3 話・旦那様は、寒がりです。
サラの『旦那様』になって、数日がすぎた。
ようやく療養期間を終え、雪降ろしの手伝いをすることになったのだが――。
「旦那様ぁー!こっちに落としてくださぁーい!」
屋根の下から、完全防備でもっこもことなったサラが、ぴょんぴょん跳ねて指示を出す。
エリックは屋根に積もりに積もった雪の層を、スコップで抉り、軒下へと滑り落とした。
しかしその雪の塊は、サラが示した地点から大きく外れた地点に、ドシャリッと切ない音を立てて落ちる。
「旦那様ぁー!そっちじゃありませーん!」
(わかってる……!)
エリックはスコップなど初めて扱う。土いじりさえしたことのない、根っからの貴族。初めから上手くいくはずがなかった。
そもそも、王都に雪は降らない。
「旦那様ぁー!早くしないと、また雪が積もってきていますよぉー!」
(だから、わかってる……!)
雪の量が減ってきた頃を見計らい、屋根の雪降ろしをしに出てきたはいいものの、もたもたしている間にまた吹雪いてきて、雪をかいた先から積もっていく始末。
それはエリックの想像を絶する積雪量だった。
さらには空気の冷たさで、肌が刺すように痛む。
朝食のリゾットで温まった身体は、すでに芯から冷え切ってしまっていた。
エリックはサラと雪に急かされ、必死に腕を動かす。
積雪の多い時には、日に何度も屋根の雪降ろしをしなければ家が潰れるという。
これまでサラ一人で、どう対処していたのだろうか。誰かが手伝っていたのか、サラが一人で行っていたのか……。
「旦那様ぁー!終わりましたかぁー!」
「あと少し!」
「じゃあ、お風呂の用意をしておきますねぇー!」
サラは雪上を転ぶことなく器用に駆けて、家の中へと入っていった。
作業を終えれば、温かい湯に浸かれる。
エリックは奮起して、雪を下ろし続けた。
一仕事終えたあと、エリックはサラの沸かしたお湯で全身の疲れを癒した。
彼女はかいがいしく風呂の世話を焼こうとしたが、さすがにそれは断った。
家主であり恩人のサラを使えるほど傲慢な性格ではない。それに普段から使用人に頼り切る生活ではなかったので、身の回りのことはほとんど一人でこなせる。
湯からあがり部屋へと戻ると、暖炉の前の安楽椅子でうとうとしているサラを見つけた。
膝かけがずり落ちていたのでかけ直すと、眠たげな目がこちらを向いて、へにゃりと下がった。
サラはアマリーのとよく似た、澄んだ冬空のような綺麗な青い瞳をしている。
「旦那様も、お昼寝します……?」
エリックに安楽椅子を譲り、サラは床の絨毯に座ろうとした。
なので彼女の腰を掴んで引き寄せると、自分の足の間へと座らせた。そして安楽椅子の背にかかっていた特大ショールで、自分とサラをすっぽりと包み込む。
「わぁ!温かいですね!おばあちゃんのお膝の上みたい!」
サラの反応に、エリックは背後でくすりと笑った。
「おばあちゃん?サラは旦那様よりも、おばあちゃんがいいのか?」
からかうと、サラはぽんと手を打った。
「あ、そうでしたそうでした。旦那様は旦那様です。おばあちゃんにはなれません。ここは旦那様のお膝の……中?内側?」
「そこは表現しなくともよい」
サラは安心しきって、頭をエリックの胸へと預けてくるので、苦笑しながら何度も手のひらで優しく撫でた。
(サラが望んでいるのはきっと、旦那じゃなくて家族なのだろうな……)
二人分の体温は心地よく、ゆらゆら揺られながら、エリックはサラと仲良く微睡んだ。
* * *
サラは素敵な旦那様を得たと思っている。
狙い通りの場所に雪を落とせなくてむっとした顔は可愛いし、真剣に作業する姿はかっこいい。こうして背中から抱き締めてもらえると心地よく、なのに不思議と胸はどきどきとする。
エリックは慣れない雪降ろしによほど疲れたのか、すっかり眠り込んでしまった。
その腕はサラのお腹の前で、固く組まれている。
サラは動けないのに、全然もどかしくはなかった。むしろずっとこうしていたいと思うほどだった。
しかしそろそろ夕食の支度をしないといけない。
できるだけエリックに満足してもらいのだが、切り詰めるところは切り詰めておかないと、雪ごもり終盤に餓えて死んでしまう。
貯蔵庫にはまだたくさんの食材が残ってはいるものの、日数と頭数で割るとそれも微々たるものだ。
たとえ食料が尽きたとしても、きっと村の人が助けてくれる。だがエリックを助けると決めたのはサラなのだから、なるべくみんなに頼ることはしないように心がけておかなくては。
日持ちのしないものから順に食べていかないと、と考えていると、エリックが起きたのかサラの頭に頬をすり寄せてきた。
「……旦那様?起きたのなら、夕食にしましょ?」
「……うぅ、……まだいい。雪降ろしで普段使わない筋肉を使ったから、身体がひどく重たい」
「あ、じゃあ、夕食ができたらお呼びします。旦那様は、ゆっくりと休んでいてくださいねー」
キッチンへと向かおうとしたサラだったのだが、エリックの腕は前で交差したまま、ほどこうとしてくれない。
「旦那様、動けないです」
「夕食はいつでも食べられる。今サラがどいたら、一気に寒くなってしまう」
一人分の体温がなくなるのだから体感温度は下がるだろうが、室内は結露で水溜まりができるほどに暖かい。
「旦那様は寒がりですね?」
「やはりこの村の人間は、寒さに強いのか?」
「そんなことはないですよ?ぬくぬくなお部屋にこもっていると、寒さに弱くなる一方です」
サラはエリックの腕に手を重ねると、彼の顔が見たくて後ろを振り向いた。
目が合うと、彼は優しげに微笑みながら囁いた。
「じゃあ一日中こうしていないと。お互い寒さを凌げてちょうどいい」
そうしてますますぎゅっと抱きしめてくる。
「旦那様ぁ!潰れちゃいますよぉー!」
「ちゃんと手加減してる!」
「うー、だって……。心臓が、潰れちゃいそうなくらい、ばくばくしてて……」
頰を染めて俯いたサラの一言に、エリックが肩越しに顔を覗かせてきた。
胸を押さえるサラの手をどけて、自分の手のひらを押しあてる。
「……本当だ。激しく暴れてる」
「う、うぅ〜。……旦那様は意地悪です」
「上目遣いで睨んでも恐くないよ、サラ」
くつくつ笑うエリックに抱き込まれたままのサラは、唇を尖らせ足をじたばたとさせた。
もちろんあまい戒めは、しばらくほどいてはもらえなかった。




