28. 火中
火が出ているのは宮殿の南棟だった。
駆けつけた聖騎士達が水を出して火にぶつけているが、火の勢いが強くて消火には至っていない。
「アルガン!」
「はい!」
ティルトに命じられて、アルガン君が走りながら呪文を唱える。彼がかざした手の中に水が生まれる。アルガン君はそれを放るような仕草をした。アルガン君の手から放れた水の球が、ぶわっと大量の水を溢れさせながら火の中に飛び込んでいく。
他の聖騎士達とは明らかに水量が違う。使える水の量には個人差があるらしい。
しかし、アルガン君が生み出した水も炎の勢いを少し弱めるぐらいの威力しかない。
炎は三階から上がっており、上階にも燃え広がっているようだった。
「なんで、後宮に火の気なんかないのに……」
ついてきていたアデライトが、息を切らしながら呟いた。
確かに、後宮には人気も火の気もいっさいなかった。それなのに、なんでこんな大きな火事が起きたのだろう。
アルガン君が土の精霊を使って足下の地面を盛り上がらせて、三階の窓から水を叩き込んだ。
「―――!?」
その表情が、驚愕に彩られる。
「団長!」
アルガン君が聖騎士達に指示を飛ばすティルトに向かって叫んだ。
「中に子どもがっ―――子どもがいますっ!!」
その場にいた聖騎士達が、声をなくして振り向いた。
「間違いないかっ!」
「三階ですっ!!」
アルガン君がおそらく子どもがいるという部屋に向かって水をぶち込む。
「生きてるかっ!?」
「二人、倒れてますが、一人は動いてます!!」
「三人も……?」
「子どもがなんでこんなところに……」
ざわざわと、集まってきた人々がどよめく。
「アルガン!火は消せるか!?」
「無理です!火の勢いが強すぎて……子どもの周りに火が届かないようにするのが精一杯です!」
「それでいい!水を使える者はアルガンを助けろ!他の者は井戸から水を運べ!ユーシス!市中警備に出ている第一、第十、第十二聖騎士団を呼び戻せ!」
ティルトの張り上げた声が響く。アレクも呪文を唱えながら飛び出していく。
「そんな……なぜ……」
厳しい顔つきで炎を睨む大司教の横で、チルマンが呆然とした表情で地面に膝を突いた。
聖騎士達が頑張っているが、炎はなかなか勢いを弱めない。
消さなきゃ。早く。
あたしは皆から少し離れるとすうっと息を吸い込んで、震えそうになる声を落ち着けて歌った。
アクア、アクア。助けて。お願い。
念じながら歌うと、すっと冷たい腕があたしの首に巻き付けられた。
「アクア!」
背後からあたしに抱きつく水の精霊は、冷たい目で燃えさかる炎を睨みつけていた。
「アクア!お願い、火を消してほしいの!アクアの力なら……」
『嫌よ』
「火を消し……え?」
言葉の途中で拒否され、あたしは思わず目を見開いた。
アクアはあたしから離れて、空中にふわりと漂った。
『嫌よ。あたしはローゼンを陥れようとする人間なんか、助けるつもりはないわ』
アクアは本気のようだった。あたしは絶句して彼女の青い瞳を見つめた。
確かに、アクアは人間を嫌いだと言っていた。でも、このままだと子どもが死んでしまう。
「お願いアクア、力を貸して!中にいるのは子どもなの!」
『知っているわ。子どもの一人が、呪で火をつけたのよ。自業自得じゃない。なんで助けなければいけないの?』
「え……?」
呪で火をつけた……って、これは付け火で、火をつけた子ども達が逃げ遅れて取り残されたの?
なんで、後宮で付け火なんて……
そこまで考えて、あたしははっと額に手をやった。あたしの脳裏に、石を投げてきた三人の子どもの姿がよみがえった。
この国から出て行けとわめいていた子どもが、まさか、あたしを追い出すために?
『自分で火をつけておいて、ローゼンのせいにしようだなんて。おまけに自分で力を扱えずに火に巻かれて。そんな人間、勝手に死んでしまえばいいのよ』
アクアの声が耳を打つ。あたしは愕然として立ち尽くした。
あたしに覚悟がない、と、アデライトもクローラリア大司教もあたしを責めたけれど、覚悟なんてあったって無駄じゃないの?付け火してまであたしを追い出したいんだよ、この国の人達は。
あたしが何をしようと、この国の人達はあたしのことを魔王の娘で悪しき魔物だと思っているんだ。
『人間なんか放っておきましょう?大丈夫。ローゼンにはあたしがいるわ。あたし達精霊は、ローゼンの味方よ』
優しい声でアクアが言う。
あたしはそれに、頷きそうになった。
その時、「ぐうぅっ」と唸る声が聞こえて、アルガン君が膝を折って苦しげに顔を歪めているのが目に入った。
何度も呪文を唱え直しているようだが、生み出す水の量が減っている。大量の水を放出し続けて、体力が限界なのかもしれない。
火はまだまだ消える気配を見せない。
このままアルガン君が力尽きれば、中に残された子ども達は―――
「……アクア。あたしのことは好き?」
炎を見つめながら、あたしはぽつりと尋ねた。
「あたしを好きでいてくれるなら―――許してね」
そう告げて、あたしは地面を蹴って走り出した。
『ローゼン!?』
アクアの声が追いかけてくるが、足を止めずに後宮の入り口を目指す。
「おい!?」
消火作業している誰かが呼び止めよう手を伸ばしてきた。それもかわして、あたしは後宮の中に飛び込んだ。
「ローゼン!?」
ティルトの声が、聞こえた気がした。
熱い。入り口付近にはまだ火が延びてきていないようだけれど、空気は熱くて息が苦しくなる。
『ローゼン!!』
中に進もうとしたあたしの前に、アクアが現れて立ちはだかった。
『どうしてなの!?』
アクアは泣きそうな顔をしていた。
『どうして、人間なんかのために……っ』
「違うよ」
あたしはゆるゆる頭を振って否定した。
「あたしは、あたしのために、こうするの」
『ローゼンのため……?』
「そう」
あたしはアクアに向かって、にっこりと微笑んでみせた。
「師匠と再会した時に、胸を張って向き合えるように。「ローはいい子にしてました!」って言えるように、頑張っておきたいの」
もしも師匠がここにいたら、あたしにどうしろって言うだろう。もしかしたら、アクアと同じように「放っておけ」と言うのかもしれない。
でも、今は師匠はいないから。
あたし自身が、どうしたいか考えなくてはならない。
「お願いアクア。あたしに、力を貸して。あたしのために」
あたしはまっすぐにアクアを見つめて懇願した。
アクアはきゅっと口を引き結んで、それからかくりと肩を落とした。
『……わかったわよ。ローゼンは大切な子だもの』
アクアが片手を振り上げて、建物の外からごごご、と重低音が響いた。それから、アクアはあたしの体の回りに水で壁のようなものを作った。
『行っていいわよ。あたしが火を消しておくから』
「ありがとう!」
あたしはアクアに礼を言って、三階を目指して走り出した。
一階はまだそれほどひどく燃えていない。あたしの周りの水の壁が熱い空気を冷やしてくれて呼吸も出来る。
あたしは三階まで駆け上がり、子ども達がいる部屋を探した。
「どこ!?どこにいるの!?返事して!」
あたしはアルガン君が水を打ち込んでいたと思われる方向の部屋を探した。三階は燃え方が激しくて、水の壁があるとはいえ、流石に自由には動けない。オレンジの光が視界を覆って、暑さに頭がくらりとする。
「……いけない。急がないと」
アクアが火を消してくれているはずだが、子ども達の状態がわからないので気が焦る。怪我はしていないか、煙は吸い込んでいないか。
悪ガキどもめ。悪さをしたのだから、ちゃんと叱ってやらなくちゃいけない。
あたしを追い出したいなら、正々堂々と向かってこい。
こんな、周りにも自分にも危険なやり方は、絶対に駄目だ。
あたしは扉の開いた部屋を見つけて駆け寄った。戸口から覗き込む、と、炎の向こうに、小さな三つの塊が見えた。
あたしは躊躇わずに炎の中に足を踏み入れた。アクアの水の壁はあたしを守ってくれる。
部屋の真ん中に倒れた子ども達は、意識がなくぐったりしているようだが息はしていた。
「よかった……」
呟いたのとほぼ同時に、割れた窓から水が流れ込んできて室内を燃やしていた火を消してくれた。
水は自由自在に空中をうねり、炎を消していく。
「ありがとう、アクア……」
これでもう、大丈夫だ。
あたしはほっと安堵の息を吐いた。
その瞬間、
メキメキメキッと、耳障りな音がして、子ども達の真上の天井が崩れ落ちてきた。
「―――っ」
しまった。火はアクアが消してくれるからと、油断していた。
死ぬ。
師匠。
まだ会えていないのに。
落ちてくる天井を、なす術なく見上げた。
だが、突然目の前に現れた人影が、落ちてくる天井を剣の一振りで―――正確に言えば剣にまとわせた風の威力で―――凪ぎ払った。
あたし達の上に落ちてくるはずだった天井は、幾片かの瓦礫になって四方八方に飛び散った。
「……あ」
剣を構えたダンディが、こちらに背を向けて立っていた。
ダンディは剣を鞘に収めると、一言も口を利かずに倒れた子ども達を抱え上げた。
「リーヘルト卿!」
「ご無事ですか!」
わあわあと人声と足音が聞こえてきて、聖騎士達が駆けつけてきた。
ダンディの手から子どもを受け取って、聖騎士達が外に運び出していく。
それを見守って、あたしはほーっと息を吐き出した。




