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8話・幼馴染がやって来ました。


 編み物途中で眠ってしまったのか、サラが暖炉の前で、こてんと横たわっていた。

 子供が遊んだまま出しっ放しにしたぬいぐるみのようだとからかっても、今のサラはぐっすり眠っていて反応はない。

 エリックは自分が羽織っていた特大ショールを、そっとサラへとかけた。

 絨毯に落ちた編みかけの靴下は、エリックの手のひらよりも随分と小さいサイズだ。

 どうやらサラはまた、赤ちゃん用の衣類を作っているらしい。

 毛糸の色は、あたたかな日差しを浴びた新緑色。

 雪がやんだら、赤ちゃんを生むつもりなのだろうか。

 エリックは毛布越しに、サラのいくらも膨らんではいない腹を撫でた。


「サラ、ここに赤ちゃんはいないよ」


 我ながら卑怯だと、エリックは思う。

 眠っているサラに真実を告げて、罪悪感を少しでも減らそうとしている。

 サラのことは可愛く思う。たまに箍が外れて、不埒な行いをしてしまうくらいに。

 最近は顔や頭にキスもするし、されもする。

 拙く口づけを贈られると、胸がざわついてたまらなくなるが、どうにか大人の余裕を保ってそれ以上のことはしないようにしていた。

 一線を越えなければいい。

 だが、毎日あふれそうなほどの好意を向けて接されたら、誰だって絆されるに決まっている。

 相手がエリックのような紳士でなければ、サラはいいように遊ばれていただろう。

 サラの髪を慣れた手つきで梳いていると、家のどこかから物音が聞こえた気がした。


(誰かが、来た……?)


 貯蔵庫の床から隣の奥さんが来たことがあったので、エリックは今回もそうかと判断した。

 すやすやとよく眠っている彼女を起こすべきかどうか逡巡したが、この家に訪れるのだから、当然エリックではなくサラに用があるのだろう。

 気が引けるが、その肩を軽く揺さぶった。


「サラ。誰か来たよ。眠いかもしれないが、ほら、起きて」


「うぅー……ん?迷子のトナカイさんが?」


 夢うつつ状態のサラは、寝言なのか返事なのかわからないことを、へにゃへにゃした顔で言った。

 体もくにゃりと脱力しているので、エリックはサラを横抱きで自分の膝へと座らせた。


「違う。人だと、思う」


 動物が訪ねてくることもあるのならば、どうかわからないが。

 エリックの予想は、聞こえてきた怒鳴り声によって確信となった。


「サラ!いるんだろ!」


「……う、うん……?ドーラン?」


 ドアをぶち破らんばかりに押し開き、姿を現したのはサラと同じ年頃の少年だった。

 彼はずかずかとリビングへと侵入してくるなり、くっついていちゃいちゃしているとしか見えないサラとエリックを目のあたりにして、肩を震わせ怒りを露にした。


「サ、サラっ……!村中でサラが男と暮らしてるって噂になってたから来てみれば、そこの怪しい男は誰なんだ!どう見てもよそ者じゃないか!」


 サラはやっと頭も起き出したようで、しっかりとした口調で互いの紹介をした。


「こちらは旦那様のエリック様。それでこっちが幼馴染みのドーランです」


(ああ、例のサラに気がある村長の息子か……)


 エリックはサラ以外の村の人間は例外なく嫌いだ。初対面だろうが関係ない。そして彼は、特に。


「サラの旦那のエリックだ。許可なく人の家に入ってきて、何の用だ」


 毅然と言い放つと、エリックの胸ぐらをドーランが掴んだ。

 ルイミ族の男は総じて体格がいいらしい。

 エリックも長身で体格がいい部類に入るのだが、それと同じくらいだった。……だいぶ、年下だろうに。


「ドーランやめて!わたしの旦那様よ!」


 サラはドーランにしがみついて懇願すると、エリックは乱暴に突き放された。


「サラ!最近家に音沙汰がないからおかしいと思ってたけど、何で黙ってたんだよ!それに旦那旦那って、何でこんな、遭難者なんかを!」


 言葉尻から、彼が遭難者を蔑みの対象として見ていることが窺えた。

 遭難者が嫌われていることは薄々気づいてはいたが、もしかすると食料や長期滞在だけの問題ではないのかもしれない。

 サラはドーランの質問に、のんびりとした口調で答えた。


「だって、旦那様と一緒に寝てしまったもの」


 ドーランがある意味素直にその言葉を受け取って、カッと目を剥いた。


「ね、寝ただって!?……っ、お前!!何も知らないサラに手を出しやがったのか!」


 再びエリックに怒りの矛先が向き、今度はサラが止まる間もなく力任せに殴りつけられた。

 だがその拳を避けようとは思わなかった。

 好きな人が横から奪われたのだ。彼女を本当の意味で愛していない男に、騙されて。

 一度だけなら、殴られてやってもいいと思った。

 しかしそれで満足するはずがないだろうし、サラへの心証はむしろ悪くなるばかりだろう。

 もしかしたら優越感だったのかもしれない。サラが選んだのがエリックだという、優越感。

 そして殴られればサラに労ってもらえることを、心のどこかでわかっていた。本当に、ずるい大人だ。

 エリックがその場に倒れると、サラが両手を広げて立ちはだかった。


「旦那様をいじめないで!」


 くっ、と憎々しげにエリックを睨んだドーランだったが、それでも惚れた弱味か、サラを巻き込むことはせず、踵を返しドアを叩きつけて出ていった。

 サラがすぐさま床に座り込んで、切れた唇の端を手の甲で拭うエリックの顔を、おそるおそる窺った。


「旦那様……?お薬がいりますか?それとも、雪で冷やしますか?」


 雪ならありあまるほど外にあるが、応急処置としてそれはどうなのだろうか。

 取りに行こうとするサラを、エリックは平気だと言って押し止めた。


「あれが例の村長の息子だろう。……わかりやすい性格だ」


「村長の息子だって、よくわかりましたね?」


「……まぁな」


 あれだけ露骨にサラに対しての感情を持て余していても、彼は彼女の気持ちを一番に考えて引いていった。

 しかし長年培った恋心を、いきなり捨てれはしないだろう。

 障害があって燃える人間もいる。

 エリックにとっては煩わしい存在であることは間違いない。


「……仮でも、自分の妻に好意を寄せられるのは、面白くないものだ」


 ごく小さく呟いたエリックはドーランの去ったドアを見据えながら、独占欲を示すようにサラの身体を引き寄せた。



 腕にあるサラが、どんな顔をしていたのかなど、知るよしもなく。



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