11話・愛を語らいます。
サラはここしばらく中断していた編み物を再開した。
赤ちゃん用の靴下の続きを、黙々と。
エリックは黙っている。何か思い詰めた顔して、ずっと。
彼の赤ちゃんはまだお腹にいないと、村の奥さんたちに教えてもらったので、これはドーランとの赤ちゃん用ということになるのだろうか。
うまく想像できないが、ドーランは小さな頃からの友達だったので、きっと結婚してもうまくやっていける。
エリックに感じるような、どきどきや、ずきずきがなくても。――きっと。
「……サラは」
随分と久しぶりにエリックが話しかけてきた。
「何ですか?」
「……ドーランのことが、好きか?」
「好きですよ。幼馴染みで友達ですから」
「そうじゃない。異性として好きか、と聞いてる」
「それを聞いて、何か意味があるのですか?」
サラがエリックへと目を向けると、彼はほんの一瞬だけ、傷ついたような表情をした。
サラはもっと、ずっと傷ついているのに。
何か話していないと、涙が出てきそうだった。
「……昔のことです。遭難者と暮らして、結婚の約束をした女性がいたそうです。彼は帰ってくると言って、彼女は何年も待ちました。それでも彼は帰ってくることなく、彼女は絶望して、吹雪の中に身を投げて死んでしまったそうです」
だから村の人たちは、遭難者を嫌う。
サラは何も知らなかった。――何も。
「……私が帰ってこないと?」
「帰って来てくれるつもりでしたか?」
口をつぐんだエリックからは、やはり期待するような返事はない。
サラは棒針を動かす手を止めて、ため息をついた。
ずっと一緒にいてくれると思っていたのだ。
だから一度家に帰りたいと言われていたら、きっと何も疑うことなく送り出していた。――『彼女』のように。
そうして彼が帰って来る日を待ち焦がれて、……絶望するまで待ち続けて、最後には雪に身を投げていたのかもしれない。
「わたしはエリック様がいなくなったら寂しいです。二人でいることに慣れてしまいましたから。だから今度は一人に戻ることに慣れないといけないので、これからは……距離を取って過ごしましょ?」
彼がいなくなってから、絶望してしまわないように。
少しずつ、少しずつ離れていかないと……。
そう提案したことも忘れて、編み物に没頭していると、ようやくエリックから「わかった……」と絞り出したような了承の声が聞こえてきた。
サラは毛糸に落ちた小さな雫をとけた雪のせいにして、ただ黙々と手を動かし続けた。
* * *
寝台は一つ。
眠るのは同じ布団。
だけど会話はほとんどなく、サラは呼んでも安楽椅子に座らなくなった。
エリックはこれまで生きていた中でどれだけ振り返っても、これほどの苦痛を味わったことは一度もなかった。
まるでこの雪の積もる小さな家に、一人きりで暮らしているような気分だ。
もうどれくらいになるだろうか。数日か、数週間なのか、わからない。
ひどく、息がつまる。
サラに触れたい。抱きしめたい。体温が溶け合うくらいに、抱き合って眠りたい。
その思いを振り払おうとすればするほど、屋根に降り積もる雪のように、重く胸へとのしかかる。
(雪がやんだら、帰ろう)
ただし、アマリーとの婚約を白紙に戻してもらいに。
許されないのならば、すべてを捨てて来よう。
それからサラの元へと帰って来る。
それならば、サラをドーランと結婚させないで済む。――自分のものにできる。愛する人を。
また、『旦那様』と呼んでもらえる。
あのへにゃりとした、可愛いらしい笑顔で。
明日の朝が来たら、彼女ともう一度ちゃんと話し合おう。本物の夫婦になるための、話をしよう。
エリックはそう固く決意し、しんしんと積もる雪の音を子守唄に、そっと目を閉ざした。
そして待ち構えていた朝がきて、真っ先に昨夜決意した話をサラにした。
本当の夫婦になりたい、と。
必ず帰ってくるから、待っていて欲しい、と。
アマリーに贈るはずだった『雪の雫』を、想いと共に手渡して。
しかしサラの返事は――否、だった。
サラなら信じて待っていてくれると過信ていただけに、ショックだった。
「この『雪の雫』は、わたしのものではないのでしょ?」
サラは泣くのを我慢するような、眉をきゅっと寄せた顔で、エリックの渡した『雪の雫』を突き返してきた。
「雪の雫を贈る風習なんて、この村にはありません。それにエリック様が帰ってくる前に、わたしはドーランと結婚します。きっと、間に合いません」
「絶対に間に合わせる。村長に直談判してもいい」
「……エリック様は、どうしてご自分が急にそんなことを言い出したのか、わかっていますか?」
「サラのことを、愛していると気づいたからだ」
真摯に告げたエリックへと、サラは拒絶するように首を横に振った。
「それはきっと、違うと思います。自分のものだと思っていたものが誰かに取られそうになったから、焦っただけです。子供とおんなじです」
「そんなことはない!」
まさかそんな風に否定されるとは思っていなかった。想いが一片たりとも届いていないとも。
「一旦お家に帰って冷静になった時、この村に戻ろうなんて思いますか?たくさんの娯楽があって、景観の美しい場所があって、いつでもチョコレートの食べれる故郷を捨てて、この雪しかない村に永住してくれるのですか?」
「雪しかないことはない。ここには、サラがいる。この先どれだけ雪が嫌になっても、私はサラを置いて逃げることだけは決してしない。無理やりでも、サラを連れて行く。ずっと一緒だ。だから、雪がやんでからの少しの間だけでいいから、待っていてはくれないか?」
どれくらいした頃か、沈黙していたサラが弱々しくだが、へにゃりと笑った。もしかすると苦笑したのかもしれない。
「ずっと一緒、ですか?」
「ああ。ずっと一緒だ」
まだ寝台にいたサラの髪を耳へとかけて、その白い頬に口づけを落とした。
サラはくすぐったそうに身をよじる。
それでも、嫌がりはしなかった。
「だけど、……本当の旦那様になってくれるまでは、あなたをわたしの旦那様とは認めません」
「構わない。今はまだ、愛してくれとも言わない。言う資格もない。それでも、私がサラを愛していることだけは、否定しないで欲しい」
この想いは確かに他人に揺さぶられて表に出てきた感情だが、前々から隠し持っていたものでもある。
嘘ではない。ずっとサラのことが好きだった。……たぶん、初めから。
「……わかりました。――それと、わたしはエリック様よりもずっと前から、あなたが好きでした。わたしがどきどきするのは、エリック様にだけです」
不意打ちで可愛いことを言ったサラを寝台に押し倒してしまったのは、下心ではなく、感極まってのことだった。