出逢い⑤
この物語はフィクションです。登場する人物・名称などは架空のものです。
実際の車の運転では道路交通法を順守し安全運転を心がけましょう。
峠の入り口までは片側一車線のほぼ直線だ。左右を見渡しても民家より畑が多いという典型的な田舎風景である。夜道で民家の灯りも消えているので、真っ暗闇である。光源は車が照らすヘッドライトのみだ。今、私は教習所を卒業して以来、初めて公道でマニュアル車を運転している。それもスポーツカーである。この車の持ち主は助手席に座っている工藤富士子さん。ほんの一時間前、今向かっている峠の山頂で偶然知り合った。彼女はいわゆる『走り屋』と呼ばれる人だ。夜の峠道を縦横無尽に愛車で駆けている。そんな彼女の運転する車に同乗し、走り屋の世界を垣間見た。エンジンから出る大きな音、タイヤが鳴く音、車外に放り出されてしまうのではないかと思うほどの横揺れの連続にスリルと興奮を覚えた。
峠を下り終えた私たちは近くのコンビニで休憩をした。数十分の休憩の後、彼女に勧められて、先ほど出会った山頂までの道を私が運転することになった。
「いよいよ峠道だね。イケると思ったら遠慮なく踏んでいっていいよ。」
彼女は冗談っぽく声をかけてきた。イケるというのはスピードを出していけるという意味だろう。私は常識的に判断し
「いえ、安全運転で行きます。」
と返事をした。
「真面目さんだね~。自分のペースで楽しんでいいからね。」
と明るく返してくる。私に運転させてどういうつもりなのだろうかという疑問を抱きつつ、運転に集中する。人は歩いていなくてもこの峠ではいきなり道へ、リスや狸が飛び出してくることもある。それに対しても注意を払いつつ、他人の車だから丁寧な運転をしなければならない。なかなか緊張を強いられる状況だ。
無音の車内でスマホが鳴る音が響いた。工藤さんのモノだ。工藤さんは電話に出ると
「あ、はい。分かりました。すぐ戻ります。」
とだけ話してすぐに電話を切った。
「もうロードサービス到着するってさ。意外に早かったね。」
発信元はロードサービスの人だったようだ。早く着いてくれて何よりだ。これで家へ帰れる。もうすぐ頂上に到着するというところで工藤さんは口を開いた。
「ステアリング操作うまいね。あ、ステアリング操作っていうのはハンドルさばきのことね。安定感のあるドライブだったよ。」
素直に感心された様子で講評してくださった。そんな話をしていたら、ロードサービスは到着した。
そのあとは早かった。ロードサービス隊員の人がパンクしたタイヤに追加でパンク修理剤を流し込みすぐに作業は終わった。これで家までなら自走しても帰れるとのことだ。気を付けて帰ってくださいねと言葉を残してすぐにロードサービス隊員の方は帰られた。
ロードサービスの車を工藤さんと二人で見送ったあと私は改めて彼女にお礼を言った。
「今日は本当にありがとうございました。おかげで助かりました。よければ後日ちゃんとお礼がしたいので、連絡先を教えてもらえませんか?」
そう伝えると彼女は
「お礼なんていらないよ。こうして久しぶりに誰かと走れただけで私は満足さ。でも、また一緒に走りたくなったりしたら連絡してきてよ。タイミングが合えばまた会おうよ。」
そう言って彼女はコンビニのレシート裏に連絡先を書いて私にくれた。その紙を両手で丁寧に受け取り、私はお礼を言う。
「重ね重ねありがとうございました。必ず連絡しますので、ご都合つけば是非また会ってください。」
「困ったときはお互い様さ。情けは人の為ならず、っていうでしょ。いつかは自分に返ってくるんだから、困っている人には優しくしないとね。」
屈託なく笑う彼女は本心でそう思っているようだ。カッコいい。彼女は車へ戻り、ハンドルを握ると
「うわ、べたべただね。だいぶ緊張していたんだね。」
苦笑して、そうおっしゃった。どうやら私の手汗でハンドルが湿ってしまったらしい。謝りつつ私は自分の車へタオルを取りに行こうとしたら、彼女は自身の車のグローブボックスからタオルを取り出し、ハンドルをさっと拭き上げた。
「いいよ、いいよ。お疲れさんでした。今夜は楽しかったよ。一人で走るより誰かいたほうが面白いからね。」
彼女の車はスポーツカー独特の重低音を響かせながら去って行った。私は工藤さんの車が見えなくなるまで見送った。