15. 火種
誰かと手をつないでいた。
その誰かと一緒に行けることが、連れて行ってもらえることが嬉しくて、嬉しくて。
でも、その手が離されてしまう。
ああ。いやだ。やめて。
お願い。
ここから出して。
***
不思議な夢を見た気がして、ぼんやりしながら目を開けた。
「起きたか?」
「……天使?」
「寝ぼけてんのか」
あたしは目をぱちぱち瞬いた。
見覚えのある部屋にいることに気づいて、ゆっくりと身を起こす。昨日も泊めてもらった宿舎の部屋だ。
「覚えているか?」
ティルトに尋ねられて、大聖堂で倒れたことを思い出す。
「……なんか、大聖堂に入ったところから気分が悪くなっちゃって」
あたしは誤魔化すように頭を掻いたが、ティルトは無表情に深刻さを滲ませてあたしを見た。
「まずいことになったぞ」
「え?」
「お前は聖堂で「出して」と叫んで気絶したんだ。神聖な場所にいられないのは悪しき魔物である証拠だとクソ共が言いふらしてる」
「あー……」
ティルトの言葉に、あたしは肩をすくめて唸った。
そっかー。そうなっちゃうよね。
ていうか、本当にそうなのかな?あたしって、神聖な場所に立ち入れない体質なの?
「それから、「ディード」という名に心当たりは?」
「ん?
ディード?誰それ、知らない。
あたしが首を傾げると、ティルトが怪訝そうな表情で睨んできた。
「お前は倒れる直前、「ディード」と叫んだだろうが」
「え……そうだっけ?」
ここから出して、と喚いたことは覚えているが、「ディード」という名には心当たりも呼んだ覚えもない。そもそも、王都に来るまでは師匠以外の人間を見たことがなかったのだから。
昔読んだ物語の登場人物にもそんな名前の人物はいなかった気がする。いくら思い返しても、知らない名前としか言えない。
あたしがそう告げると、ティルトは疑わしげにあたしを睨んだ後で、肩をすくめて煩わしそうな溜め息を吐いた。
「ねぇ、あたしはリーヘルト家とは関係ないって言った方がいいんじゃない?そもそもローレライが魔王と逃げて勘当されているなら、その子供の面倒をみる義務はないでしょ。あたしは別にリーヘルトと名乗るつもりはないし」
真剣に事態の悪化について頭を悩ませているらしきティルトに、そう申し出てみる。
あたしのせいでティルト達まで立場が悪くなったりしたら申し訳ない。
そう思って言ったのだが、ティルトはくだらないとでも言いたげに眉をしかめる。
「陛下がお前をローゼン・ローレライ・リーヘルトと認めた。お前を野放しにすれば魔王軍に利用される恐れがあるのも確かだ。俺達はお前を見張ってるんだ。リーヘルトに迷惑をかけたくなきゃ大人しくしてろ」
そう言われるとぐうの音も出ない。
あたしが黙り込むと、部屋の戸がノックされてアレクが顔を出した。
「ティルト」
「戻ってきたら陛下の元へ連れて行く。準備しておけ」
アレクに呼ばれたティルトはあたしにそう言いおいて、部屋から出ていった。
あたしはベッドから足を下ろして、溜め息を吐いた。
なんだったんだろう、あの夢。
誰かが、出してと叫んでいた。
あの声からは深い悲しみと、ーーーそれ以上に強い怒りを感じた。
あたしはぞくりと身を震わせ、心細くなって小さな声で歌った。
『ローゼン?』
何もない空間に、ふわりと青い髪の少女が現れる。
『どうしたの?』
心配そうに尋ねてくれるアクアに、あたしは思わず尋ねた。
「ねぇ、アクアはあたしのこと、人間だと思う?魔物だと思う?」
魔王が父親だと言われた時も、アレクにいくら魔物呼ばわりされても、平気でいられたのはあたしはあたしだっていう自信があったからだ。
でも、聖なる場所であんな風におかしくなってしまった後では、自分に何か普通の人とは違う部分があるんじゃないかと心配になってしまう。魔王の娘だから、魔物みたいに聖なる場所に立ち入れないのではと、不安になる。
『どちらでもないわ』
アクアはふるふると首を横に振った。
『あたし達の目には、もっと特別な存在に見えるの。ローゼン、あなたは特別な女の子なのよ』
アクアは真剣な表情で、言い聞かせるように言う。
あたしは目を伏せた。
「特別じゃないよ。あたしはただの女の子なのに……」
何も知らずに森で暮らした十五年が胸に蘇ってくる。
師匠。師匠と一緒に暮らしていた時は、こんな不安になることなんてなかったのに。
師匠がここにいれば、きっと「大丈夫だロー」って言って、頭を撫でてくれるのに。
あたしは俯いて師匠の笑顔を思い出した。
その時、
『火!』
アクアが叫んだ。
「え?」
『部屋の外よ!ローゼン!』
アクアが部屋の戸を指さしてあたしを促す。
あたしは慌てて立ち上がって部屋の戸を開けた。
足元に熱を感じて、咄嗟に身を引く。戸口が燃えていた。
「なに……?」
『ローゼン!どいて!』
アクアが水を出して、あっさり火を消した。
煙を上げる燃えカスをよく見てみるが、戸や床は焦げただけで大した被害はなさそうだ。小火でよかった。しかし、何故こんなところに火が点いたのだろう。
「ありがとう、アクア」
アクアが気づいて消してくれなければ、もっと大きな火事になっていたかもしれない。
そう考えると、いまさら胸がどきどきしてきた。
あたしが胸を抑えて呼吸を整えていると、廊下の向こうからばたばたと足音が響いてきた。
そちらに目を向けると、血相を変えた聖騎士達がこちらへ向かって走ってくる。
彼らはあたしの部屋の手前で立ち止まると、床の燃えカスを見た後であたしをぎっと睨みつけた。
「この魔物!!」
「え?ちがう、あたしじゃないですよ!」
あたしが火をつけたと思われているらしく、集まってきた聖騎士達は口々にあたしを「魔物」と呼んで逃げ道を塞ぐように取り囲む。
「あ、あたしじゃないってば!」
あたしは声を張り上げて無実を訴えるが、聖騎士達は口々にあたしを罵るばかりで、誰もあたしの声を聞いていない。
「やはり魔物などすぐに殺しておくべきだったのだ!」
「リーヘルト卿に取り入って国を乱すなど、あの魔王の娘の考えそうなことよ!」
「今ここで斬り捨ててくれる!」
何人かの聖騎士が剣を抜いて構える。本気の殺気を感じ取って、あたしは後ずさった。
『ローゼン、こいつら、あたしが追っ払ってあげる』
「……駄目だよ。そんなことしたら、余計に疑われる」
アクアが聖騎士達を憎々しげに睨みつけて言うが、あたしは首を横に振った。
ここでアクアの力で聖騎士達を攻撃してしまったら、あたしは完全に人間の敵の悪しき魔物になってしまう。ティルトや国王陛下も庇ってくれなくなるだろう。
「大丈夫だから……」
恐怖を抑えてアクアをなだめる。アクアは不満そうにしていたが、ふと廊下の向こうに視線をやると一つ息を吐いてすぅっと姿を消した。
アクアが消えると同時に、「何をしている?」と硬い声が響き渡った。
足早に近寄ってきたティルトが眉間に皺を寄せて聖騎士達を睨んだ。
「お前達は一人の人間を取り囲んで剣を抜くのか。それでも誇りある聖騎士か!恥を知れ!」
「しっ、しかし、リーヘルト様!この魔物は宿舎に火をつけ、我々に害を与えようとしたのですぞ!」
「そうです!何故こんな魔物を庇うのですか!」
聖騎士達の間からわあわあと不満の声があがる。
ティルトの後ろからやってきたアレクも、この状況を確認して物言いたげにティルトを見た。
「リーヘルト様!この魔物は貴方様やリーヘルト卿のお優しさにつけ込んで、我々のうちに入り込み悪事を働くつもりなのです!」
「恐ろしい……狡猾で醜悪な化け物ですわ!」
二人の女性聖騎士が、ティルトに駆け寄って懸命に訴えた。食堂で見かけた子達だ。ティルトに憧れているらしく、彼のことを本気で心配しているのが伝わってくる。
だが、ティルトは二人を押しのけるようにしてあたしの前にやってきた。
腰を落とし、床に残った燃えカスを調べる。
「……これを火種にしたようだな」
そう呟いて、ティルトが燃えカスを摘み上げた。燃え残った紙がカサカサと音を立てる。
「こいつは火種なんて持っていないし、魔物ならば紙など燃やさなくとも悪しき力で王宮を火の海に出来るだろう」
ティルトは焦げた紙を握りつぶして言った。
「しかしっ……」
「こいつが何かしたら、リーヘルト家が責任を持って処分する。心配するな」
ティルトは居並ぶ聖騎士達にそう宣言する。
聖騎士達は不満そうな顔をしていたが、ティルトの威厳に圧されたのか口を噤んで引き下がった。
聖騎士達を黙らせたティルトは、あたしの肩を掴んでその場から連れ出してくれた。後ろからアレクもついてくる。
「このまま陛下の元へ行く。大聖堂で何があったのかを正直に説明しろ」
ティルトの硬く強ばった声に、あたしは自分の立場が想像以上に悪いのだと悟って息を飲んだ。




