#117
今回はどちらかと言えば、閑話に近いシリアスな過去話である。
主人公不在回で、正直言って短編にでも書こうかと思っていたのである。
……それははるか昔のお話。
まだこの古城がかつて王城として使われていた国があったころにまでさかのぼる。
この地はかつて荒れ果てた大地だけであったのだが、ある日、とある一体の精霊が気まぐれで住みついた。
水をつかさどるその精霊はその地に恵みをもたらし、豊かにしていき、その結果人々が集まり国ができたのである。
人々は精霊に感謝をささげ、祭りが行われたりもしていた。
だがしかし、年月が経過し、次第に精霊の存在が軽視され、そしてその存在はいつしか忘れ去られていった。
ただ、精霊は別に気にすることはなかった。
この地は自分が加護を与え、そして恵みを豊かにしているのだが、そもそもここにいるのは気まぐれのようなものであり、いつでも加護を取り消し、元の荒れ果てた大地へと変貌させることもできる。
それに、精霊自身の力も最初の頃よりも強くなっており、それ以上に悲惨なことにいつでもできた。
ただ、それをしなかったのはただ単にめんどくさかっただけである。
移動しようにも、この地に居ついていたのでここでの暮らしに慣れ切っていたので、今更他の地へ向かってまたゼロからと言うのはきつい。
また、忘れ去られて行っているとはいえ、一応それなりに敬意を払ってもらおうとして、その地にいつの間にかできていた王家に、年に数回ほど訪れていたのである。
自分の存在を完全になかったことにして、愚かな選択をさせないようにするためにと。
しかし、自分の存在は王を継いだ時に初めて知らせるようにしていて、それまでにきちんと教育を施しておくようにも念を押したのである。
そんなある日、精霊が住んでいたティラーン湖に、ある少女が訪れた。
澄んだ瞳を持ち、精霊は気まぐれに興味を持ち、話しかけていつしか親友となっていた。
精霊でも心があり、彼女との話や遊びはいつも楽しかった。
時折城下街で売られている本を買って交換し合ったり、釣りをして一緒に大物を狙ったりなどと、少女にしては少々ワイルドな事もしたが、それでも楽しい日々は過ぎていった。
……そして数年が経過し、その頃になって精霊は少女がどの様な身分であったのかはすでに理解していた。
その少女はとある公爵家の娘であり、王家にいるある王子と婚約関係にあったという事を。
ただ、実はその王子は国王とは血のつながりがなく、その母親である王妃が若き頃の過ちで生んだ別の子だったようだ。
それを、その王妃が懇願して王子の地位にいるのだが……それでは王家の血筋が確かなものではなくなってしまう。
そこで、王家は考えて、どこかの代で王家と別れ公爵家となった一族の、その一族にいた少女を婚約者として、王家の血筋を残そうとしたのである。
つまり、その少女ありきでその王子は王家にいるのであって、その少女と結ばれてさえすれば王族になれるのであるとも言われていた。
政略結婚のようなものであり、愛がないのではないかと精霊は問いかけたのだが、その少女は軽く笑った。
愛ならきちんとあるはずである。互いの中も悪くもないし、そもそも政略結婚のように感じさせないように周囲が配慮してくれて、本当に王子と結婚して良いとその少女は告げた。
ただ、その王子の婚約者であるために王妃教育を一生懸命受けさせられて、それでこの精霊の下には息抜きとして訪れていたのだという。
国を栄えさせる精霊としてではなく、己の存在をしっかりと認識するための友として。
それからさらに数年が経ち、少女がそろそろ成人となり、もう間もなく王子との結婚が間近になったその時であった。
成人と結婚前の祝いとしてのパーティが開催されることになり、精霊もこっそりゲストとして招待されることになった。
祝いの場を終えた後は、式があり、そのあとは王妃となった彼女とはそう自由に合えなくはなるだろう。
けれども、自分で会いに行けばいいかとも精霊が思っていたその時であった。
…‥‥そのパーティが進み、いよいよ終盤に近付いたとき、突如として王子が少女に婚約破棄をたたきつけたのだ。
理由は、その彼の横にいた女……どこぞやの馬の骨とも知れぬ者を愛してしまい、しかも子供まで身ごもらせてしまったのだという。
婚約破棄をこの大勢が集まる場で、彼女がどれだけ傷つくのか全く理解していないその様子に精霊はあきれ果てたのだが、さらにとんでもないようなことをその王子は口走った。
いわく、その愛した者に彼女が嫌がらせをし続け、それが許せないので断罪すると言い出したのである。
それは全く彼女の身には覚えのないもののはずであり、精霊から見ても冤罪としか思えないような、茶番劇のような杜撰さ。
少女が涙を流し、冤罪を訴えても王子は頑として聞き入れず、その訴えにイラっと来たのか殴ろうとして、精霊は思わず前に出て、拳から彼女を守った。
その様子を見ていた国王は顔を青くした。
王家に伝わる精霊の姿は、自身が国王になってすぐにその姿を見せてもらい、その詳細を知っていた。
ここで前に出て止めることができればよかったのだが、動き出そうにも、不興を買いそうで体が動かなかったのだ。
そのまま精霊は王子に対して、彼女が嫌がらせをするはずがない事を話し、冤罪に関してもその証拠のずさんさや、逆に出てきた相手側の失態を突きつけた。
だがしかし、この王子はよほどプライドも高かったのか、聞き入れず、逆上し精霊に対して怒声を放ち、そして…‥‥ついに精霊はキレた。
本当の自身の姿をさらけ出し、この地に加護を与えている精霊だと圧倒的な迫力と威圧を見せつけ、そして見放すことを決定づけた。
手を一振りすると、それだけであっという間に国中から精霊の加護が消え失せ、大地は枯れ、川は消滅し、大気中の水分すらなくなった。
乾燥していき、その空気に気が付いた王子だったが、精霊の怒りは収まらなかった。
己の持てる力を使い、更にその場にいた者たちから、少女を除く全員の水分を死ぬギリギリまで抜き取ったのである。
あっという間に肌が乾燥し、血液もドロドロになり、一気に年を取ったかのような姿になっていく者たち。
精霊の怒りを買ったことを今さらながらに実感し、皆が触れ伏して本気で謝って、命がけで慈悲を願おうとしたその時……空気が読めない者がいた。
王子のそばにいつの間にかついて、少女の婚約者だった立場を奪おうとした女。
精霊の手によって己が干からびた老婆のような姿になったのを逆上し、何処からそんな力が出たのか、一気に少女の下へと詰め寄り、近くにいた護衛の騎士たちから剣を奪って、精霊が察するよりも早く少女の首を切り捨てたのだ。
精霊の力を、少女が使役しているのだと考え、殺せばこの精霊の力もなくなるとでも考えたのだろうか。
もともと精霊は争いごとを好む者ではなく、その一瞬の隙をつかれ、少女の首が飛んでいく様を唖然として見つめ…‥‥完全に慈悲の心すらなくなった。
……ふと、精霊が我に返ると、辺りは精霊が住み着く以前の荒廃した大地よりもさらに荒れ果て、もはや国そのものが消滅していた。
国があったのかと問われれば、頑丈で最後まで残っていた城ぐらいであろう。
あたりは消し飛び、あの親友だった少女の遺体すらも残ってはいなかった。
精霊はその時改めて自身の行いを振り返り、後悔した。
なぜ、ここまで力を暴走させるほど暴れたのか。
なぜ、あの王子とか少女を殺した奴以外では、国民とかにもいい人がいたはずなのに、彼ら間で消し去ったのか。
なぜ、自分は少女に対してもっと気を使えなかったのか…‥‥
たくさんの「なぜ」という後悔の思いが出るが、もう遅い。
国は滅び、少女すらもいなくなったのだ。
皿が割れてもう戻せなくなるのと同じように、あの楽しい日々はもう戻らない。
……そこで、精霊は眠りにつくことに決めた。
今回の失敗は、少女の愛が王子に届いておらず、王子が拒絶してしまったことにある。
ならば、次に目覚めることがあれば、その愛を確かめよう。
本当に互いを思い、そして結ばれるような真実の愛を。
あの少女のような悲劇を起こさず、本当に大事な人を見つけ、共に歩んでいくことを決めることができる人を見つけられるようにと。
そして、そのような者たちがいれば……今度は国ではなく、その者たちに加護を与えよう、仕えよう、語り継ごう。
もう二度と、あの悲劇を起こさぬためにも……
そう心に誓い、精霊は……彼女、フローリアは長い永い眠りについたのであった。
求める者たちが生まれるように、そして真実の愛を見ることができるようにと願いながら……
……そして時は現在へと戻る。
ある意味バッドエンド。
そして、その悲劇を精霊はもう二度と見たくはない。だからこそ、カグヤたちには……