの少しだけ毛先を整えてもらうことにした。
どんな仕上がりになったのかは知らない。
僕は鏡を見たくなかった。
姉さんに見つめられてるみたいだったから。
その後の食事会では、炊き立てのご飯、味噌汁、ゴボウの煮物、サンマの缶詰、そしてデザートには桃の缶詰をご馳走になった。
白いご飯なんて食べたのは久しぶり。おかずもおいしかった。もうずっとここに住みたいくらい。
食事を終えた僕たちは、仮設住宅へ戻った。
「ヤバ、ガス出そう」
「……」
伊藤さんはいつも元気いっぱいだ。
一回廊下に出て、しばらくしてからまた戻ってきた。
「はー、幸せすぎィ! なんなのここ? 楽園なの?」
ベッドに寝転んでバタバタし始めた。
おじさんは、それでも複雑そうな表情だ。
「客人だから特別豪華にしてもらえただけで、普段はあんなに食ってないはずだぜ。特に缶詰は、いっぺん開けちまったら減る一方だからな」
「あー、テンションさがるぅ。おじさんさぁ、ネガティブなこと言うのやめてくれる? 今日は幸せなまま眠りたいの!」
「悪かったよ」
どちらの気持ちも分かる。
僕だって幸せなまま一日を終えたかった。でも、この幸せは、無条件で続くわけじゃない。なにより、僕たちは明日にもここを出る予定だし。
もうすっかり日は暮れた。
しばらくくつろいでいると、外が騒がしくなった。
防音されてないから声はぜんぶ聞こえてきた。
「報告! 報告! 大統領! 攻撃です! 昼間の連中が!」
「なんです? あの壁から?」
「いえ、別の場所からのようです。ともかく緊急です! 敵は銃で武装しています! 最初に遭遇した防衛隊も、そろそろ……」
「分かりました。それで、彼らの目的は?」
「水と食料、それに女をよこせと」
「総動員で対応しましょう」
許せない。
無関係の人たちまで攻撃するなんて……。
水と食料は、ここの人たちが自分たちで集めたものだ。それに、女性は誰かの所有物じゃない。
僕は仮設住宅を飛び出した。
「大統領! 僕たちも戦わせて!」
「それは助かります。これから兵を招集しますので、ぜひ一緒に」
「うん」
後ろからおじさんたちも来た。
「ま、メシのぶんは働かんとな」
「夜だから、このカッコが初めて役に立ちそう」
たしかに伊藤さんの姿はほとんど闇に溶け込んでいた。
二十名くらい集まった。
みんな男性。工事用のヘルメットをしている。年齢はバラバラだけれど、若い人よりも年配の人のほうが多い。
僕たちも同行することになった。
移動しながら、リーダーらしき男性が言った。
「敵は拳銃を所持している。こちらからは接近せず、瓦礫の投擲にて対応する。厳しい戦いになるだろう。だが、国を守れるのは俺たちだけだ。頑張ろう!」
「おう!」
つまり石を投げて戦うということだ。ほかには武器は鉄パイプしかない。
これで大丈夫なのだろうか。
サイレンが鳴り、アナウンスが響き渡った。
『ただいま、北部ブロックにて、戦闘行為が、発生しました。非戦闘員は、最寄りのシェルターへ、非難してください。繰り返します――』
胸がドキドキする。
きっとたくさんの人間が死ぬことになる。
僕も死ぬかもしれない。
銃声がしていたから、場所はすぐ分かった。
敵も味方も大きな声で威嚇し合っている。
「とっとと道あけろオラァ! ぶっ殺すぞ!」
「この国から出てけ! クソ外道が!」
敵は拳銃なのに、防衛隊は投石で対応している。戦力差は絶望的。けれども、投石は意外と効果的らしく、敵も物陰に身をひそめていた。
敵へ向かってカッとライトが照射された。
「ここは世田谷共和国の領土である! ただちに退去しなさい! さもなくば実力で排除する!」
リーダーが拡声器で怒鳴った。
返事はこうだ。
「うるせーボケ!」
「死ぬのはオメーのほうだ!」
「ひっこめジジイ!」
まあこうなるとは思っていたけれど。
伊藤さんが瓦礫をよじのぼった。
「あたし、上から爆弾投げ込むね。おじさん、ちゃんと当ててよ」
「おいおい、だいぶ距離あるぞ」
「イイワケしないの!」
すぐそばにヒュンと流れ弾が来て、どこかへ飛んで行った。
当たったら死んでしまう。
伊藤さんは足音も立てず、瓦礫の上をゆうゆうと進んでいった。やっぱりネコなのかもしれない。
パァン、パァン、と一拍おいて銃声がする。
あまり連射という感じじゃなかった。
あまり弾がないのかもしれない。
おじさんはやれやれとばかりに前へ進んだ。
国の人たちは石を投げているけれど、たまに銃弾を受けて後ろへ倒れる。血液をまき散らしながら、痛そうにうめいている。
近づかないと魔法は使えないから、僕も手ごろな瓦礫を投げた。だけどほとんど飛ばずにすぐそこに落ちた。
敵も真似して石を投げてくる。
ヘルメットに当たったおじさんがよろめいた。
銃声に混じって、ゴッという鈍い音が鳴った。
どれもイヤな音だ。
呼吸が荒くなってくる。
ふと、ガシャンとガラスの割れる音がした。
伊藤さんの投げた爆弾が、地面にあたって砕け散ったのだろう。となると、中のガソリンは飛び散っているはず。早くしないと揮発してしまう。
おじさんが「どこだよ」とぼやきながら前に出た。
あんまり前に出ると危ない気がするけれど……。
パァンと発砲した。
こちら側で銃を使っているのはひとりだけ。火花が出たから、誰が撃ったかはすぐにバレてしまうと思う。
それでもおじさんは隠れず、ガソリンのあたりへ射撃を繰り返した。
なかなか火がつかない。
僕はもどかしい気持ちだった。
おじさんが死んでしまうかもしれない。
早く火がついて欲しい。
祈るような気持ちだった。
なのに、いつまで経っても火の手はあがらなかった。
石が降ってくる。雨のように。
弾丸の飛んでくる音。
人が倒れてゆく。
空を見上げると、星々がキラキラとまたたいていた。
世界はこんなに美しいのに。
なんで人間はこんなに醜いのだろう。
ぼうっと火の手があがった。
敵陣からどよめきが起き、味方からは歓声があがった。
けれども勝敗は決しなかった。
両陣営が静まり返ったのだ。
燃え盛る炎をまとった男がひとり、銃を構えながらこちらへ近づいてきた。
とんでもない大男だ。
僕は前にもこの人を見たことがある。
きっと、間違いなく、あのサングラスの男だ。
パァンと銃声がして、おじさんがうずくまった。
僕は――。
いま自分が見た光景を、ウソだと思った。
そんなことは起きていないんだと。
音が聞こえなくなった。
絶対に、こんなことは起きていない。だってそうなんだ。僕がそうだと思ったらそうなるんだ。現実なんて、僕の考え次第でどうにでもなるんだ。
なのに、玉田さんは立ち上がらない。
赤い血が地面に広がっている。
なんでこうなるんだろう。
人は簡単に死んでしまう。
そして死んだら、二度と生き返らない。
僕は――私は、一歩踏み出していた。
空間を切り裂いて、サングラス男の銃弾をそらした。
男はさらにトリガーを引いて、再度発砲した。
それもそらした。
私に銃は通じない。
大きく裂いた空間の奥から、怪物がこちらを見ているような気がした。しかもそいつは、なぜか満ち足りた様子をしている。
人の死が、そんなに愉快なの……。
燃え盛る男に近づいて、私は頭から左右にザバと裂いた。
分裂した身体は、未練がましく血液でつながったまま、ゆっくりと倒れた。炎はまだ衰えず燃えている。
私はさらに歩を進めた。
全員殺すのだ。
これしか取り柄のない私を怒らせたら、必ずこうなる。
*
最終的に、すべての敵を切り裂いた。
死んでいるヤツもさらに裂いた。
理由?
イライラしていたからだ。
私が引き返すと、みんなは怯えたような顔で出迎えた。イトたんだけが、かろうじて「お疲れさま」と声をかけてくれた。
「け、怪我人を運ぶぞ!」
「助かりそうなのから優先だ! 早く!」
玉田さんは置き去りにされるかもしれない。
もしそうなったら、明日にはカラスの餌になっているだろう。
いまは、なるべくなにも考えないことにしている。考えたら頭の血管が切れてしまいそうだったから。
イトたんがリーダーの男にすがりついた。
「あの、おじさんを助けてくれませんか? まだ息があるみたいなんです!」
「息がある? 分かった。運ばせよう」
ありがとう。
でも、たくさん血が出ている。ちっとも顔をあげてくれない。地下シェルターで死んだ大人たちと同じだ。かろうじて生命活動を維持しているだけの肉。すぐにつめたくなってしまう。
期待をすると、裏切られたときにつらい。
*
朝が来た。
ほとんど眠れなかった。
夢は見なかったのに、長い夢を見ていたような気分。
髪をとかす気力もない。
私は水だけ口にして、盛大な溜め息をついた。
現実を見つめないといけない。
取り乱してもいけない。
人は簡単に死ぬ。
後悔したって生き返らない。
*
少し日が高くなってから、私はイトたんと一緒に病院の場所を聞いて、そこを訪れることにした。
医者らしき老人に尋ねると、ベッドに案内された。
玉田さんは起きていた。
「よう、無事だったか……」
それはこっちのセリフだ。
苦しそうなしかめっツラ。だいぶ出血したせいか、顔も青白い。
「運がよかったね。弾はキレイに抜けてたよ。命に別状もない。ただ、あんまり騒がないようにね。ほかの患者もいるから」
医者は肩をすくめると、別のベッドへ向かった。
部屋にはロクな仕切りもなく、たくさんのベッドが並んでいた。患者もたくさん。包帯でぐるぐるになって痙攣している人もいる。
私はしゃがみ込んだ。
「お願いだから、心配させないでよ……」
「アイくんか? 悪かったな」
「アイじゃない。エルよ。そういう態度がアイを勘違いさせるって言ったでしょ?」
「そうだったな……」
玉田さんは乾いた笑い声を出した。
別のベッドからヒソヒソ声が聞こえてきた。
「見ろ、あいつが例の魔女だぜ」
「厄介ごとを持ち込みやがって……」
たぶんわざと聞かせているのだろう。
それでもいい。
いまの私は寛大だ。
なにを言われても平気。
玉田さんは申し訳なさそうに肩をすくめた。
「悪いが、俺はここまでだ。旅の続きは、俺抜きでやってくれ」
「仕事はどうするの?」
「どう考えたって、仕事より健康のほうが大事だぜ」
「ダメよ。あなたが治るまでここにいる」
彼は首を横に振った。
「聞こえたろ。ここじゃあんたは歓迎されない。互いのためだ。俺を置いていってくれ」
「本心なの?」
「聞くなよそんなこと。もし治ったらまた会うこともあるだろ。それまでのお別れだ」
「……」
納得いかない。
でも、どうしようもない。
この人が死ななかっただけでも十分だ。治療も受けられている。私は世界を壊すことができるけれど、人の心を自由にすることはできない。
玉田さんは、今度はイトたんに目を向けた。
「伊藤さん、この子を頼んだぜ」
「任せて。親友のあたしが完璧にサポートするから」
いつ親友になったんだろう?
でも、イヤな感じはしなかった。
イトたんのことは嫌いじゃない。
私は小さく手を振った。
「あんまり長居しないほうがよさそう。さよなら、おじさん。またね。でも、サボるのは禁止。治ったらすぐ駆けつけること。荷物、持ってもらうんだから」
「もちろんだ。くれぐれも気をつけてな」
「うん」
*
私とイトたんは、大統領に挨拶を済ませて、世田谷共和国を出た。
西へ行くなら、甲州街道を使うといいと言われた。よく分からないけれど。とにかく大きな道路ということだった。
荷物は二人で分担した。
腕はまだ痛かったけれど、いつまでも弱音を吐いてはいられない。
「イトた……伊藤さん、あらためてよろしくね」
「うん。よろしくね、エルたん。あたしをおじさんだと思って、遠慮なく頼ってね!」
「ずいぶんかわいいおじさんね」
「え、かわいい?」
「おじさんにしてはね」
「きっつ」
なんだか西遊記みたい。
私がお坊さんで、イトたんが……えーと、どれに例えても怒られそうだけど。
なんだか分からなくなってきた。
魔法の力で、世界を一掃したい気持ちもある。
けれども、生きて欲しい人たちがいる。
私はどうしたらいいんだろう。
そのときの気分によって人を殺して、好きな人だけ助ける。
今後もそういうことを続けるんだろうか。
私は命を選別している。
まるで神さまみたいに。
強い力を手にしてしまっただけの、ただの人間なのに。
ちゃんとした大人たちの意見が聞きたい。
なにが正しくて、なにが間違っているのか。
それを知らないことには、判断もできないだろう。
(続く)