第8話 ゾンビの襲撃
グレーのパーカー、白いフリルのスカート、スポーツメーカーの黒いスニーカー、デニム柄の肩掛けバッグ。
笑わない太陽に、中途半端な曇り空。
笑えない綾香と、覗き穴から見ている陽菜。
陽菜が開いたドアを背中で閉めた。バタンと音がする。
その音に反応した一番近くにいるゾンビと目が合った。
家から1歩踏み出したと思った矢先、前途多難である。
綾香は何食わぬ顔で辺りを伺う素振りをしたが、ゾンビは見つめたままでいる。
玄関先から通りを眺めると、すぐに見える50m程度の範囲に4体のゾンビがいた。
2秒は経過した。まだ見られている。綾香の長所は即決即断するところだが、裏返すと万年準備不足という短所でもある。
綾香は奥歯を食いしばりながら、足を前に出した。
前に進むしかない。生き残るには前に進むしかないのだ。
数歩、足を進めたとこでゾンビらしい顔をしようと思った。「ここには何もありませんよー。あー、来て損した」という顔だ。綾香は、少し上向きに、口を開いて、涎を垂らした。
歩きながら手を前に出そうとしたが、肘から先はなくなっていたため、バランスを崩してよろけた。そして、立て直そうと踏ん張った足を前に出した時、家の門にぶつかった。
ガシャン!という音がして、周りのゾンビも綾香の方を見た。
綾香は硬直した。覗き穴越しに陽菜の怒りが伝わってくる。ゾンビの視線も人間の視線も集中する。
戻るか?隠れるか?走って逃げるか?何か叫べば伝わるか?
正解が全く分からず、綾香の頭は真っ白になった。お得意の現実逃避だ。
昔、観たゾンビ映画を思い出していた。
ゾンビはゾンビ同士の音には反応しないが、人間の声とか、ふいに出した音には敏感に反応する。
勘がいいというか、都合がいい生き物なのだ。
妹にはゾンビとして殺されそうになり、ゾンビからは人間じゃないかと不審そうに注目を集めている。
神め、何が特別な存在だ。まったく都合の悪い立場じゃないか。
しかし、嘆いていても仕方ない。
妹の時は人間らしい行動で信用された。今回はゾンビらしくあるしかない。
綾香は一か八かで、もう一回、空を仰いで門に体をぶつけた。
「おうおう・・」
出られないよ、と台詞も付け加えた。やけくそで、再度、門に体当たり。
役に徹するつもりだったが、自分の行動に対する不安に耐え切れなくなり、顔を下げて周囲を見渡した。
こっちを見ているゾンビは一体もいなかった。
既に興味を失ったのだろう。もう一度、体をぶつけてみせたが見向きもされなかった。
玄関を振り返った。なんとなくだが、もう陽菜も見ていない気がした。
目まぐるしい状況の変化に動揺が続いていた。気持ちが落ち着くまで、その場に留まることにした。
生ぬるい風が吹いた。雨が降らなければいいのだが。
一人芝居のおかげで危機は去ったはずだが、置いてきぼりになったような少し虚しい気持ちだった。
身だしなみを整えようと口元をパーカーで拭こうとしたら、袖が唇まで届かずにバッグの肩掛け部分に涎がついてしまった。
一応、後ろを振り向いたが、もうバッグの持ち主も見ていないだろうし、このくらいの事なら許してもらえるだろう。
食われずに残っている肘の部分で門のレバーハンドルを回して、門の外へ出た。
家の左手には、昨日に横転した車がそのままになっていた。側面になったルーフと上面になった助手席のドアは血だらけだったが、車内には誰も乗っておらず、安否がどうなったか定かではない。
家の裏手に回ると、数メートル手前の塀に衝突している軽自動車があった。こっちには血が付いていない。きっと、これが妹が起こした事故だろう。状況から判断すると、あまり激しくぶつかった様子ではなかった。まだ動くかもしれない。
裏手の方にも人通りはなく、ゾンビが2体ほど彷徨っているだけだった。
この街で、どれくらいの人間がゾンビになったのだろう。そして、どれくらいの人が生き延びているのだろうか。
綾香は、多くの人に生きていてほしかったが、いま会いたくないのは人間のほうだと、あべこべなことを考えた。
ゾンビ通りの多い道路に戻って、電気屋を目指して歩いた。
駅前の家電量販店までスムーズにいけば、そんなに時間はかからないはず。
通りに戻って気づいたのだが、この付近のゾンビには綾香は認識されているようだ。
疑われる心配は無さそうなので、すれ違いざまにさっきのゾンビを観察することにした。
1人目は、黄土色Tシャツとチノパンを穿いた40台の男だった。
さっき目が合っていたゾンビだ。痩せていて、首、腕、背中に噛まれた後があった。複数に襲われたのだろう。お腹が空いているのかキョロキョロと周りを見渡している。
2人目は、青っぽいスーツを着たサラリーマンで、20台後半、中肉中背。
横腹を噛まれたのか血で汚れている。傷のせいか足を引きずっているけど、あいつが走って追いかけて来たら逃げるのは難しいかも。
3人目は・・田中さんだ。近所に住んでいて、学年がひとつ上の高校3年の女学生。
制服を着て、眼鏡をかけていて、ロングヘアー。いつも見かけるポニーテール姿でゾンビになっていた。右肩から夏服が赤く染められていた。
綾香は、「田中さん」と声をかけた。
田中さんは、「肉・・肉・・」と小声で繰り返すばかりで、綾香の声には反応しない。
綾香は、通り過ぎようとする背中に「田中さん!」と大声で話しかけた。
田中さんは立ち止まって振り返り、綾香の顔を見た。数秒間、見つめ合っていたが前を向き直すと、また歩き始めた。目線の先で、サラリーマンもこちらを見ていた。
名前を呼ばれて注目したわけじゃないのか、と綾香はがっかりしたが、反応があったことに興味が沸いた。何か実験をしたい衝動に駆られた。
「肉!」と綾香は歓喜の声をあげた。田中さんが凄い速さでこっちを向いた。
「あ、違った・・」としょんぼりしたフリをして呟いた。田中さんも諦めて向き直してた。
「やっぱり肉だ!」と綾香は家と反対方向の小道に駆け寄った。田中さんも後ろから着いて来る。
「やっぱり、違った・・」と諦める。田中さんもがっかりしてる。
「肉だ!肉だ!」と小道を走り抜けた。田中さんも後ろにピッタリとくっついて走る。
そのまま、肉、肉と言いながら、小道と通りの間をぐるぐると2周、走り続けた。
その間、ずっと真後ろにいる田中さん。怖い。このまま、怒って噛み付くんじゃないだろうか。
気がつくと、田中さんの後ろにサラリーマンもいた。歪な走り方で追いかけてくる。
家の前とは別の通りに入った時、花屋が目に入った。綾香は「肉は花屋だー!」と叫んだ。
2体のゾンビは一斉に花屋に向かって走り出した。
ショーウィンドウをバンバンと叩いている。叩く音を聞いて、それぞれ家の中から、わらわらとゾンビが出てきた。総勢20体以上が集まって、ショーウィンドウを割って中に侵入した。
綾香は大変なことをしてしまった、と罪悪感を抱いた。店の中に誰もいないことを願った。
花屋に近づいて、店の様子をそっと覗いたが、ゾンビが多くて中の様子が見えない。
叫び声などは聞こえなかったが、安心できる状況ではなかった。
その時だった。ふと、後頭部に視線を感じて、真後ろの住居の2階を見た。
子供と目が合った。その子はすぐに物陰に隠れた。
間違いない。いまのは人間の子だ。
(続く)




