17. 名前
馬車の中の雰囲気が重苦しい。
あたしの隣にアレクが座り、向かいには腕を組んで黙り込んだダンディが座っている。ティルトはダンディの隣だ。
ちょっとダンディとティルト位置変わってくれないかな。あたし、ダンディの真正面はものすごく気まずいんだけど。
ダンディは眉間に皺を寄せて何かを耐えるように目を閉じている。間違っても話しかけてはいけない雰囲気だ。
居たたまれなさすぎるので、あたしはつと視線を馬車の小さな窓に向けた。外の様子が見える。あたしはなんとなく街並みを眺め、通り過ぎる店や通りの看板を読んでみた。
ユーディンカ通り、マルスナー通り。キルケンヌ商会。ツヴァイラック鋳造。みんな名前がある。
あたしの名前はロー。
でも、呼んでくれる人も、呼ばれたい人も、今はいない。
あたしはそっと目を閉じた。
***
使用人達から恭しく「おかえりなさいませ旦那様」と出迎えられるダンディの姿に、あたしは「本で読んだ通りだ……っ」とリアル貴族の日常を目にして勘当に震えた。
「おかえりなさいませ、あなた」
明らかに使用人ではない気品を身につけた婦人が現れ、ダンディに歩み寄る。
ダンディの奥様ーーーつまりティルトのお母上だ。
美人ではあるが、そう目立つ容姿ではない。着ているドレスも色味が抑えられ装飾も少なく、地味な印象を受ける。
してみると、やはりティルトは父親似なのか。惜しかったな、あたし。あと一歩で天使の容姿が手に入ったかもしれないのに。おのれ、魔王。よくもローレライをたぶらかしたな。
「あなた、こちらが……」
「ああ。ローレライの……」
ダンディと奥様がこちらにちらりと視線を寄越すのを、あたしはティルトの背中に隠れてまごまごやり過ごす。身分の高い御方から声をかけていただくまでは自分から喋りかけてはいけない、という常識ぐらいは一応あたしも知っているのだ。いや、ティルトやアレクやアデライト嬢に対してはいろいろやらかしたり無礼な口ききまくったりしてるけどね。
「ルイーゼ・ライアラル・リーヘルトよ。ローランス・ジークフリート・リーヘルトの妻です」
「あ、は、はい。初めまして」
あたしはスカートを摘んでぺこりと頭を下げた。貴族様みたいなカーテシーなんて出来るはずもないけれど、お世話になる家の女主人に誠意は見せなければならない。
「……」
「……」
奥様とあたしはしばし無言で立ち尽くす。
「母さん、ローゼン・ローレライ・リーヘルトです。リーヘルト伯爵の姪として扱うよう、陛下が望んでおられます」
「ええ。わかっているわ」
ティルトは後半の方を強めに発言した。たぶん、こちらを見てこそこそ囁き合っている使用人達に聞かせようとしたのだろう。
「お部屋に案内してあげなさい」
奥様は身を翻してダンディと共に歩み去っていった。
奥様の反応は当たりさわりなく、といった感じだったな。あたしのことを怖がっている風でもない。魔王の娘と怯える訳でも下賤の娘と蔑む訳でもない。さすがは伯爵夫人。立派な態度といえよう。
しかし、使用人達からはあたしを見て恐怖を感じているのがひしひしと伝わってきた。
『なぜ、魔物がここに……』
『伯爵家に魔王の娘を入れるなど……』
と、囁き交わす声が聞こえてくる。
「こっちに来い」
ティルトが足早に廊下を歩く。あたしはそれを追い、アレクも少し離れてついてくる。
階段を上がり二階の一室に案内され、「ここを使え」と言われた。
「え?あたし、階下でいいけど」
物置とか庭の隅の小屋とか、良くて騎士の宿舎の一室のような簡素な部屋を想像していたあたしは、大きなベッドや立派な調度の設えられた貴族的な部屋に戸惑ってティルトを振り返った。
というか、伯爵家に居座ることになるのなら、使用人扱いされるべきだろう。師匠をみつけるまでは、聖騎士団に身を置かなくてはならないのだから、そのためなら掃除でも洗濯でもなんでもやる。
「魔王の娘を階下に突っ込んだりしたら、使用人が逃げ出すだろうが」
「あ、そうか」
魔王の娘で外見がそっくりということで、怯えられるのは仕方がないとも思うのだが、あたし自身は普通の人と何も変わらないのになぁとちょっと悲しくなる。水の精霊の姿は見ることが出来るけど、それ以外に特別な能力とかはないし。
「そこにとりあえず用意させたドレスが入っている。じきに夕食の時間だからそれまでに着替えろ。後で呼びにくる」
ティルトは立派な衣装ダンスを指さして言う。
「待って!夕食って、一緒にとるの……?」
「当たり前だろう」
「あたしは階下で……って、階下は駄目なのか。じゃあ、どっかその辺のじゃまにならないところで……」
「何か必要なものがあったら俺かアレクに言え」
ティルトはあたしの提案をばっさり無視した。
「使用人にはお前からは話しかけるなよ。無駄な騒ぎは起こしたくない」
それには素直に頷いた。あたしが話しかけてもたぶん怯えられるだけだろうし。
「じゃあ、後でな」
ティルトは簡単に屋敷内の説明をして部屋から出ていった。
あたしはきょろりと室内を見渡して、森の家とはまったく違う内装の豪華さに溜め息を吐いた。
とりあえず、着替えなければならない。本当に開けていいのかと迷いながら、おそるおそる衣装ダンスを開けると、華やかな色合いのドレスが数着掛けられていた。赤、黄、水色、白、ピンク。
こんな綺麗な色のドレスを着て、伯爵家の皆様と食事をとるの?あたしが?
場違いというか、分不相応だ。こんな綺麗なドレスを着て優雅に食事などとりたくはない。
あたしは持ってきた自分の荷物の中から、着慣れたシャツとスカートを取り出した。
生成のシャツに紺色のスカート、灰色のカーディガンを羽織って、部屋の隅の姿見の前に立つ。
そこにいるのはいつもの、森の家のロー。
そう、これがあたしだ。
魔王の娘とか、ローレライの娘とか、そんなの関係ない。
あたしは、あたしだ。
***
しばらくして、呼びに来てくれたティルトはあたしの格好を見て眉をひそめたが何も言わなかった。
ティルト自身は聖騎士の制服から上等な絹地の黒いジャケットに着替えていた。襟と袖口から手触りの良さそうな白シャツが覗いている。シンプルな格好だが、このまま街を歩いただけで乙女達が失神しそうな美少年ぶりだ。
ティルトの後について食事をとる広間に入ると、ダンディ夫妻とアレクは既に席に着いていた。
ティルトに背中を押されてアレクの隣の席に座らせられる。途端に、傍に控える使用人達の侮蔑の声が耳に入った。
『まあ……なんてみすぼらしい格好』
『ローレライお嬢様とは似ても似つかないわ』
そうか。ローレライのことを知っている使用人もいるのか。
あたしがもしもローレライにそっくりだったら、彼らはあたしを受け入れたのだろうか。無理だろうな。魔王の娘なんだもの。
やがて運ばれてきた食事はもちろん見たことがないほど豪華だったけれども、あたしにはひどく味気なく感じられた。
師匠と二人だけの食事を思い出して、温かな記憶で胸を慰めることしか出来なかった。




