8.夜の少女
「はあ……」
とりあえず今日はここで寝ろ、と案内された聖騎士の宿舎の一室で、あたしは深い溜め息を吐いて肩を落とした。
あの後、聖騎士達が精霊を操るのを見せてもらった。箱に入った枯れ枝に火をつける者、箱の中の葉っぱを手を触れずに浮かせる者、箱いっぱいの土を人型にして動かす者など、それぞれに得意不得意はあるようだが、皆立派に精霊の力を使っていた。
あたしはあの文字が読めない。文字が読めないのだから、彼らが唱える呪文を聞いて覚えようとしたのだが、聞き馴染みのない言葉な上、早口で唱えられるから何て言っているのかさっぱりわからない。ゆっくり喋ってくれとお願いしたのに無視された。いじわるだ。
アレクはことあるごとに罵倒してくるし、ティルトはあの後一言も喋らなかった。躾の行き届いた聖騎士達は団長副団長の前では一切侮蔑の言葉を漏らさなかったが、態度からはありありとあたしを馬鹿にしているのが伝わってきた。
「はあ……」
あたしはベッドに腰掛けて溜め息を繰り返した。
昨日の朝は幸せだったな。師匠はドレスとブローチを貰って、街へ連れて行ってもらって。
でも、街で師匠とはぐれて、魔物に襲われて聖騎士に殺されそうになって、師匠は置いていかれて、牢屋で目が覚めて、国王に謁見して、聖騎士を森まで案内して、師匠の手紙を読んで、魔王の姿を見せられて、聖騎士団に入団した。
いや、濃いな。なんだ二日間。よく体力もったな、あたし。
「ふぅ……」
疲れているのに、眠れない。
師匠はあたしに精霊王になれと望んだけれど、あたしは精霊使いの才能がないらしい。精霊が使えないと知れたら、国王もあたしの聖騎士団入団を取り消すかもしれない。
そうしたら、あたしはどうなるのだろう。
魔王の娘として処刑される、ということはないと思いたいけれど。
だって、おそらく国王は、あたしにローレライの血が流れているから期待したのだ。精霊王だったローレライと同じ力を使えるのではないかと。それが使えないとなったら、利用価値がないと切り捨てられる、きっと。
考え込むうちに、自然と顔が俯いていく。肩より首が下がったところで、あたしははっと我に返った。
いかんいかん!落ち込むなんてあたしらしくない!
出来ないなら、絶対に出来るようになってやる。あたしは絶対に精霊王になって、師匠と再会するんだ。
明日からは、聖騎士にびったりひっついて呪文を聞き取ってやる。聞き取れるまで放さない。覚悟しろ。
あたしはふん!と気合いを入れて窓の外を見た。丸い月が空に輝いていて、とても明るい夜だ。
気分転換に外の空気を吸ってこようかな。そうしたら、きっと、眠れるだろう。
あたしはベッドから立ち上がり、そっと部屋を出た。
廊下は静かで、いくつもある部屋の扉の向こうからも声は聞こえてこない。皆、もう眠ったのだろうか。今日はティルトもアレクもここに泊まると言っていたから、どこかにいるはずだ。団長と副団長という立場からすると、違う階に専用の立派な部屋があるのかもしれない。
そんなことを考えながら、あたしは宿舎の外に出た。夜風が思ったより冷たかったけれど、そのおかげで頭がしゃっきりした。
少し宿舎の周りを歩いてから、部屋に戻ることにした。ゆっくりと歩いていくと、小さな古井戸があるのが見えた。宿舎の入り口のところに立派な井戸があったから、これは今は使っていない井戸なのかもしれない。
あたしは井戸の中を覗いて目を凝らしてみた。底の方に水が溜まっているらしき鈍い光が見えるが、ほんの僅かな水嵩しかなさそうだ。枯れ井戸なのかもしれない。
あたしは井戸の中を覗きながら、不意にあの少女のことを思い出した。
ティルトとアレクの目には映っていなかったという少女。そういえば、確かに髪が青かったり、いきなりふっと消えたりと、怪しい部分があった。
しかし、なんであたしの目にしか見えなかったのかは知らないが、彼女がやったことがあたしがやったことのように思われているのは困る。まあ、呪文が読めなかったのだから、水を操ったのはあたしじゃないとティルト達もわかっただろう。
あの子みたいに精霊を操ることが出来れば、精霊王になれるのかな。
そうだ。あの子を見つけて、精霊を操る呪文を教えてもらえないかな。
ティルト達は知らないって言ってたけど、あれだけ精霊が使えるなら、やっぱり聖騎士団に所属している子なんじゃないだろうか。捜せば見つかるかもしれない。
「よし!あの子を捜そう!あの子みたいに、水を自由自在に出せるようになるんだ!」
あたしは決意を込めて拳を握り、部屋に戻ろうと踵を返しかけた。
その時、ぴちゃんっと水音がした。
真後ろの古井戸から聞こえたその音に、あたしは何気なく振り向いた。
『あー!やっぱりローゼンだ!こんばんは!』
古井戸からひょっこり顔を出した青い髪の少女が、あたしに向かって身を乗り出してきた。あたしは悲鳴を飲み込んだ。
「な……な……っ」
『え?あれ?』
あたしがわなわなと震えているのを見て、少女も驚いた顔をした。
『え?……もしかして、あたしの姿が見えてる?』
自分を指さして尋ねてくる彼女に、あたしは勢いよく首を縦に振った。
『うそ!すっごーい!ローレライだってあたし達の姿を見ることは出来なかったのに!』
少女ははしゃいだ声を上げた。
『びっくりさせちゃった?あたしを探してるような気がしたから、来ちゃったんだけど』
少女は井戸から抜け出すと、あたしの前で立ってにっこり微笑んだ。
あたしとそう変わらない歳の少女だ。でも、この子今、井戸の中から出てきたぞ?
「あ、あんた、何者?」
『何言ってんの?あたしはアクアよ』
少女は小首を傾げて名乗った。
「アクア……」
『そうよ、ローゼン』
「なんで、あたしの名前……」
『あら?七年前に一度会ってるじゃない』
アクアと名乗る少女の言葉に、心当たりのないあたしはぶんぶん首を横に振った。
だって、あたしは昨日街に降りるまで、師匠と二人きりで森の奥で暮らしていたのだ。女の子と知り合いになったことなどあるわけがない。
「何かの間違い……」
『池に落ちた時に、あたしを呼んだじゃない』
アクアはぷうっと頬を膨らませた。
『助けてーって。だから、あたしはすぐに駆けつけて、池の水を持ち上げて助けてあげたのよ。忘れちゃったの?』
池に落ちた時って、もしかして八歳の時に池に放り込まれた時のことだろうか。あの時はびっくりして水を飲んじゃって、気づいたら師匠の膝枕で寝てたから、師匠が助けてくれたんだと思っていたのだけれど。いや、落としたのも師匠だけれど。
『あの時はびっくりしたわ。ローレライに呼ばれたのかと思って慌てて駆けつけたのに、呼んだのは小さな女の子だったんだもの』
アクアはにこにこと懐かしそうに目を細めた。
ローレライって……あたしの母親のこと?
「呼ばれたって……」
あたしが呆然と呟くと、アクアはぱちぱちと目を瞬いた。今気づいたけど、目も真っ青だ。肌が透き通るように白くて、ふんわりと広がる水色のドレスを着ている。まるで、妖精みたいだ。
そう、妖精……
古井戸からいきなり現れたり、池に落ちたあたしを助けたとか言ったり、まるで……まるで、人間じゃないみたいだ。
人間じゃないなら、彼女は、もしかして。
「み、水の……」
『そう!あたしは水の精霊アクアよ』
あたしの震える声に、アクアは楽しそうに答えた。