文明
進むにつれて、この国が復興しつつあることが分かった。
この国といっても、日本国のことではなく、世田谷共和国のことだけど。
中心部は瓦礫が撤去され、重機を使った建設も始まっていた。
私たちが案内されたのは、仮設のプレハブ小屋だった。いちおう看板には「世田谷国役所」とある。あくまで臨時の建物なのだろう。
護衛の男たちは外で待機となり、私たちと島村さんだけが中に入った。
「あら、お帰りなさい。騒ぎはもうおさまったの?」
パイプ椅子に、でっぷりと太った中年女性が腰をおろしていた。
応じる島村さんは苦い笑みだ。
「お客さんをお迎えしたよ。えーと、まずは紹介しておかないとね。こちらは妻の直美です」
「お客さんなんて珍しい。直美です。ゆっくりしていってね」
ひとなつこい笑みだ。
ちょっとイトたんに似ているかも。
ただ、私は容赦しない。
「お招きありがとう。私はエル。世田谷を除くすべての世界のプリンセスよ」
「……」
場が凍り付いた。
もちろん平気。
この程度は慣れてる。
だいたい、誰も私の話をまともに聞かないのだ。これまでもそうだったし、今後もそうなる。なって欲しい。もしダメなら無視して。お願いだから。
直美さんは「ファハー」とのけぞった。
「まー、面白い子。よろしくね、プリンセス」
「うん……」
本来なら不敬罪だけれど、特別に許してあげる。
島村さんは遠慮がちに告げた。
「直美ちゃん、悪いんだけど人数分のお茶菓子用意してくれる?」
「あいよ」
お茶菓子。
嗜好品が存在しているなんて……。
生活水準が高すぎるわ。
島村さんは向き直った。
「じゃ、私たちは奥で」
*
会議室だろうか。
ホワイトボードが置かれ、長テーブルがあり、パイプ椅子が並べられていた。
「ここは国会も兼ねてまして。どうぞおかけください」
「では遠慮なく」
私たちは三人で並び、島村さんはひとりで向かいに腰をおろした。
「あらためて自己紹介させていただきます。私、世田谷共和国の初代大統領、島村茂夫です」
「え、大統領? エリアの代表者じゃ……」
「ええ。まあ同じようなものです。まだあまり大きな街じゃありませんから」
つまり玉田さんは大統領に銃を向けたことになる。あとで死刑になるかもしれない。みっともなく命乞いしたら助けてあげてもいいけど。
私はひとしきり部屋を見回してから、こう応じた。
「なにが聞きたいのかしら?」
「外部からの侵入者についてです。もしあなたがたの話が本当なら、おそらく彼らが壁を破壊したことになりますから」
なるべくこちらの発言に寄り添って話を進める感じか……。
でもこの話法は怖い。
相手が聞いてくれるのをいいことに、こっちが機嫌よく喋っていると、つい余計なことまで喋りすぎてしまう。その結果、矛盾が出る。アイがよくやる手口だ。
私は思い切って白状した。
「じつはあの壁を壊したのは私よ」
「ああ、そうでしたか……」
「けど、損害賠償なら応じられないわ。お金もってないもの」
「ええ、それはまあ構わないのですが……」
島村さんは困惑顔で頭をぽりぽりかき始めた。
玉田さんが脇から口を挟んだ。
「なにか問題が?」
「魔女に関する噂はご存じでしょうか? この世界を破壊したのは魔女であると、このころ言われるようになりましてね。じつはすでに国内に紛れ込んでいるのではないかと、一部の市民が殺気立っているところなんです」
あの鉄パイプの防衛隊のことだろうか。
島村さんは溜め息まじりにこう続けた。
「ですので、もしあなたがその魔女なのだとしたら、きっと大変な騒ぎに発展することでしょう」
その手の話は、バッドエンドだらけの昔話で見た気がする。
私は思わず笑みを浮かべてしまった。
「魔女狩りでも始まるのかしら? 国賓として招いたプリンセスを火計に? あまりに野蛮だわ」
もしそんなこと考えてたら、逆に殺してあげるけど。
島村さんは額の汗をぬぐった。
「いえいえ。そうしないために、ですね。ここはどうか、じつはあなたの仕業ではなかったと宣言していただきたいのです」
「うっ……。私、もう鉄パイプ切断するとこ見られちゃったけど……」
「うかがっております。ただ、その点はご安心ください。『あること』を『なかったこと』にするのは政治のイロハですので。こちらでなんとかします」
「……」
汚いわね……。
最初から会話に参加せずぽかーんとしているイトたんはともかく、話を理解している玉田さんは複雑そうな顔になっている。
島村さんもムリは承知のようだ。
「とても不安定な情勢です。いまは治安の維持を最優先に考えておりまして。プリンセスのお力添えをいただきたいと」
「いいわ。協力してあげる」
この人は、そこらのおじさんと違って、きちんとプリンセスの扱いをわきまえている。実際はプリンセスを自称するだけの、ただの人殺しだけれど。
島村さんがほっとしたところで、直美さんがお茶菓子を持ってきた。
コップに注がれた麦茶と、大皿に盛られたお煎餅。
醤油のいいにおいがする。まさか、ここで焼かれたものでは……。だとすれば、私がいままで過ごしてきた世界とは、天と地ほども豊かさが違う。
「どうぞ召し上がってください」
「いただきまーす!」
プリンセスを差し置いて、イトたんが動き出した。
その動作は俊敏。
お煎餅をひったくって、いきなりバキリと噛み砕いた。
「ヤバ! 死ぬほどうまいんですけど!」
「今日焼いたばっかりだから。まだあるから、遠慮せず食べてね」
「はーい!」
私は恥を忍んで告げた。
「大統領、あとでお醤油を分けて欲しいのだけど……」
「ええ、はい。もちろんご用意いたします」
素直に献上するのはいいことだわ。ここを植民地にして強制的に取り上げる必要がなくなる。
島田さんは、すると私の表情をうかがうような様子を見せた。
「代わりと言ってはなんですが、外の様子をお聞かせ願えないかと」
「外? なにが聞きたいの?」
「あなたがたのあとに現れた、スーツの集団。彼らはなにものです?」
「それは私の執事が説明するわ」
お煎餅を食べたかったので、あとは玉田さんに任せた。
「あー、あいつらね……。こちらのプリンセスを追ってる悪い連中です。銃まで所持してましてね。俺たちは追跡を逃れるため、各地を転々としている最中だったんです」
「銃を……」
「あの穴、早めにふさいどいたほうがいいですよ。また入ってきますから」
「手配しましょう。ところで、追われている理由を聞いても?」
私はお煎餅を齧った。
のたうつほどおいしい。
和菓子より洋菓子のほうが好きだったけど、いまこの瞬間から宗旨替えしてもいい。醤油の香ばしさ、そしてお米の味。なんならこれが主食でもいいのではないだろうか。
ご飯がないなら、お煎餅を食べればいいのよ。
「理由かぁ……。ま、さっきも出た通り、彼女は特殊な能力を有してましてね。それを悪用しようと企む組織がある、といったところです」
「つまり、あなたたちを狙って来たと」
「そういうことになりますね」
さっきと言ってることが違う。
島村さんはそれでも怒らなかった。
「分かりました。では、あなたたちのおこなった戦闘は、あくまで自衛のためであると、こういうことですね?」
「もちろん」
「結構です。あとはこちらでうまく処理しておきましょう。宿を手配しますので、しばしこちらでお待ちください」
島村さんは出て行った。
まだ罠の可能性がある。
もう胃の中だけれど、麦茶やお煎餅に毒が盛られている可能性だってあった。イトたんは半分くらいひとりで食べてしまった。
すると、イトたんがおなかを抑えてうずくまった。
「あ、ヤバ。なんかオナラ出そう……」
「出したら縁切るから」
「あたしたち、ズッ友じゃなかったの?」
「ずっとも?」
「永遠の友達!」
「厚かましいわね。オナラするまでの友達よ」
「うぐぅ……」
般若面みたいな顔で耐えている。
でもオナラくらいで縁を切っていたら、毎日絶縁することになってしまう。なぜならイトたんは、毎晩寝ながらオナラをしているからだ。
まあ私は完璧な存在だからしてないけど。たぶん。
*
まずは共同浴場へ案内された。
島村さんが配慮してくれたのか、私とイトたんしかいなかった。
男湯には玉田さんと島村さんで入ったと思う。おじさんがふたり。いまの私がアイじゃなくてよかった。
サッパリしてから宿へ案内された。
といっても仮設住宅だ。
玉田さんも同じ部屋だったけれど、いまさら気にしない。
「ヤバ、肌つやっつやなんだけど!」
イトたんはずっと自分のほっぺを触っている。
つやつやというか、もちもちというか。絵に描いたように健康的だ。
私もつやつやのはずだけど、そんなことより腕が痛い。傷口はふさがっているし、化膿もしてなかったけれど、少し動かすと痛みが走る。風呂で血流がよくなったせいかもしれない。
玉田さんは無精ひげを剃って、少し若くなったようにも見える。おじさんに見えるけど、もしかするとまだ二十代かもしれない。
イトたんはベッドに寝転がり、壁際に背をあずけた。
やっぱりどこからどう見ても人間のフリをしたネコみたい。
「でさー、エルたんは、いつになったらアイくんに代わってくれるの?」
「失礼ね……。オナラしたのにまだ友達のつもり?」
「お詫びに背中洗ってあげたじゃん。あ、前だっけ」
「死にたいならそう言って」
まっ平らだから前だか後ろだか分からない、などと、裁判沙汰になりそうな罵詈雑言を浴びせられた。私のぶんのお煎餅を返して欲しい。
お風呂上がりでテンションがあがっているのか、イトたんは玉田さんにも攻撃を仕掛けた。
「おじさんもさぁ、大変じゃない? お風呂上がりの美女二人に囲まれて。あ、間違っても妙な気は起こさないでよね?」
「なら、護身用に銃を預けておこう。俺が妙な動きをしたら容赦なく撃ってくれ」
「こっわ。マジギレしてるし!」
軽くあしらわれているだけだ。
ま、怒らないのが分かっているから、こうして冗談も言えるのだろう。
私も便乗することにした。
「でもどうなの? 玉田さん、私のこと女だって気づいてたよね? 最初はどう思ったの? 他の連中は、みんな品性のなさをさらけだしてきたけど」
彼はふっと笑った。
「ま、俺だって聖人君子ってワケじゃねぇ。最初はキレイな女だと思ってワクワクしたよ。ただ、少し話してみて、尋常じゃない状態だってのはすぐ分かった。そしたら今度は、急に気の毒になちまってな。なんとかしなきゃって……」
また上からモノを言う。
かわいそうなヤツだと思って情けをかけてくれた、とでもいうのか。
「もし最初から私だったらどうしてたの?」
「べつに。仲良くなるならそれはそれ。ならないならそれも結果だ。歳もだいぶ離れてるしな。まあなにも起きんよ」
「カッコつけてるわね。アイが好きなタイプよ、それ」
「気を付ける。ただ、俺らそもそも敵同士だぜ? 利害が対立してる。仲良くなりようがない」
「じゃあ伊藤さんのことは? かわいいと思う?」
「ああ、思うよ。なんだか親戚のクソガキみたいでな」
「あはは」
友達がバカにされたのに、思わず笑い転げてしまった。
イトたんは、またぶちゃネコみたいな顔になってる。
修学旅行みたい。
もしあのとき誘拐されず、学校に通い続けることができたら、こんな瞬間があったんだろうか。
そう考えたら、僕は急に寂しい気持ちに襲われた。
間違いなく楽しい気分だったのに。
「ね、伊藤さん」
僕が仰向けになって呼びかけると、彼女はむっとした顔で覗き込んできた。
「なによ?」
「よかったら、僕の髪切ってくれないかな? なんか、長すぎる気がするんだ」
「えっ? アイくん?」
「うん。こんなに長いと、また女の子だと思われちゃう……」
「……」
ダメだったかな?
もしそうなら、あまり期待できないけれど、おじさんに頼むしかない。
気安く人に触らせちゃダメって姉さんには言われてたけど、髪を切るときくらいはいいはず。
でも、あんまり短くし過ぎると姉さんに怒られちゃうかな。
ウサギがじっとこっちを見てる。
虚ろな黒目。
僕になにか言いたいんだろうか。
なにも言ってくれないくせに。
(続く)




