16話・お留守番をお願いします。
粉雪が舞う。
吹雪は名残だけを置いて、終わりを告げる。
もうすぐ――雪がやむ。
サラにとっては、切ない別れの合図だった。
エリックの愛は、今は鬱陶しいくらいに重いが、それも雪どけのように流れていくのだろうか。
それならば残滓だけでもいい。
サラの誕生日まで溶けず、彼の胸に愛情の欠片が残っていてくれたのならば――。
あるいは雪の雫。
彼が帰ってからも、大切にしていてくれたのならば――。
* * *
家にドーランがやって来た。
しかもエリックがもたもたしている間に、朝の雪降ろしまで横取りされてしまった。
サラはお礼にと、朝食を振る舞う。
三人の食卓はまるで地獄。
これまで大人しくしていたのに、ここへ来て妨害しに入ってくるとは、何とも陰険な少年だ。
サラとの大切な一日一日が着実に減っていくこの時に、わざわざ顔を出して存在を主張してくるとは。
しかもサラはこれから出かけるという。――なぜか、一人で。
一緒に行けとは思わないが、ドーランをここに置いていかれても、とは思う。
(私に話があるのだろうが……)
それも、サラには聞かせたく内容の話なのだろう。
その見当はついていても、肝心の内容まではぴんときていなかった。
二人の男に見送られたサラは、さすがに微妙な面持ちのまま後ろ髪引かれた様子で出かけて行った。
部屋へと戻るとエリックは定位置である安楽椅子、ドーランは食卓の椅子へと腰を下ろす。
居心地が悪すぎるが、エリックは大人の余裕で表情を変えずにいると、ドーランがまず口火を切った。
「サラは花嫁衣装のサイズ合わせに出かけた」
エリックとのではなく、ドーランとのだ。
そんなものを作っても無駄になるだけなのに。ご苦労なことだ。
サラが好きなのはエリックであり、サラが結婚するのもエリック。決してドーランではない。
微々たる動揺もなく、エリックは口の端をあげた。
「無駄になった衣装代くらいは、こちらで持とうか?」
怪訝そうにしたドーランだったが、意味がわかると憎々しげにこちらを睨みつけてきた。
「性格の悪いおっさんだな」
(お、おっさ……)
さすがにこれには応えた。
ドーランからしたらエリックはかなり年上であり、そうなるとサラから見ても同様ということになる。
エリックの動揺を感じ取ったのか、ドーランが続けざまに攻撃をしかけてきた。
「若い娘に鼻の下伸ばしてべたべたして。見苦しいぞ、おっさん。自分の年を考えて父親代わりくらいの気持ちで接しておけよ」
鼻の下は伸ばしていないが、ドーランはことごとくエリックの痛いところを突いてきた。
サラとの年の差はどうやっても埋まらない。こればっかりはどうにもならない。
だが、サラが好きだと公言しているのはエリックだ。
しかしそれが恋愛感情であるかどうかは、サラ以外の誰にもわからない。
もしかしたらドーランが言うように、父親代わりに愛されているのではと、しばし考えさせられてしまった。
(……そんなことはない。現にサラは、私にだけどきどきすると言っていた)
サラの胸の鼓動に触れたこともある。
あれは間違いなく、異性として意識してのものだった。
エリックはそう信じて、何とか気を取り直した。
「サラは人を年齢で選んだりはしない。そう言っていた。嫉妬の方が見苦しいよ、少年」
ドーランはカッとしたようだったが、それでもぐっと堪えた。そして息を深く吐き出し気を落ち着ける。
「……何にも知らないおっさんに、忠告しておく。サラはあんたのことなんか信じてない。帰って来ないと思ってる」
「そんなわけないだろう。信じていないのは村人たちではないか」
ドーランは嘲りの表情を浮かべていたが、不思議と声は囁くようなものだった。
「そんなの、当たり前だろ。みんなサラを心配してる。サラが……、サラの母さんみたいにならないかって」
「……サラの、母さん?」
サラの両親の話は一度も聞いたことがなかったが、エリックも家族のことを何も話していないので、気にもとめていなかった。
「サラの父親は、あんたみたいな遭難者だったんだよ」
ドーランに吐き捨てるように言われたが、何をそこまで蔑まれなければならないのかがわからない。
サラの父親も、自分のように助けられて、恋に落ちたのだろうと素直にそう思った。――ドーランが続きを口にするまでは。
「サラの母さんは、その男の『帰って来る』って言葉を信じて待った。なのに、帰って来るどころか手紙の一つもなかったって。……お腹に、サラがいたのに」
ドーランが我がことのように沈痛な面持ちで語ったのは、昔のエリックにとってはひやりとするような内容の話だった。
捨てられたサラの母親は、来ない人を待ち疲れて亡くなったという。――サラを残して。
エリックはようやく腑に落ちた気がした。この村で何件家を訪ねても、すげなく断られた理由が。
そしてサラが、待たないと言った理由を。
待つことが怖いのだ。
帰って来ないかもしれないから。――父親のように。
「あんたも帰って来ないよ」
ドーランがエリックを見た。初めて、まっすぐに向き合った気がした。
「私は必ず帰る。そんな不実な男と一緒にされたくはない」
「帰って来ないよ。こんな雪の中で暮らすなんて、小さい頃から慣れてないと無理だ。雪が嫌になったらどうするんだ?」
「その時はサラを連れてここを――」
「だから。無理だって言ってるだろ。俺たちが好き好んでこんな不便な場所に住んでると思ってる?」
ドーランは皮肉げに笑った。自嘲しているようにも見えた。
エリックも確か、そんなことを考えたことがあった。
あれは、雪降ろしをしていた時だっただろうか。
なぜルイミ族はこんな場所に住もうと考えたのだろうかと、不思議に思った。理解できないと。
しかし、逆だったのだ。
なぜこんな場所に、ではない。こんな場所にしか、住めなかったと考えるべきだった。
エリックが答えを見つけたと気づいたのか、ドーランはどこか悲しげな表情で、それを口にした。
「俺たちは遺伝的に太陽に弱い。――暮らせないんだよ。外では」