出逢い②
この物語はフィクションです。登場する人物・名称などは架空のものです。
実際の車の運転では道路交通法を順守し安全運転を心がけましょう。
帰宅途中の峠道での出来事だ。車を運転していて山頂付近に差し掛かった瞬間にカタンという乾いた音が響いた。同時に伝わってきた振動から何かの板に乗り上げたのだと分かった。カーナビの時間表示を確認すると時刻は二一時三〇分を示していた。突如ハンドルをやや左にとられ、意図せず山頂の駐車場に停車することにした。
車から降りて音がした助手席側前方のタイヤを目視してみる。後輪に比べて平べったくなっている。薄暗くてよく見えないので、スマホのライトで照らそうとした。その時、手元にスマホがないことに私は気が付いた。車内を探しても見つからない。おそらく祖母の家に忘れたのだろう。車内の時計は二十二時過ぎを指している。祖母の家でゆっくりし過ぎたことを後悔した。こんな時間に車が通るとは思えない。もちろん周りに民家などなく助けを求められそうな場所もない。初夏だというのに外気温はうすら寒い状況で孤立。
自然と私の口から言葉が漏れる。
「……最悪だ。」
ふと教習所で習ったことを思い出し、車のハッチを開けてスペアタイヤを探してみたが載っていない。代わりに小さい箱が入っていたが、何に使うものか検討もつかない。このままパンクした状態で帰ろうかと考えていたとき、一台の車が近づいてくる音が私の耳の鼓膜を震わせた。道路に飛び出し全力で手を振り、その車に助けを求めた。私のSOSを受け入れてくれたその車は、私の車の後方に停まってくれた。
車から降りてきたドライバーが放った一言目は
「どうして山頂でヒッチハイクをする必要があるの?自分が乗ってきた車で帰りなさいよ、まったく。」
といったぶっきらぼうな言葉だった。降りてきたのは女性ドライバーだった。同乗者はなく、一人だった。こんな夜中に峠道を走っているなんて、どんな事情なのだろう考えてしまい私は返答が遅れてしまった。
「あ、す、すみません。私が乗っていた車がパンクしてしまって、スマホも持っていなくて助けを呼ぶこともできず、途方に暮れていたところなんです。」
戸惑いながらも事情を伝えたところ彼女は
「あなたが手に持っているのがパンク修理キットでしょ。とっととそれ使いなさいよ。それとも使い方知らないの?」
私の無知を指摘しつつ、乱暴な回答をくれた。スポーツカーから降りてきた女性はこの薄暗い中でも分かるぐらいの美人だった。髪型はポニーテールで顔の輪郭がはっきりとしている。身長は私より数センチ高いと思われる。年齢は私とほとんど変わらないように見えた。
彼女はスタスタと私の車に近寄り
「パンクしているのはこの助手席側の前部分のタイヤね。パンク修理キット貸してくれる?ここで会ったのも何かの縁だし、やってあげるわよ。」
乱暴な言葉遣いとは裏腹にお優しい。もう私ではどうしようもないので、お任せすることにした。こなれた感じでパンク修理キットの封を開け、作業を進めている。自動車修理関連のお仕事でもされているのかと尋ねたところ
「いや、先週親の車に使ったばかりだから。」
と苦笑まじりにおっしゃられた。あまりじっと見続けているのも失礼かと思い、ふと彼女の車のほうに目を遣った。
その車は小さく背の低い車だった。色は青色で、扉は両側合わせて二枚。車に詳しくない私でもスポーツカーだと分かる出で立ちだ。後ろに回ると小さい羽みたいな物が着いている。テールランプの灯りのおかげで車種名が確認できた。<<BRZ>>と書かれていた。
突然、掃除機が出すような大きな音が聞こえてきた。私は作業してくれている彼女の傍へと慌てて戻った。音を出している機械は、エアコンプレッサーというのだそうだ。これでタイヤに空気を送り込むらしい。規定値まで空気を入れ終え、タイヤは正常な形に戻ったように見えた。
「これで少し走ってくれる?エア漏れしてなければ家までは帰れると思うよ。試しにここの駐車場で一周走ってみてくれる?」
と言われた私は運転席へ座り言われたとおりに車を動かす。駐車場を左回りで一周してみる。問題なさそうだ。これなら家に帰れそうだと私は思った。途方に暮れていた私を助けてくれた女性にお礼と、走行に問題ないことを伝えるために、車から素早く降りて彼女のもとへと向かった。
「おかげさまでなんとか帰れそうです。本当に助かりました。ありがとうございます。」
それを聞いた彼女はまだ渋い顔で
「まだ空気圧を計ってみないと、本当にちゃんと家まで帰れるかなんてわからないよ。」
すぐに彼女は先ほどのコンプレッサーのチューブを再びパンクしていたタイヤへと差し込んだ。コンプレッサーの放つ音が鳴り響き、すぐに音は止んだ。
「空気圧がさっきより下がっている。つまりちゃんと修理できてないね。」
その言葉を聞き、帰れると思った私の浮かれた気分は即刻どこかへ行ってしまった。困り顔へと変化した彼女は私に解説してくれた。
「タイヤのトレッド面に釘かネジが刺さっていたんだと思う。だけどその刺さっていた物が抜けてしまったから、そこにできた穴から空気が抜けていっているんだと思う……。でも、タイヤも相当劣化してヒビが入っているね。このヒビが原因で抜けている可能性もあるわね。」
と教えて下さった。彼女はスマホを取り出しどこかへ電話をし始めた。私の家に固定電話があれば連絡して母に迎えに来てもらえばいいのだが、電話機の故障を機に我が家は固定電話をなくしてしまっている。普段、母との連絡はLINEのため、ケータイの番号も記憶していない。つまり、私からは連絡のしようがない。顎に手を当てどうしようかと考えていると電話を終えた彼女が私に話しかけてきた。
「今、ロードサービスに電話してあげたからさ。一番近くのところからでも二時間はかかるって。ロードサービス着くまでアナタどうする?」
どうすると言われても待つしかないだろう。車の中で寝て待っていようと思った私に彼女はこんな提案をしてきた。
「もし、よければ私の助手席に乗らない?どうせまだ走り込む予定だったし、走り屋の車に乗る経験なんてなかなかないわよ?」
と彼女はにやにやしながら誘ってきた。そう言われると興味がないわけではない。しかし、『走り屋』という言葉を私は初めて聞き、不安な気持ちも少なからずある。少し迷ったが、助手席へと乗り込んだ。
「さあ、行きますか。」
と独り言のように彼女はつぶやき、車を動かし始めた。