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21話・記憶をたぐります。


 あの雪に埋もれて過ごした日々がすべて、幻想だった。


 本当にそうだったのならば、こんなに、胸を裂かれるような息苦しさなど抱えずに済んだのに……。

 この重い身体に鞭を打って村へ駆けつけたところで、もう遅い。手遅れだ。

 どうしたって、間に合わない。

 サラがドーランとあの家、もしくは村長宅で暮らしている様子を平常心で眺める勇気は、とてもない。

 自分の痕跡が薄れ、塗り替えられていく想像をしただけで、吐き気がするほど耐えがたい。

 だったら夢の中で自分だけのものになっていてくれた方がよほどいい。

 彼女が自分以外の誰かに奪われる現実なんかより、ずっと……。

 頭を抱えていると、壁の下に落ちているチョコレートの欠片が目に入った。

 歪な形のチョコレートを見入り、エリックは泣きたい気持ちになった。

 それはサラと半分こをしたチョコレート、ではない。――絶対に。

 エリックが残していたチョコレートの欠片は、そんな形をしていなかった。

 サラが指先で二つに割ったチョコレートの形は、エリックの目にしっかりと焼きついていた。

 あの時二つに分けずに、サラが食べてしまっていたら、そんな形にまで意識がいくことはなかっただろう。

 雪の雫と同じだ。どう真似しても、同じ形になどならない。

 ましてや、話に聞いただけでは。


「……はは」


 騙せると思ったのだろうか。

 いや、騙しきれるとは思っていなかったのだろう。

 エリックが約束の期限に間に合いさえしなければ、それでよかったのだ。

 サラを諦めさえすれば、それで。

 なぜ、と考えるまでもない。

 両親はエリックを行かせないために、コースト子爵はアマリーのために。

 そのために、薬品か何かを使ってエリックを眠らせた。それだけだ。

 それだけのために、寝台へと縛りつけた。――茶番を演じてまで。

 エリックは一人きりの室内で、未だ痛みに苛まれる頭で、記憶の糸を手繰り寄せた――。





 数ヵ月ぶりに無事な姿で帰宅したエリックに、家族は涙して喜んだ。

 死んだと思っていた息子が帰って来たのだから、両親はそれはもう歓喜した。

 すぐに弟たちもそれぞれ呼び寄せられ、少し見ない間にたくましくなった彼らとも、感動の再会を果たした。――もちろんアマリーとも。

 彼女は、待っていてくれた。

 もうとっくに他の男と結婚していると思っていたのに。そうであればと、心の奥底で祈っていた自分は何で薄汚い人間だろうと思った。

 その場には、アマリーと父親であるコースト子爵もいた。

 だから申し訳ないと思っていても、結婚したい人がいるから婚約を破棄させて欲しいと頭を下げた。

 アマリーはショックを受けていたし、コースト子爵は苦々しい顔をして沈黙した。

 婚約者に贈る宝石を探しに行って、他の女性に惹かれてしまったのだから、罵られて当然だ。

 しかし彼らは、エリックに何も言ってはくれなかった。

 言えなかったのだ。家の格が、違ったから。

 その代わりのように激怒する両親を、エリックは時間かけて宥め、期限ぎりぎりまで家に居ることを条件に、サラの元へと向かう許可を得た。

 その日を指折り数えて、ようやく明日、家を出るというところまで我慢した。

 ぎりぎりではあるが、サラの誕生日にはたどり着ける。

 期限まで残り十一日。

 早めにチョコレートを買って来ないと。

 そう思いながら荷造りをしていると、夕食に呼ばれた。

 家族との最後の晩餐。

 なぜかアマリーとコースト子爵がいた。

 にこやかに迎えられたから、信じてしまった。馬鹿だったのだ。彼らに、理解してもらえたと思っていた。……そんなはず、あるわけがないのに。

 その食事の途中から、記憶が曖昧になった。

 そして今日、目が覚めた。

 サラとの思い出を長い夢にされて、忘れろと現実を突きつけられたのだ。

 もう手遅れだから、と。

 その方がエリックのためだから、と。


 ――コンコン。


 憤りと絶望感に震えていたエリックは、ふいに現実へと戻された。

 か弱いノックの音が続いても、エリックは無言でドアに目さえ向けずにいると、入室の許可をしていないのに、躊躇いがちにドアが開いた。

 入ってきたのは、アマリーだった。


「目が覚めたって聞いて……、それで……」


「今は、一人にしてくれないか?君だけは、傷つけたくない」


 アマリーが一番心を痛めているだろうことはわかる。彼女は優しい子だ。身勝手に婚約を破棄され、こんな茶番に付き合わされている。

 だから、彼女には八つ当たりをしたくなかった。

 しかしアマリーは出ていこうとはせず、だからといって近づいても来なかった。


「……アマリー。悪いが――」


「雪の雫、と……チョコレート」


 何かと思ったら、床に散るそれらを、アマリーがじっと見下ろしていた。

 雪の雫とチョコレート。

 価値ある宝石と、食べかけのチョコレート。

 エリックは頭痛に顔をしかめながら何とか寝台から這い出て、それを拾って傷がないか確かめた。

 壁に叩きつけてすまないと心の中で謝り、シャツの裾で綺麗に磨いてから、アマリーへと差し出す。


「これはアマリーのために見つけたものだ。今さらだが、君が真に愛する人と幸せになれるように、これを贈らせて欲しい」


 アマリーは虚を突かれたように目を見張ってから、くしゃりと顔を歪めた。

 泣きそうなのを堪えて、無理して笑う。

 その顔は、エリックに帰っていいと言ったあの日のサラと、よく似ていた。


「……それは、エリック兄様ではないのですね?」


「ああ、……すまない」


 他に何も言えなかった。

 アマリーは顔を俯けたまま、早口でまくしたてる。


「べ、別に構いません。親の決めた婚約者なだけでしたし?それでもこれは、慰謝料としてもらっておきます。わたしはもう一生、エリック兄様の顔なんて見たくありません。だからこれでも持って、どこへでも好きなところへ行けばいいのよ!」


 アマリーはエリックの手のひらに乗った雪の雫を掠め取ると、代わりに何かを投げつけてきた。

 その小さなきらめきは、エリックの胸にあたって、床で小さく弾んだ。

 エリックは慌ててかがむ。拾ったそれは、間違いなくサラのくれた雪の雫だった。

 結晶の中にハート型がある。

 てっきり捨てられたと思っていた。

 顔を上げると、踵を返して部屋を出ていくアマリーの姿が目に映った。

 その肩はかすかに震えていて、精一杯の虚勢が隠しきれずににじんでいる。

 きっと初めからこれを渡すために来たのだ。そしてエリックの背を押すために。

 そう思いたいだけなのかもしれないが。

 パタン、と想いを断ち切るようにドアが閉められ、エリックは雪の雫を握りしめ、そして立ち上がった。


 そうだ。行かなくては。もう遅くても、待っていなくても。――あの雪の村に。


 ――サラの元に。



アマリーがあまりに可哀相なので、彼女をヒロインで別の話を書こうと思います。

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