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22話・さよならを告げます。


 チュンチュン……。


 小鳥のさえずりで、サラは目を覚ました。

 寝台から身を起こして、沈黙している玄関のドアへと目を向けてから、ここのところ日課となった朝一番のため息をついた。

 あれから何度、朝を迎えただろうか……。

 わかっているはずなのに、サラは知らないふりをした。

 寝台から下りると簡単に朝食を済ませ、町へと出かける支度を始めた。

 クリーム色の、スカートがふんわりと膨らんだワンピースに、つばの広い帽子。足には滑り止めのよく効いたブーツを履いた。

 村はまだ肌寒さが残っているので、ケープを羽織る。薄曇りの空だが、もしかしたら町につくまでに暑くなって、脱いでしまうかもしれない。

 町まではかなり、距離があるから。

 最後に大ぶりの鞄を一つ手にすると、サラは戸締りをしっかりとして、家を出た。

 


 すっかりと雪がなくなったのどかな草原を歩いていくと、運悪くドーランに見つかってしまった。

 今から家に来る途中だったのだろう。


「サラ!」


 呼びかけられたので無視をするわけにもいかず、サラは足をとめた。

 今日もまた、いつもとおなじことを言われる。

 サラはドーランの声に合わせて、心の中で一語一句違わず言葉を紡いだ。


(まだ帰って来ないな、あの男)


「まだ帰って来ないな、あの男」


 やっぱり。

 サラは深々と嘆息をもらした。


「もう帰って来ても遅いだろ。サラの誕生日は、明日だぞ」


 ドーランの言った通りだった。

 明日はサラの十七歳の誕生日。

 エリックは結局、今日まで帰って来ることはなかった。手紙一つ、届かない。


「……意地悪ばかり言うと、もうドーランとは結婚はしないからね」


 サラがぷりぷりして言うと、ドーランは押し黙った。

 ドーランとの結婚式自体は保留になっている。

 サラの気持ちが落ち着くまでは式は保留にしたいと、ドーランが村長にかけ合ってくれたのだ。

 すぐに気持ちは切り替えられないだろうから、と。

 エリックが間に合わなければ、サラはドーランの婚約者となる形でどうにか落ち着いた。

 エリックが期日後に訪れたとしても、ドーランを選ぶことが譲歩の条件だった。


「……今から町に行くのか?」


 ドーランが話を逸らしたが、サラはそれを受け入れて律儀に答えた。


「今日は少し、遠出してみようと思って」


「その鞄は?」


 ドーランはサラの大きな鞄を指差して尋ねてきた。


「ついでに編んだ小物や刺繍した服を売るの」


 サラの作ったものはできがいいとよく褒められるので、毎年雪ごもりが終わるとすぐに持って行っていた。だけど今年はエリックを家で待ち続けていたので、まだ町へ売りに行けていなかったのだ。

 それに、エリックと安楽椅子で仲良く座っていた時に作ったものばかりだから、思い出が詰まっていることで、売ることに抵抗があった。

 しかしサラにはもう、必要のないものたちばかりだ。

 誰かに使ってもらえた方が、悲しくない。

 小さなケープや、靴下も……。


「またいつものところか。気をつけて行って来いよ」


 ドーランは町があまり好きじゃないので、そう言って手を振った。


「ありがとう、ドーラン」


 サラはドーランに手を振り返しながら村を下った。

 しばらく会えなくなるかもしれない彼に、ごめんなさいと心の中で呟きながら。





 お昼すぎにようやくたどり着いた町は、どこもにぎわいを見せていた。

 サラは売れるものはすべて売ってお金に換え、向かった先は駅のプラットホーム。


 期限は明日。


 だけどサラは待てなかった。

 王都から来るのならば、蒸気機関車に乗って来るはずだ。

 列車がこの最果てにある終点駅に止まるのは一日に一度。

 その夕刻の到着までは、まだ時間がある。

 サラは閑散としたホームの、鉄製のベンチへと腰を下ろした。

 やることがないと、すぐに思考に耽ってしまう。

 ここのところ、悲しい想像ばかりを飽きもせずに繰り返していた。

 エリックがこのまま、永遠に現れない想像。

 サラのことなど忘れて、アマリーと幸せに暮らしている想像。

 そして、雪に埋もれていく自分の――。


「すぐに、帰って来ると言ったのに……」


 やっぱり嘘だったのだろうか。騙されたのだろうか。それとも、何もない村に帰るのが嫌になったのか。

 村長が、ドーランが、村の人たちが言った通りだったのだろうか。

 サラはただじっと、ホームの地面を見つめて唇を結んでいた。


 そしてこの寒々しいホームで、どれだけ待った頃か。

 赤く空を染め替えた夕陽を背に、蒸気機関車が黒々とした煙をあげて、たくさんの人たちを運んできた。

 サラは期待に胸を膨らませて、寸前で押し留める。

 列車が停車したのと、腰を浮かせたのは同時だった。

 サラは人と煙にむせながら、その中にエリックがいないかを探した。

 すべて目に止めるのは無理だったが、見逃してしまっても向こうからはサラのことがわかるはずだ。

 白金の髪に透き通る白い肌。

 密やかで、興味本意な眼差しが、自然とサラに集中する。

 それでもお互いに見つけやすいように、サラは乗降客の間を縫い歩き、エリックの姿を探し続けた。

 しかしどれだけ探しても、エリックらしき人の姿はどこにもいない。

 我先にと乗り込む人が殺到して、失意のサラは彼らに弾き飛ばされた。

 人が入り乱れて、ついには車内から流れ出てくる人の波が途絶えた。


 ――いなかった。


 エリックはどこにも、いなかった。

 だけどまだ、明日がある。


 ――でも、明日も来なかったら?


 あの家で日付が変わるのを、どんな気持ちで待てばいいというのだろうか。

 乗客を詰め込んだ列車が、発車しようとしているのがサラの目に映る。

 王都へと、戻ろうとしている。

 サラはふらりと足を踏み出した。

 初めからそのつもりだったのに、いざとなると足が重くて竦んでしまう。

 それでもステップにかけて、思い切って乗り込んだ。

 間髪入れずにサラの背中で、扉が閉めきられる。

 振り返って窓に張りつくと、町の向こう側にある山の、慣れ親しんだ村の景色が、遠く、小さく、にじんで見えた。

 発車の汽笛が鳴って、さよならを告げる。

 もう後戻りはできない。

 サラは待った。今日まで待った。苦しみの中で待ち続けた。

 なのに、来なかった。

 エリックは来ない。

 父も来なかった。

 誰も帰っては来ない。

 寂しい村。――ルイミ村。


「わたしは、帰って来るからね……」


 サラが村へと囁いた声は、動き始めた列車の、車輪が鳴らす摩擦の甲高い音によって、かき消されていった。



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