将来①
この物語はフィクションです。登場する人物・名称などは架空のものです。
実際の車の運転では道路交通法を順守し安全運転を心がけましょう。
帰宅した私は即刻自分のベッドへ向かった。目を閉じるとつい数時間前の出来事が浮かんでくる。助手席から見た走り屋のドライブ景色。久しぶりに自分でミッション車を運転した感覚。左手にはシフトノブを握った感触が残っており、左脚にはクラッチペダルを踏んだ感覚が残っている。心地よい緊張と興奮が私を満たしていた。そんな気分に浸りながら、眠りへと落ちていった。
数時間後、私は初夏独特の蒸し暑さを感じ目覚めた。
「暑い。」
独り呟いて部屋の壁掛け時計を確認すると、時刻はちょうど午前十一時だった。とりあえずシャワーを浴びて、ブランチで食パンをほおばる。手元に寂しさを覚えた私は、スマホを探した。いくら探しても見つからない。そういえば、祖母の家に置き忘れてしまったことを思い出した。いつも乗っている父の車はパンクして応急処置中だから使えない。
さて、どうしようかと思案中にインターフォンが鳴った。メンドくさいと思いつつ、インターフォンの応答ボタンを押す。聞こえてきた声は私のよく知った人物の声だった。
「こんにちはー。未来ちゃんいますか?」
クラスメイトの松田美月の明るくハイテンションな声は、土曜日の朝から聞くには喧しすぎる。私は深いため息をついてから
「私だよ、いま行く。」
そう短く返事をして玄関へと向かった。
玄関の扉を開けた瞬間ドアノブに手をかけたままの私は、扉と一緒に外へ引っ張り出された。そのまま転びそうになったが、なんとか立て直し扉を引っ張った人物をジッと睨みつける。私が文句を言うより先に彼女は話し出した。
「なんで昨日電話でてくれなかったの?
っていうか、何回もメッセージ送ったのに既読すらつけてくれないし。
既読スルーはいいよ、いつものことだから。
けどね、既読すらつけないってどういうことなの?
もしかしたら未来の身に何かあったんじゃないかと思って、ワタシ心配で会いに来ちゃったよ。」
幼稚園児が質問するかのような調子で話す彼女は、私のことなど微塵も心配していなかったと思われる。
「あー、ごめん。昨日スマホ置き忘れてきてさ。それに気づいたのも夜中で取りに戻ることもできない状態だったの。」
私の詫びの軽さにケチをつけてくるかと思いきや、むしろ彼女は嬉しそうだった。
「いいよー。じゃあコレを見て驚くがいい。」
彼女が自信満々に私へ突き出してきたのは、運転免許証だった。
「へぇー、免許取ったんだ。」
彼女のハイテンションと正反対のローテンションで私は返答する。
「ひっどーい。少しは驚いたフリをしてくれてもいいじゃん。イジワル。」
早くも彼女のハイテンションに若干疲れ気味の私は、ベッドが恋しくなってきた。
「じゃあ、アレを見て驚くがいい。」
そういって彼女が指差す先には白色のオープンカーが停まっていた。免許取りたての女子高生がオープンカーか。これには私も驚いた。私は裸足のまま玄関を飛び出し車へと近づいた。二人乗りの小さな車だ。ボンネットには若葉マークが貼ってある。昨日乗ったBRZよりも小さい。後方で車種名を見つけた<<ROADSTER>>と書いてある。その文字の横にあるこのロゴは確かマツダだっけ。
「裸足で出て行くなんて・・・。未来ってそんな車好きだった?」
指摘されて裸足だったことに気付いた。足の裏が痛い。私は玄関へと戻り、サンダルをひっかけて、また車の元へと戻る。ボディーには艶があり新しく見える。
「美月、これって新車?」
私の疑問に彼女は
「違うよ。中古だってパパが言ってた。」
中古車でもこんな綺麗なのかと私は更に驚いた。中古というとどうしても少し薄汚いイメージがあったのだ。車内を覗き込んでみる。なんとまた驚くことに、ミッション車である。
「珍しいでしょ。今時ミッション車なんてさ。」
美月は運転席に乗り込みながら、言ってきた。購入の経緯についても話してくれた。
「ウチって車一台しかなかったからね。私が免許取るなら、もう一台買おうってなったの。」
軽く相槌を打ちながら、私は車内を覗き込む。運転席も同じだが助手席も窮屈そうだ。美月は続けて話している。
「パパは軽自動車とか小さい車を見てくるって出かけて行って、その翌週に納車されたのがこの車だったわけ。ママは怒ってたなぁー。
『二人しか乗れないじゃない!
なんでマニュアル車なのよ!?
そもそもどうして勝手に一人で決めて買っちゃうの!?』
ってな具合ですごかった。」
楽しそうに語る彼女を無表情で見続け、私は訊いた。
「それで?その笑い話をするためだけに来たんじゃないんでしょ。」
まだくつくつと笑っている彼女は、その笑顔をいつもの能天気な笑顔に切り替えて
「うん、そういうわけだからドライブ行こう!」
今日の日差しの明るさに負けないぐらいの陽気さで、彼女は言い放った。私は深いため息をついてから、彼女に返事をする。このやりとりをもう過去に何回やってきただろうか。
「『だから』っていう接続詞はそう用いるものではないの。車の購入経緯とこれからドライブに行くって、なにも話がつながってないでしょ。」
美月の提案はいつも唐突だ。そして何か少しズレている。ただ今回は事前の連絡をちゃんと受け取れる状態になかった私にも非があるので、付き合うことにしよう。
「それで、どこ行くの?」
気怠さを全開に主張しながら私は尋ねる。返事はこれも毎度おなじみのセリフだった。
「決めてない!」
私は彼女から視線を外し、空を眺めた。初夏を感じさせる青空だ。日差しが眩しい。見てはいないが、彼女の表情も同じくらい眩しいと思う。できるだけゆっくりと視線を戻し彼女を観察する。想像通りの笑顔がそこにはあった。淡いピンクのブラウスに紺色の八分丈パンツに同色のパンプスを履いている。ラフな格好だが、十人中九人が可愛いと認めるだろう。大多数の女子は松田美月を『ウザ!』『あざとい!』『メンドくさい!』と形容する。
しかし、私はそうは思わない。それは彼女のルックスの良さもあるのだが、それ以外の魅力を感じるからである。彼女と知り合って三年目になるが、その魅力について説明できない。どうしてこのワガママとも言える行為を許せてしまうのだろうか。
「ミクちん!起きてマースか?」
来日したての外国人タレントみたいなイントネーションの声をぶつけられて、私は我に返る。
ぼーっと考え過ぎてしまった。
「ほら、早く支度して来てよ。三分以内に戻ってきてね。」
もう彼女の中ではドライブすることは決定しているらしい。やれやれと思いつつ私は
「はいはい、行先は私が決めるからね。あと今日夕方からバイトあるからそんな遠出はしないよ。」
と言い残し、いったん家へと踵を返す。背後から元気な返事が聞こえてきた。おそらくオープンカーなのをいいことに、運転席に座ったまま天高く手をあげているだろう。
私は振り返ってその姿を確認することなく、出かけ支度のため家へ入った。