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1.師匠


 気の遠くなるような時の中に取り残されている。

 ただ、孤独に耐えるだけ。

 だけど。


 きっと待てる。

 僕は待てる。



 ***



「やっぱり家出しよう!」


 朝食を食べ終えるなり、あたしは決意をこめて叫んだ。


「食べ終わったらごちそうさまだろう」


 テーブルの向かいに座ってパンを噛みながら、師匠は苦言を呈する。

 躾に厳しい師匠のいつもの注意なのだけれど、今日のあたしはもうそんな言葉では止まれないのだ。


 なんたって、今日はあたしの十五歳の誕生日なのだから!


「止めても無駄ですよ師匠!あたしはもう師匠の言うことに誤魔化される子どもじゃないのです!」


 立ち上がってテーブルを叩き、あたしは師匠に向かって宣言する。


「ローは森を出て、街に行きます!止めても無駄です!」


 あたしの熱い決意を聞いても、師匠は顔色ひとつ変えずに紅茶を飲んでいる。


 むう、さては本気にしていないな。


 あたしは頬を膨らませて育ての親たる師匠を睨んだ。


 あたしの名前はロー。


 生まれた時からずっと、この森で暮らしている。

 親はいない。師匠以外の人間を見たことがない。

 師匠はあたしの両親については何も教えてくれない。幼い頃から、両親について尋ねても「大きくなったらわかる」と言うだけで、名前すら教えてくれない。


 そして、師匠はあたしに「絶対に森から出てはいけない」と言う。


 幼い頃は大人しく言うことを聞いていたけれど、十を越えたあたりから、あたしは街の好奇心が抑えきれなくなった。

 だって、本で読むお話の中では、世界にはたくさんいろんな人がいて、街には大きな建物や綺麗なものや美味しいものがたくさんあるって書いてあるんだもの。

 森での暮らしも嫌いではないけれど、街へ行っていろんなものを見たいと思う気持ちが溢れて止まらなくなったあたしは、師匠の目を盗んで森から脱走しようとした。

 そのたびに、師匠の仕掛けた罠にかかったり落とし穴に落とされたり手刀で気絶させられたり飲み物に睡眠薬を入れられたりして、森の家に引きずり戻されて阻止されてきた。


 いや、ひどくね?

 普通に児童虐待じゃない?


 とっもかくそんな訳で、あたしは十五年間、一度もこの森から出たことがないのだ。


 だけど、あたしはもう十五歳。

 子どもじゃないのだ。

 これまでと同じように止められるとは思わないでほしい。

 言っておくけど師匠、これまでは森に住む世捨て人が身よりのない子どもを庇護しているという微笑ましい立場だっただろうが、この先は立派な成人男性が十五の乙女を森の奥の家に軟禁しているというちょっと危険な感じの立場になっちゃうんだぞ。わかってるのか。


 もちろん、育ててもらったことには感謝しているし、師匠のことは大好きだ。恩返しをしたい気持ちもある。

 でも、この森から出てはいけないという言いつけは、そろそろ守れない。


 とはいえ、師匠を悲しませたくはないから、出来れば説得してわかってもらいたい。

 なにも二度と森に帰ってこないというつもりはない。ちょっと街を見たい。それだけなのだ。


「だから、師匠……っ」


「そうか。ローは今日で十五だったな」


 説得しようと身を乗り出したあたしに、師匠は穏やかな声で言った。


「じゃあ、今日は街に行こうか」


「へっ?」


 あっさりと言われた台詞に、あたしは目をぱちぱち瞬いた。


「街へ行くのだから、これを着なさい」


 師匠は戸惑うあたしに棚から取り出した布包みを手渡してきた。


 包みを解くと、中から現れたのは膝丈までのスカートのシンプルな青いドレスだった。赤い石のブローチも一緒に入っている。


 新品ではなく古着のようだが、綺麗に手入れされており布地も手触りのいい上等な品物だ。


「し、師匠……」


「ん?サイズは大丈夫だと思うが、もしもウエストがきつかったら言いなさい。直してやるから……」


「十五になった弟子にいきなりドレスを贈るだなんて!師匠がそんな人だとは思いませんでした!えっち!変態!光源氏!」


「なんでだよ!?」


「男が服を贈るのは「それを脱がせたい」って意味だって本で読みました!師匠があたしをそんな目で見ていただなんて!薄々気づいてはいましたが、もう少しだから自分と言い聞かせながら、幼い弟子が大人の女になるのを舌舐めずりして待っていただなんて!」


「アホか!俺はっ、お前のっ、親代わりだっ!親が子どもに服を贈るのは、単に衣食住を保証する義務の一環だ!」


 壮絶に嫌そうな顔をした師匠に頭を叩かれて、「さっさと着替えろ!」と部屋に叩き込まれてしまった。


「乱暴だなぁ、もう……」


 ぶちぶちぼやきながら、あたしは言われた通りに着替えた。


 思った通りに上等な服で、着心地がめちゃくちゃいい。今まで着ていた服の手触りがゴワゴワに感じられるほどだ。


 襟元をブローチで留めて、姿見の前に立つ。


 綺麗な青のドレスと赤い石のブローチは、自分で言うのもなんだがあたしによく似合っていた。


 肩につくぐらいの栗色の髪と金色の目が、服の青のおかげでいつもより鮮やかに見える。


「うわぁ……えへへ」


 思わずにやける。鏡の中の自分がへにゃっと笑み崩れた。

 似合うじゃん。これなら師匠もきっと褒めてくれる。


 あたしは期待いっぱいで部屋から飛び出した。

 部屋かっら出たあたしを見た師匠は、はっと息を飲んだようだった。


「師匠?」


「あ、ああ……なんでもない。似合っているぞ。ロー、大きくなったな」


 師匠はそう言って、あたしの頭を撫でてくれた。

 あたしは、その時の師匠の微笑みが、何故だかとても悲しそうに見えて首を傾げた。


「師匠、どうしたんですか?」


「なんでもない。それより、これを着なさい」


 師匠はあたしがいつも身につけているフード付きの肩マントを羽織らせた。真っ白なマントはお気に入りなのだが、師匠はフードをぎゅっと深く被せてくる。


「ちょっ、前が見えないです!」


「街ではちゃんとフードを被っていろよ」


「なんでですか?」


「……危険だから。俺がいいって言うまで、フードは脱ぐな」


 師匠はそう言って、あたしを連れて家を出た。


 街はいろんな人がいるから、危ないってことかな?


 師匠は心配性だな。師匠と一緒に行くなら何も危ないことなんて起こる訳ないのに。


 そう思いながら、あたしは師匠の後を追いかけた。




 ***



 生まれて初めて降りた街は、想像以上に華やかだった。


「ふぉおおおお〜っ!し、師匠!人がいっぱいです!にぎやか!いろんな匂いがする!」


 初めて目にするものがいっぱいで、あたしは師匠の腕にくっつきながら忙しくあたりを見回した。

 いろんな年齢、いろんな格好の男女が石畳の道を思い思いの方向へ歩いていく。

 お店へ立ち寄る人、立ち話をする人、慌てた様子で走っていく人、笑い声を上げて駆けていく子ども達。

 たくさんの人がいて、見るものがすべて初めてで新鮮で、あたしは完全に浮き足だっていた。


 浮き足立っていたのだ。


 初めてだったんだもん。しょうがない。


 というわけで、あたしはいつの間にか師匠とはぐれてしまっていた。


「ううう……師匠〜」


 嘆きながらあちこち探し回るが、師匠の姿は見つからない。背の高い黒髪の真っ黒な服の師匠なら、人ごみに紛れても目立つと思ったのに。


 どうしよう。このまま一生師匠と会えなかったら。


 もう二度と、師匠の焼いたアップルパイが食べられなかったら。


「師匠〜っ、どこですかーっ?」


 半泣きで駆けずり回る。師匠を探すのに夢中で、絵本の中でしか見たことのないような立派な金色の馬車が通り過ぎたことにも、その馬車に乗っていた人物が


「ローレライ……?」


と呟いたことも、あたしは知らなかった。





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