10.古井戸の水
「なんで、あの魔物を追い出さないんだよ!?」
アレクは静かな無表情で報告書を書き綴っているティルトに食ってかかった。
「あいつは魔物だ!おまけに、精霊使いの才能も資格もないんだぞ?なのに、なんで第十三聖騎士団に入れなくちゃならないんだ!」
不満を訴えるアレクに、ティルトは疲れたような息とともにこう言った。
「うるせぇんだよ、さっきから。何回同じことを言わせるんだ」
ペンを机に置き、ティルトはアレクを睨み上げた。
「あの娘の母親はリーヘルト家の娘だ。本来ならば裏切り者の一族として処刑されるべき俺達は、国王陛下の恩情でなんの処分も下されずに生きてこれた。寛大な陛下への感謝の心を忘れず、陛下の御心のままに忠誠を尽くすのがリーヘルト家の務め」
アレクはぐっと口を噤んだ。
ティルトは椅子に背を持たれかけて、ふっと息を吐く。
十七歳のティルトにはローレライの記憶はない。彼女が魔王と出奔した時はまだ一歳にもならぬ赤ん坊だった。
ただ、幼い頃から父に母に言い聞かされてきた。国王陛下に対する感謝と忠誠を決して忘れてはならないと。
多少成長して事情がわかるようになってくると、国王が下した決断がリーヘルト家にとってどれだけ寛大な処置だったか身に染みて理解できるようになった。国民に対してはローレライの醜聞を隠し、リーヘルト家の体面を守り、ローランスは聖騎士団に所属し続けることを許され、後には聖騎士団長にまで任じられた。貴族の中にはリーヘルト家の処分を求める声も多かったのに、国王がその声を時間を使い説得を繰り返し抑え込んだのだ。
国王がそこまでしてリーヘルト家を守ったのは、リーヘルト家が「六家」のひとつだからであり、代々優秀な聖騎士を輩出してきた実績とローランスの才能が国に必要だと判断したからであろう。
であればこそ、息子であるティルトも聖騎士として国王に尽くす義務があるのだ。
「国王があの娘を聖騎士として扱えと仰せなのだから、それに従うのみ」
「だからってよ……精霊を一つも使えない奴を、第十三聖騎士団に入れておくのは、団員達も不満に思うだろうし」
「そりゃそうだろ。だが、幸いうちの団員には、馬鹿はいても愚か者はいない。内心どれだけ不満でも、あの娘をよってたかって迫害したりはしないだろう」
ティルトは椅子から立ち上がって机に手をついた。
「それに、あの娘は自覚がないようだが、水の精霊を使って火を消したのは確かだ。あれこそがローレライの歌の力だ。お前も見ただろう」
「ああ……」
「あの歌が手に入れば、聖騎士団はこれまでにない戦力を手に入れることになる」
ティルトの言葉に、アレクは納得がいかないように眉根を寄せた。
「確かにそうだがよ。魔王の娘なんて、いつ裏切るかわからねぇし、戦力に数えるのは……」
「歌が戦力になると言ったんだ。あの娘自身を戦力にする必要はない」
ティルトが冷たい声で言い放った。アレクは目を瞬いた。
「いいか。俺達第十三聖騎士団で、あの娘の歌を聞いて覚えるんだ。四大精霊を操る歌を歌わせ、それを俺達で聞き覚える。俺達がローレライの歌で精霊を操れるようになれば、あの娘は用済みだ」
アレクはティルトの顔をまじまじと眺めて息を飲んだ。天使のように美しい顔は、窓から差し込む月の光を受けて冷たく輝いている。
「わかったか。あの娘に、一回でも多く歌わせるのが俺達の役目だ」
「……わかった」
アレクは顔を引き締めて頷いた。
ティルトはそれを聞くと、机から手を離して窓の方へ体を向けた。月明かりがティルトの金の髪を鮮やかに照らし出す。神々しいとすら言えそうな光景に、うちの団員達が見たら涙を流すだろうな、とアレクは思った。
若干十七歳で第十三聖騎士団の団長に任じられたティルトは文句なしに天才だ。加えてこの人間離れした美しい容姿である。聖騎士にティルトの崇拝者が増えていくのは無理もない。
アレクは崇拝者に、こいつ口は悪いし部屋は汚いし鼾もかくぞ、と教えてやるのだが、ティルトを天使と信じて盲目になっている連中はなかなか目を覚ましてくれない。どころか、罵倒されても喜ぶ始末だ。
第十三聖騎士団の団員にはあまり変態化してもらいたくないのだが、最近は手遅れな気もしている。
「……あいつ、何してるんだ」
アレクが聖騎士団の未来に思いを馳せていると、窓の外を見ていたティルトが呟いた。
***
中庭の、今は使われていない枯れ井戸に魔王の娘がいる。
ティルトにそう言われて、アレクはローゼンを部屋に戻すために中庭に出た。
「たく……面倒くせぇ」
ぶちぶちぼやきながら枯れ井戸を目指す。
(こんな夜中に何をしているんだ。魔王の娘が怪しい行動をするな。聖騎士団の宿舎は男ばっかりなんだぞ。危ないだろうが)
よくよく言い聞かせてやらねばなるまいと決心しながら中庭を進んでいたアレクは、目の前に広がった光景に息を飲んだ。
ローゼンが歌っていた。
精霊を操る呪文に似ているが、なんと言っているのか聞き取れない。それでも、これが水の精霊を操る歌だということはすぐにわかった。
水が、空中を飛び交っていた。
枯れ井戸から噴き上がり、夜空にぱっと広がり、地に落ちることなく空中を流れる。
歌うローゼンを取り巻くように、生き物のように水が飛び交っている。
信じられない光景だった。
アレクは呆然と口を開けて、その場に立ち尽くした。
「これが、ローレライの歌の力か……」
窓からその光景を見下ろして、ティルトは呟いた。




