13話・風邪は引き初めが肝心です。
エリックにとってのサラは、かけがえのないものだ。目に入れても痛くない、何より大切で可愛い恋人。
そのサラが同じように自分を好きでいてくれることが快い。
だが、ドーランとの結婚の取りやめがされないことが気がかりだった。
エリックが一歩この村を出たが最後、サラは村長によって有無を言わさずドーランと結婚させられてしまうのではないだろうか。
今のエリックが有利な状況の内に、彼女を確固として我がものにしたい欲求と、恩人であるサラを傷つけまいとする理性が複雑に縺れて絡み合う。
「サラ、どこへ?」
いそいそと身支度を整えるサラに、つい問いつめる口調になってしまった。
サラは首にぐるぐると何重にもマフラーを巻きながら、「村長の家へ」と答える。
村長の家。
つまりドーランの家だ。
「何をしに?」
「ちょっと、個人的な用事です」
サラは都合が悪い時は必ず、『個人的な』を使うので、ドーランとの結婚の準備に行くのではないかと疑いを持った。
行かせたくない、と思った。
行かせてなるものか、とも。
エリックは咄嗟に身体を折って、ごほごほと咳き込んだ。
サラの気をうまく引けたようで、帽子をかぶろうとしていた手が宙でとまった。
「……お風邪、ですか?」
「かもしれない。……寒気がする」
この年にもなって仮病。
しかし意味のある仮病だ。
サラが近づいてきて、エリックの額に手のひらをあてる。
背伸びする時の、つま先が可愛いらしい。できれば額に手をあてるためではなく、口づけのために背伸びをして欲しいものだ。
「熱は……なさそうですね?」
仮病なので間違いなく熱はないのだが、エリックはにやけそうになるのを押し殺して、辛そうな顔を作った。
「しばらく横になる。……サラは、気兼ねせず行っておいで」
(何が気兼ねせず、だ)
エリックば自分自身に呆れつつ、寝台へと横たわった。
サラは寝台のそばをうろうろとしながら、逡巡している。
どうしようかと悩むそぶりをし、エリックはだめ押しで何度か咳をして、震えた身体を布団に埋めた。
彼女は慌ててキッチンへと駆けて行き、温かい生姜湯を作って戻ってきた。
「これを飲んで、いい子に寝ててくださいね」
生姜湯を冷ましていたエリックは、その発言に耳を疑い、サラを二度見した。
「行くのか?」
「行けないという報告をしに、行かないと」
何て面倒なとエリックは思ったが、自分のせいなのでだんまりを決め込んで、大人しく生姜湯をふうふうと冷ます。
「すぐに帰ってきますからね」
結局サラは出かけてしまった。
こういう時、使用人がいないのは不便なものだと思う。
(だいたい女性を呼び寄せるのではなく、あちらが来るべきだろう)
地下通路がいかに安全な道だとしても、若い娘を一人歩かせるとは。
「ついて行くと、ごねればよかった……」
下手に嘘をついたせいで、エリックは寝台に縛られ、後を追うことすらままならない。
とはいえサラは宣言通り、ほどなくして帰宅した。
小さな村なので移動距離もさほどないからだろう。
それともエリックを心配して走って来たのだろうか。
そう思い幸せな心地に浸っていると、サラが紙袋を掲げた。
「苦ぁーいお薬もらってきましたよー」
苦いは余計だった。
飲む前から腰が引ける。
「あまいものと割って飲もう。蜂蜜か何かと混ぜてくれないか?」
「だめですよー。お薬は白湯で飲まないと」
「……嫌だ」
「わがまま言わないでください。ちょっとの油断で大変なことになるのですから。風邪をあまく見てはいけません。大きな病気を併発したらどうするのですか。引き初めに対処することが肝心なのです」
一回り近くも年下のサラに、正論をぶつけられて叱られた。
大人としての威厳がずたずたのぼろぼろだ。
薬包と白湯を押しつけるように手渡され、エリックは仕方がないので受け取った。
薬包を破ると、苦いですよと言わんばかりの深緑色の粉末がふわりと香る。
(なぜ風邪でもないのに薬を飲まないといけない?)
すべては自分の責任であるので、誰にも転嫁できないのが悔しい。
なので潔く、飲み下した。――が。
「……?思ったよりも苦くない」
「えー?そうですか?」
サラは自分が飲んだかのような、苦い顔をしている。
これはあれだろうか。
年を重ねて味覚が変わると、舌が鈍感になるというあれなのだろうか。
サラとの年の差がささいなことで顕著となり、エリックは少々落ち込んだ。
「大人ですねー」
サラが無邪気に追い打ちをかけてくる。
「……大人の男は好きじゃないか?」
ふてくされている自覚を持ちながらエリックが問うと、サラはこてんと首を傾げた。……可愛い。
「大人だからとか子供だからとかいう理由での、嫌いはないですよ」
サラらしい答えだ。
少しあまやかしたくなった。あまえたく、かもしれないが。
「サラ、苦い薬を飲んだご褒美がまだだよ?」
「ご褒美をあげるなんて言ってません」
エリックはサラの腰を掴むと、横向きで自分の膝へと乗せた。
「サラ、ご褒美」
「うー……」
サラは唸りながら渋っていたが、最後にはエリックの頬に軽く唇を触れさせた。
本当は唇にして欲しいところではあるが、ここは我慢。
今はまだ、サラに強要はしない。
それはもう少し心が通じてからだ。……本当はすぐにでもしたいが。
「健康には気をつけてくださいね。……町には下りられないのですから」
「わかってる。寒気がするから、今日はサラをずっと抱いていよう」
「いつもずっと抱いてるじゃないですかぁー」
「風邪は引き初めが肝心なのだろう?だったら温かくして眠らないと。サラがいないと寒くて眠れない」
「……眠るまで、ですよ?」
妥協したサラが布団に入ってきた。
定期的に風邪を引こうと、エリックは密かにそう決め彼女を抱きしめたのだった。