世田谷の壁
私たちは焚き火の痕跡を消して旅に出た。
移動ルートを追跡されないためだ。
簡易爆弾は二つできた。私が強制的に酒の中身を捨てさせて、空き瓶にしたのだ。玉田さんは落ち込んでいたけれど、そんなの関係ない。
瓶を投げるのはイトたんの担当になった。モノを投げるのがやけに得意みたいだったから。
敵は私を殺さないはずだから、私が盾になる。それでも狙われるようなら空間を裂いて弾道をそらす。「向こう側」の怪物を刺激してしまうのはこの際仕方がない。
「もう分かってると思うけど、私、よく分からないタイミングでアイになると思うけど、そのときは適当によろしくね」
私がそう言うと、ふたりは小さくうなずいた。
納得いかないだろうけれど、私にもコントロールできないんだから仕方がない。あとはアイが作戦をおぼえていてくれるのを願うのみだ。
やがて壁に行き当たった。
バリケード……というのだろうか。乗り捨てられた車や瓦礫、鉄板、ベニヤ板などを組み合わせ、壁にしてある。そして黒スプレーで「通行禁止」の文字。
私は玉田さんに尋ねた。
「これも組織が?」
「えー、いや、どうだろうな。あいつら、わざわざこんなことするかな? もしこれが広範囲に作られてるんだとしたら、かなりの労力だぜ? そんな大人数を動員できるんだったら、もっと街中に人がいないとおかしい」
それは私には判断できない。
これまで遭遇した敵は二人組。それが二回。玉田さんを合わせても計五名。たしかに、あまり大人数でない感じもする。まだ遭遇していないだけかもしれないけれど。
玉田さんは眉をひそめた。
「あいつら、あちこちに張り紙して、必死に人材を集めようとしてたんだ。事務所だって閑散としたもんだった。で、行ったらその場で三百万。しかも拳銃のオマケつきだ。ここまで手厚い待遇ってことは、よっぽど人手不足だったんだろう。となると、壁を作ったのは別の連中と考えていい」
私は考えるのが面倒だから、彼の推測に任せることにした。
イトたんも暇そうに脇腹をかいている。
「別の連中って?」
「さあな。ただ、『通行禁止』のメッセージをこちら側へ向けてるってことは、やったのは向こう側の連中ってことだろう」
「私たちに来て欲しくないと思ってるってこと?」
「おそらく。理由は分からんが。けど、この手の壁は必ずどこかで途切れる。瓦礫を迂回しながら移動すれば、そのうち回り込めるはず」
「そんな簡単に行く?」
「組織よりヤバい連中に遭遇する可能性もある。ま、旅の行き先はあんたに任せるさ。俺たちはただのストーカーだからな」
「……」
私は特に行きたいところがあるわけでもない。
地下に閉じ込められているのがイヤだっただけ。
だから壁があるなら、引き返してもいい。
または、引き返さなくてもいい。
私は意識を集中して、空間を縦に切り裂いた。
すると、宇宙みたいにまっくろな裂け目ができた。
正確には宇宙ほどクリーンじゃないけれど。なんだかもやもやしている。奥には怪物の気配。語りかけてくるような、けれども聞き取れない声。
範囲を広げると、向こう側からの波動が高まってきた。
キィーンという耳障りな高音。
精神が高揚してきた。
闇の奥に光が見える。
これに魅了されたら終わる。
私はふっと空間を閉じた。
バリケードはゆがんだまま。人が通れるほどの隙間ができていた。
「ふぅ。これで通れるでしょ?」
「……」
二人とも怯えたような顔になっていた。
慣れているつもりだったけど、やっぱりちょっと寂しい。
「マズかった?」
イトたんはぶんぶんと首を振ったけれども、玉田さんが納得しなかった。
「勝手に入って見つかったら、面倒なことになるぜ?」
「大丈夫よ。最初から開いてたって言えば」
「ったく。たいした度胸だな、あんたは」
「褒めてるのよね?」
「もちろんだ」
渋い顔になってしまった。
*
けれども、バリケードを超えたところで、特に景色は変わらなかった。
ところどころに「世田谷共和国」と書かれた看板が設置されているくらい。
「こんな国あったっけ?」
私が尋ねると、玉田さんが肩をすくめた。
「新しく作ったんだろう。共和国ってことは、選挙でリーダーを選んでるってことだ。少しは文明が残ってるかもな」
「文明ねぇ……」
瓦礫と看板しか見当たらない。
けれども、しばらく進むと四人組の男たちと遭遇した。
「ん? 何者だ!?」
「国民番号を言え!」
鉄パイプを持ち、頭にハチマキをしたおじさんたち。
ハチマキには「世田谷防衛隊」とある。
これが文明なのだろうか。
イトたんが爆弾を投げつけようとしたのを、玉田さんが慌てて制した。
「ちょ、ちょっと待った。俺ら、間違って入り込んじまっただけでしてね。土地を荒らすつもりは毛頭ないんです。ホントに」
「怪しいヤツらだな。特にそっちの忍者!」
それはそうだろう。
私から見ても怪しい。
イトたんは地団駄を踏んだ。
「忍者じゃない! これしか服がなかったの!」
こんな時代だ。服だって簡単に手に入るわけじゃない。拾ったものを着るしかないのだ。
男たちの服装だって、ちっともオシャレじゃない。おおかた間に合わせの服を着ているのだろう。条件は同じだ。
イトたんがちゃんと顔をさらしたので、男たちも納得したらしい。
「分かった。じゃあそれはいい。だいたい、こんな堂々とした忍者がいるわけないからな。だが、だからといって見逃すことはできない。ここにいるってことは、鉄壁の防御を乗り越えてきたってことだ。本部で詳しい話を聞かせてもらう」
勝手なことを言っている。
私は前に出た。
「お断りよ。私は誰の指図も受けない」
「生意気なガキだな。お前たちは国境線を超えたんだ。こちらの法に従ってもらう」
「なら力づくでどうぞ?」
「……」
男たちは互いに顔を見合わせている。
いきなり仕掛けてこないだけ、まあまあ文明的と言えるかもしれない。
すると玉田さんが、卑屈な態度でヘラヘラと場を取り繕った。
「まあまあ。勝手に入ったことは謝りますから。すぐ出ていきますしね。どうかここはひとつ、穏便に……」
このやり方、私は好きになれない。
なぜ悪いヤツにペコペコしなくちゃいけないのか。
あまりに下手に出たせいで、男のほうも図に乗ってしまった。
「なんだあんた。恥ずかしくないのか? いい歳した男が、こんなガキにアゴで使われて」
「えへへ……。いや、まあ、ねぇ……」
イライラする。
比較的若い男が、玉田さんの足を蹴った。
「とにかく来いよ。あんま手間かけさせんな」
「あの、暴力はちょっと……」
「俺たちも忙しいんだよ。こいつで叩かれねぇと分かんねぇのか?」
そう。
言葉でどうにかなるなら苦労しない。
こういう連中には、動物でも分かる「恐怖」を与えてやらないと。
私は空間を裂き、男が見せつけていた鉄パイプを半分に切断した。
カラーンと音がして、みんなの動きが止まった。
「えっ? あれ? いまの……えっ?」
男は目を丸くしている。
なにが起きたか分からないといった表情。
私は親切にも状況を教えてあげることにした。
「私が切ったの。次は腕を落としてあげる。そうしないと、いつまでもここに拘束されそうだから」
リーダーらしい小太りのおじさんが後ずさった。
「こ、こいつが魔女だ! 世界を滅ぼした魔女だ!」
恐怖が伝播して、男たちは「ひぃ」と情けない声をもらしながら、我先にと逃げ出した。
魔女――。
魔法を使う女なのだから、魔女というのもたぶん間違いではないはずだけれど。でも自己紹介もしていないのに、勝手に正体を見破られるとは。
イトたんは鉄パイプのところにしゃがみ込んで、しげしげと切断面を見つめた。
「キレイに切れるもんだねぇ……」
「そんなこと感心しないで。それより、なんなの魔女って? 私はいいけど、アイは怒るよ。僕は男だ、とかなんとか言って」
まあそこは問題の本質じゃないんだけど。
玉田さんも顔をしかめていた。
「ここの連中が警戒してたのは、きっとあんたのことだな」
「私ってそんな有名人だったの?」
「きっと組織のヤツが適当な噂を流したんだろう。特殊能力を使う女がいるって。そこに背ビレと尾ヒレがついて話がデカくなった」
「でも魔女だよ? ちゃんと男装してるのに」
「あんな能力見せられたら誰だって気づく。それに、あんたの線の細さは、どこからどう見ても女だ」
「……」
つまり玉田さんは、最初から私が女だと見抜いていたということだ。
まあ他の人間もだいたい見抜いていたけれど。
この人の場合、分かった上でアイのウソに付き合ったからタチが悪い。アイはさぞかし気をよくしたことだろう。あの子はチョロいから、すぐ調子に乗ってしまう。
玉田さんは左右をキョロキョロした。
「あいつらの仲間が駆けつけてくる前に、俺たちも撤収したほうがよさそうだ。もし戦闘になれば、せっかくの爆弾がムダになる」
「でも、どっちに行けばいいの?」
「奥になにがあるか分からない以上、来た道を引き返すほうが安全だろう」
*
けれども、玉田さんの予想はハズレた。
つまり、ちっとも安全じゃなかったということだ。
道を引き返すと、私が作ったスペースから、スーツの男が入り込んでくるところだった。
お互い、いるはずがないと思っていたからか、困惑したまま見つめ合った。
それは狭い道だから、私たちの姿を確認したのは一人だけ。残りの連中は後ろにいる。
「おい、止まるなって。狭ぇんだから早く行けや」
前が見えない連中は、悠長にそんなことをぼやいている。
ヒュッと瓶が投げられた。
それは先頭にいた男の顔面に直撃。「うがぁ」と悲鳴をあげさせた。
床に落ちた瓶を、玉田さんがパァンと撃ち抜いた。
びっくりするほど大きな炎が、ぼうっと燃え上がった。
爆弾というには物足りない火力だったけれど、炎の広がりは目を見張るものがあった。こちらとは距離があったはずなのに、かなりの熱が伝わって来た。もう少し近かったら前髪がチリチリになっていたかもしれない。
「あーっ! あーっ!」
炎に巻き込まれた男たちは、パニックになって押しのけ合った。
玉田さんは銃を構えているが、節約のためか撃たずに待っている。イトたんも二つ目の爆弾を投げない。
壁の向こうから「おいムリだ!」「逃げろ!」「撤収!」などと怒鳴る声が聞こえた。声や足音からするに、十名近くがいたかもしれない。
うずくまって炎上している男は三名。
かなりの人数で乗り込んできたことが分かる。
すると面倒なことに、この騒ぎを聞きつけた「世田谷防衛隊」が後ろから集まってきた。これも十名はいるだろうか。
「なんの騒ぎだ!?」
「燃えてるぞ!」
「部外者だな!」
「こいつが魔女だ! 俺は見たんだ!」
テレビで観たことがある。サルの群れがケンカするとき、だいたいこんな感じで始まる。とにかく大きな声で吠えるのだ。
玉田さんは銃を構えたまま向き直った。
「話を聞くつもりがあるなら銃を下ろす。だがそうじゃないなら、後ろの連中と同じ目にあってもらうぜ」
「……」
男たちはツバを飲み込んだ。
静かにしてくれるだけ、サルよりマシかもしれない。
私が交渉してもナメられそうだったから、この場は玉田さんに任せることにした。中年のおじさんたちは、若い娘の話など聞こうともしない。それは地下シェルターにいたころ、イヤというほど思い知らされた。
玉田さんは言葉を続けた。
「よし、代表者はいるか? もしくはこの場でもっとも権限のあるもの。前へ出てくれ。会話をするだけだ。話がついたら、互いに怪我人を出さず解散する。いい大人同士、マナーよくいこうぜ」
するとメガネのおじさんが前に出た。
「私がこのエリアの代表をしております島村です。まずは銃をおろしていただけませんか?」
「失礼。玉田です。放浪者でね。迷惑をかけるつもりはなかった」
「ではなぜ『通行禁止』の文字を無視したのです?」
「そんな文字が? 入口がひしゃげてて、よく分かりませんでしたね」
交渉なんてせず、力で分からせてやればいいのに。
そんな気持ちもなくはなかった。
島村さんは不審そうに顔をしかめた。
「ひしゃげていた? そこは昨日、うちのものが安全を点検したばかりですが」
「そう言われてもね」
すると集団から「魔女だ! 魔女がやったんだ!」などとヤジが飛んできた。
ただ、こればかりは言いがかりではなく、事実だ。
玉田さんがうまく誤魔化してくれると期待しよう。
「開いてたんです。それでいいでしょう。この確認しようもない事象に、まだ時間をかけるつもりですか? 交渉不能と判断しますよ?」
「横暴な……」
「こっちは素直に出てくって言ってるんです。なにが不満なんです?」
「事情の説明を。こちらも自治の都合上、前後の関係を知る必要がありますので」
「向こうから乱暴なのが来たから対処しただけですよ。けど考えてみてください。俺ら、あいつらからこの国を守ったんですよ? 感謝されるならともかく、非難される覚えはありませんや」
「彼らの狙いが我が国ではなく、あなたたちだとしたら? 問題を持ち込んだのはそちらということになります」
「まただ。確認しようのない事象ですよ。俺たちは、たまたまここに迷い込んで、そして出て行こうとしただけなんです。それでも呼び止めるおつもりで?」
交渉が強引すぎる気もするけど。
島村さんも島村さんで頑固だった。
「分かりました。ではこうしましょう。私たちは、皆さんを客人として迎える。そして皆さんは、私たちに旅の出来事を伝える。水と食料、それに寝る場所も提供いたします。これでどうです?」
「罠かもしれない」
「私が逆の立場でもそう思います。ただ、信用していただくほかない。もし不安でしたら、その銃を私に突き付けてくださって結構です。この場にいる男たちは私の部下ですから、あなたが発砲しない限り、戦闘にはならないと思います」
なかなか堂々としている。
玉田さんはポケットへ銃を戻した。
「参りましたよ。マナーよくいこうって言ったのはこっちですからね。ただ、決定権はうちの姫サマにある。彼女が首を縦に振ったら応じましょう」
玉田さんも、誰がリーダーなのかよく理解しているみたい。
結構なことだわ。
私は少しもったいぶって応じた。
「そうね。構わないわ。招待されてあげる。プリンセスなんだから、国賓待遇でお願いね」
おじさんたちは唖然としている。
なにもおかしなことは言っていないのに。
(続く)




