12話・村長に呼ばれた日のことです。
「サラよ。これまでおまえの母の話を誰もしなかったのは、幼いおまえが亡き母を恋しがると思ってのことだ。しかしな、教えておけばよかったと、今はみなが後悔しておる。まさかお前が母親と同じ過ちを犯すことになろうとは、思ってもみなかったのだよ」
サラが村長から聞かされたのは、顔も記憶にない母親の話だった。
彼女は遭難者を助けて、その彼と恋仲になった。――否、なったと思っていた。
雪がやみ、一度帰郷すると言った彼を何の疑いもなく送り出して、それっきりになってしまったという。
サラという置き土産を残して、それっきり。
待つことに疲れてしまった彼女は、とうとう雪に身を投げ、そして物心つく前のサラは祖母に引き取られた。
祖母といっても本当の祖母の妹だ。それは知っていたが、愛されて育ったサラからすれば、祖母は一番の家族だった。――名前も知らない産みの親よりもずっと。
だが同じ道を歩いているのだとしたら、何とも皮肉な話だった。
「サラよ。おまえが今共に暮らす者も、帰っては来んのだ。幸い、うちのドーランがおまえを嫁にしてもよいと言っておる。だから後のことは心配せんでよい。ただ、不用意に相手の言葉を信じるな。そしてサラのような憐れな子供が産み落とされないよう、行いに気をつけることだ。……いいか?わかったな?」
「……はい、村長」
何とかそう答えると、村長は目尻の皺を深くした。
「よろしい。……念のため、身体を調べさせよう」
それからサラは、心配して集結した村の女たちと医師によって身体を調べられた。結果、妊娠はおろか、まだ生娘であることがわかり、彼女たちの間に深い安堵が広がった。
サラとしては、エリックとの赤ちゃんがいると思っていただけに、かなりのショックを受けた。
同時に、エリックがサラを捨てると初めから決めていたのだと思い知らされた。
振り返ってみれば、赤ちゃんの話をしても、彼は適当に聞き流していただけだった。
否定もしなければ肯定もしない。
サラのお腹に命が宿っていないことを、エリック自身が一番よくわかっていただろうに。
「ドーランとの結婚は次の雪ごもりの直前にある、サラの十七の誕生日に行うとしよう」
村長に言われて、サラは初めて自分の正確な年齢を知った。
エリックとはやはり、一回りも違ったのだ。
これまで感じることのなかった距離が、突然開いてしまったように感じた。
「サラよ。遭難者の『帰ってくる』は、すべてが真っ赤な嘘なのだよ。本当にサラのこと離したくないと願うなら、雪がやんでも、どこにも行かないと言うはずなのだから」
「だけど……、お家に帰りたいという気持ちは普通のことです」
サラだって、見知らぬ地に一人いたら、故郷のこの雪が恋しくなる。
しかし村長は首を縦には振らない。
「一度戻ればこの雪しかない土地のことなど、すぐに記憶の隅に追いやってしまうだろう。栄えた町の華やかさによって、この真っ白な村は無情にも塗りつぶされていくものだ。最後にはサラ、おまえのことも。……母のようにな」
「わたしのお父さんは……どこの誰なのですか?」
「それはわからんが、おまえの父はどこかの貴族だと聞く。その瞳は母親のとは違うから、父親譲りのものかもしれん。だがもう、おまえの母のことなどとっくに忘れておろう。おまえのことも、同様に」
サラはそっとまぶたに触れた。まさか自分に、ルイミ族とは別の血が混じっているとは思っていなかった。サラの容姿はルイミ族の直系、そのものだったからだ。
「よそ者の男とは、実に厄介なものだ。美しいものをすぐに囲いたがる。我がものにしたがる。そのくせ飽きるのが早い。『雪の雫』と呼ばれるあの石ころを、溶けることのない永遠の愛と言って示さなければ信じてもらえぬほどに、軽薄な者たちばかりだ」
「でも、だったら村長、わたしはどうしたらいいのですか?エリック様には胸がどきどきして、一緒にいると幸せに感じるのです」
「ならばゆっくりと心を離していくのだ。時は人を癒すこともある」
「信じてみては、いけないのですか……?」
「辛いのはおまえだよ。……雪に見投げした母を、忘れるでない」
サラは沈黙していたが、最後にはこくりと神妙に頷いた。
――村長のその言葉たちが、耳鳴りのようにつきまとう。
エリックに愛を告げられたサラだが、それを信じて裏切られたら……、という思いは払拭できてはいない。
毎日熱心に睦言を囁いてくるエリックを、ふとした隙に疑ってしまうことがつらい。つらくて、心苦しい。
「サラの髪にはどのような髪飾りが似合うだろうか」
安楽椅子でサラを抱き込むエリックに、髪をやわやわと撫でられて、サラは我に返った。
「宝石をあしらった髪留めでも、鳥の羽をふんだんに使った前衛的な帽子もいいが……。ああ、花を飾るだけでも、サラの清らかさがよりいっそう増していい」
そうやってあまやかされると、どうしてもサラの胸はどきどきを押さえきれない。
別れがないのなら、素直に可愛い返答ができるのに。
サラは心に壁を打ち立てて、響かないように自分を守った。
「毛糸の帽子が一番ですよー」
(寒くないし)
「うぅ……む、外はそれでもいいが、室内では可愛くして私の目を楽しませて欲しい。王都で何かサラを引き立てるような、上等な品を見繕って来よう」
「わたしはチョコレートがいいです。また、半分こしましょ?」
そっと願望を口にすると、エリックがサラの頬に唇を寄せた。
「必ず持って帰るよ、サラ……」
口づけが下りてくる。
首筋を辿って、鎖骨、胸元まで。
サラが身をよじると、そこでやめてはくれるが、彼は物足りなさそうな顔をする。
それでもこめかみに打ち止めのキスを、ちゅっとすると、エリックはサラから意識を逸らすためか本を開き、読書に移行した。
サラを思う存分可愛がりたいという、その胸の内は透けて見えるのに、肝心な部分は何一つ浮かび上がっては来ない。
だって彼はまだここにいる。――サラのそばに。
だけど故郷に帰ってからの彼の気持ちはきっと、エリック自身にもわかり得ないことなのだ。
サラは今ある温もりに、今だけ、今だけと言い聞かせて、そっと身を預けた。