20. 初代
あたしは聖騎士団の訓練場を抜け出して、宿舎の古井戸へ駆けていった。
「……アクア」
古井戸の中に向かって呼びかけ、歌う。
すると、水音が跳ねて井戸の中から青い髪の少女が現れた。
『おはよー、ローゼン』
きらきらと水滴をまとわせて微笑むアクアだが、あたしがへにゃりと眉を下げているのを見ると可愛らしく小首を傾げた。
『なにかあったの?』
「相談があるんだけど……」
あたしは事情を説明し、アクアの負担にならない呼び出し方を教えてほしいとお願いした。
『そんなこと気にしなくていいのに』
「だって、アクアは勝手に力を使われるの嫌がっていたし、大した用事じゃないのに呼び出されたら腹が立つでしょ?」
それに訓練の時は他の聖騎士達も周りにいるから、アクアに話しかけられない。呼び出して力貸してもらっておいて無視とか、あまりにも失礼だろう。
『ローゼンなら、いつ呼ばれても喜んで力になるわ!』
アクアは心からそう言ってくれているのだろう。
あたしが、ローレライの娘だから、アクアはあたしの味方をしてくれる。
でも、あたしはローレライじゃないし、精霊のこともよく知らない。
「……ねぇ、アクア以外の精霊ってどこにいるの?」
『さあねぇ。皆好き勝手にどこかにいるわ。ローゼンが呼べば来るわよ。歌えばいいのよ。火の精霊を呼ぶ歌。風の精霊を呼ぶ歌。土の精霊を呼ぶ歌』
アクアはそう言うが、あたしはそんな歌知らない。アクアを呼んだ時だって、ほとんど無意識で、気がついたら口ずさんでいただけだ。
そもそも、なんで知らないはずの歌を歌えたんだろう。
精霊を呼ぶ呪文は精霊言語と呼ばれている。人間の言葉とは違って、聖騎士達にも意味はわからないらしい。それなのに、それを読める人間と読めない人間がいる。
あたしは文字を読めないし、呪文は唱えられない。それなのに、歌は歌える。でも、精霊言語がわかる訳じゃない。
「ねぇ、なんで精霊言語がわからないのに、それを読める人と読めない人がいるの?意味がわからないのに、なんで読めるの?」
あたしがそう尋ねると、アクアの顔からすぅっと表情が消えた。
突然の変化に、あたしはどきりとした。
『……精霊王様のお力よ』
冷たい声でアクアが言った。
精霊王って、ローレライのこと?いや、精霊王様なんて呼び方、アクアは今までしていない。ローレライじゃない精霊王のこと?でも、アクアはローレライ以外の人間は嫌いって言ってたのに。
「精霊王様って、誰のこと?」
『……この国の礎とされた御方よ。この国には、あの御方の気配が満ちている』
アクアの声は静かに澄んでいた。
この国の礎って……
首を傾げたあたしの脳裏に、アレクの台詞が蘇った。
初代精霊王が、この国全体に結界を張ったと伝えられている。確かそう言っていた。
「ひょっとして、初代精霊王のこと言ってるの?」
あたしが言うと、アクアはすっと目を細めた。その青い目が冷たく光ったような気がして、あたしは何故かぞくっとした。
でもそれは一瞬で、アクアはぱっと花が咲くように笑った。
『そうよ。あの御方の気がこの国の水風火土に宿っているの』
「500年も前の人なのに……?」
『あの御方の力ならば、どれだけ時間が経っても消え去ることなどないわ』
アクアは胸を張って自慢するように言った。
そんなにすごい力の持ち主だったのか。初代精霊王って。
でも、精霊の言葉を読める人と読めない人がいるのが初代精霊王の力ってどういうことだろう。
『この国には精霊王様の気が満ちている……この国で生きる人間は、この国の水風火土から常に精霊王様の気を受け取っているのよ。その精霊王様の気に馴染んだ人間の中に、時折私達の言葉の一部を読める者が生まれるの。別に理解している訳じゃなくて、精霊王様の記憶の一部をかいま見ているだけよ。人間達はそれを聖騎士と呼んでありがたがっているけど』
意外な事実に、あたしはぽかんと口を開けた。
アクアの言うことが真実なら、初代精霊王ってどれだけすごい力を持っていたんだろう。想像もつかない。
だって、この国の聖騎士と呼ばれる者達の精霊を操る力は、初代精霊王の残した力の影響だということだ。
「じゃ、じゃあ、あたしやローレライも、初代精霊王の記憶の一部が移って、知らない歌を歌えるってこと……?」
『そうよ。でも、あなたは特別。ローレライも特別だったけれど、あなたはもっと特別だわ。ローゼン』
アクアはそう言って、ふわりと浮かんであたしの顔を覗き込んだ。
『もっと思い出して、精霊王様の記憶を。あなたなら、思い出せる』
アクアはそう囁いた。
肩に置かれたアクアの手が冷たくて、あたしはふるりと震えた。
アクアは、あたしに初代精霊王の記憶を思い出してもらいたいのかな。初代精霊王をとっても慕っているみたいだし。
でも、ーーー何だろう。何か、違和感を感じる。
アクアは人間に勝手に力を使われるから嫌いで、ローレライのことは好き。両者の違いは、強制力のある呪文か、呼びかけの歌かで……その呪文を読めるのは初代精霊王のこの国に染み込んだ気配を取り込んで記憶をかいま見たから……いや、おかしい。
アクアは呪文で操られるのを嫌っているのに、その呪文を読めるのが初代精霊王の記憶のおかげだなんて。それじゃあ初代精霊王もその呪文を使っていたってことになるじゃないか。でも、アクアは初代精霊王のことは慕っている。
アクアは人間が呪文を使うのを嫌がっていたじゃない。初代精霊王もその呪文を使っていたんじゃないの?
そう尋ねようとしたが、その前に背後から不機嫌な怒鳴り声が聞こえてきた。
「テメェ!こんなとこで何やってんだ!?」
襟首をひっつかまれてぐいーっと立たされる。アレクが猫の子を捕まえるようなやり方であたしを引きずった。
「ちょろちょろすんじゃねぇよ!魔物の癖に!」
一瞬アレクに気を取られた隙に、アクアの姿は消えてしまっていた。
あたしは引きずられていきながら、アクアのことを考えていた。
アクアは人間が嫌いで、ローレライと初代精霊王のことは好き。あたしのことを、何故か「特別」という。
今わかるのはそれだけだ。
もっとちゃんと話したいな。
あたしは知らないことだらけだから、精霊王になるためには、きっともっと精霊のことを知らなくちゃいけないはずだ。
「おい、聞いてんのか?」
「うん……」
あたしはアレクの顔を見上げた。
アクアが言っていた、精霊言語が読める理由ーーー初代精霊王の気配に馴染み、その記憶をかいま見ているだけーーーというのは、聖騎士達には言わない方がいいんだろうな。
なんでそんなこと知っているって聞かれても答えられないし。
「アレクは初代精霊王のこと知ってる?」
「あん?」
尋ねると、アレクは不審げに眉を歪めた。
「当たり前だろ。この国の者は皆、死の精霊との戦いの伝説を聞いて育つんだよ。初代国王キンバラルが死の精霊を倒し、初代精霊王は命を落としたが、残した結界は今でもこの国を守ってる」
「うーん……もっと詳しく知ってる人っていない?」
「はあ?そりゃ、聖職者ならもっと詳しく知ってるだろうが……おい、何企んでる?」
アレクが眉間に皺を寄せて凄んできた。人聞きが悪いな。何も企んでないってば。
「言っておくけど、大聖堂や大司教達に近寄るんじゃねぇぞ。お前を処刑しようと狙ってる連中も多いんだからな」
そうだった。あたしは悪しき魔物だと思われてるんだった。考えてみれば、ティルト、アレク、国王ぐらいしかまともに会話した相手がいない。
なら、やっぱりアクアに聞いた方がいいや。ティルトやアレクに訊いたら何か企んでるって勘ぐられそうだし、国王においそれと質問する訳にはいかないし。
……いや、でも、大司教には一度話を聞いてみたいな。あたしが、大聖堂で倒れた時のことについて。
それに、聖職者なら初代精霊王についてもきっとよく知っているはず。
アクアの意見はあくまで精霊の方から見た話だし、人間としての初代精霊王がどういう風に伝えられているのか聞いてみたい。
アレクと共に訓練場に戻りながら、あたしはそう決意した。




