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10話・雪がやんだら結婚です。


 雪ごもりもそろそろ半分をすぎた。

 サラとの仲は相変わらずだ。

 相変わらず、『エリック様』だ。

 今のエリックには、女性の気を引き、喜びそうなことを何一つしてやることができない。

 流行りのドレスや靴を贈ることも、華やかな夜会に連れていくことも。

 しかし誰もがサラの愛らしさに目を奪われ、口説きに来ると考えると、自分の手の中に隠しておきたい気持ちのほうが強くなった。


(やはりだめだ。あんな有象無象ひしめく場所には連れて行けない)


 しかしサラも年頃の娘たちのように、そのきらびやかな世界にぽぅっと見蕩れるかもしれない。

 そんな彼女を自分の妻として連れ回せたら、どれだけいいだろうか。

 だが、現実はそう甘くはない。

 エリックにはアマリーという婚約者がいるのだから――。


「ちょっと村長のお宅に呼ばれているので、行ってきます」


 サラがもっこもこの装いで、マフラーの下からそう告げた。

 帽子に耳あてまでして、普段の三倍には膨れ上がった姿は、今までで一番の厚着だった。

 サラは年相応の顔立ちをしているが、毛糸のワンピースの下には魅惑的な曲線を描く身体を隠し持っている。見たことは決してないが、いつも抱きついていればだいたいわかる。そして、胸部が豊かだからだろうか、厚着すればするほど、なぜかもこもこのぬいぐるみ状態となる。

 それとも、外出時は腰回りにも何か巻いているのだろうか。


「送っていこうか?」


 エリックが尋ねると、サラはふるふると首を横に振った。


「村長のお宅までは通い慣れているので。エリック様は、くつろいでいてください」


 もこもこサラはそう言い残すと、貯蔵庫の方へと消えていった。

 サラがいないとくつろぐどころか、退屈でしかたない。

 かといって、地下通路を追いかけて迷子になるなどという情けない失態は犯せない。

 エリックが一人で行って帰って来れるのは、湖水へと続く道のりだけだ。他は入り組んでいて、迷うのは必至。


(しかし村長が、一体何の用でサラを?)


 考えられるのはエリック自身についてのことだ。

 ついに村長が乗り出してくる事態になったのだろうか。

 サラには世話になってばかりなのに、迷惑しかかけていない気がする。

 エリックは深く自嘲の息をつくと、安楽椅子へと体重を預けた。




 ついうとうとしてしまい、ふと目を開けると、薄曇りの窓の外が宵をまとい始めていることに気がついた。

 サラはまだ帰っていないらしく部屋が寒々しい。

 エリックはため息をつきながら身を起こした。

 頬杖をついてぼんやりと暖炉の火を眺めていると、貯蔵庫の方から物音がした。


(サラか……?)


 エリックは特大ショールを肩にかけたまま、足早に貯蔵庫へと向かった。

 冷気が漂う貯蔵庫の床は、まだ扉が閉ざされている。ならば物音は地下通路の奥から、響いてきているのだろう。エリックは扉を開けて薄暗い地下を覗き込んだ。

 目を凝らすと、階段の下あたりで橙の弱い明かりが揺れているのが見えた。――二つだ。

 声を遮っていた扉を解放したことによって、会話がエリックの元へと吹き抜けてきた。


「――サラ。……いいのか?」


 サラを気遣うようなこの声は、ドーランだ。


「……うん」


「そうか……。雪がやむまでは我慢するけど、その間何かあったらすぐに俺に言うんだぞ?」


「わかってるよ、ドーラン」


「俺は絶対にサラを見捨てたりしないからな?だから……その」


「結婚?」


(結婚……?)


「うっ、あ、ああ。……じゃあな。気をつけて暮らせよ」


 足音が一つ、遠ざかる。

 サラが、またねと手を振る。

 エリックは呆然としながら、今の会話を頭の中で反芻していた。

 結婚、と確かにサラはそう口に出して言った。

 ドーランが照れたようにどもり去って行った。


(まるでサラがドーランと結婚するみたいではないか)


 みたい、ではなく、そう、なのだろうか。

 雪がやみ、エリックがこの地を去ったら、彼らは結婚すると約束してきた?

 自分がいなくなった後のことを?


「……あれ?そんなところで、何をしているのですか?」


 貯蔵庫で膝をついていたエリックは、階段を上ってきたサラの怪訝そうな顔をじっと見つめ返した。

 彼女は小首を傾げつつ、扉を元通りにぴっちりと閉める。


「……村長は、何を?」


「エリック様のことじゃないので安心してください。ちょっとした集会と、……個人的なお話でした」


「個人的な?」


「あ、お腹空きましたよね?今から支度するので待っててくださいね」


 サラはそそくさとキッチンへ向かっていく。

 エリックはその後に続いた。


「サラ」


「今日は乾燥わかめをもらったので、またスープになっちゃいますね」


 サラはもこもこの防寒具を一つずつ外しながら、支度を始める。エリックとなるべく目を合わさないようにしているようだった。


「サラ、さっき村長の息子と話していたことは?雪がやんだら結婚とか、言ってなかったか?」


 サラは他愛のない話のように、乾燥わかめを水で戻しながら、珍しく饒舌にしゃべった。


「この村では、一度男の人と暮らしたら、誰もお嫁さんにもらってくれる人がいなくなるらしいのですよ。わたしも今日まで知りませんでした。もらってくれるのは、望んでくれた人だけらしいです。奥さんが亡くなった人とか、……あとは、愛人さん?」


 この村でも、女性の立場は低いようだ。

 エリックが帰った後のことを、村長が話して聞かせたのだろうか。

 正直、エリックはそこまでのことまでは考えていなかった。

 最近ではこの生活が、ずっと続いていくようにすら感じていた。

 つまり、サラは永遠に自分の妻だという、おごった考えでいたのだ。


(サラが誰かの後妻や愛人に?……冗談じゃない)


「雪がやんだら村を出――」


「でも。ドーランが、見捨てないって言ってくれたから、わたしは後妻さんや愛人さんにならなくてもいいそうです」


 サラはよかったよかったと、ころころ笑う。

 ドーランの妻になることに、安堵しているような口ぶりだった。

 エリックは口にしかけた言葉を、ぐっと胸へと押し込めた。

 サラを連れ帰っても、村長がしようとしたことと同じことをするだけだ。――サラを、愛人にと。


「だからエリック様は気にせず、お家に帰っていいですからね」


 こちらを振り返ったサラは、初めて悲しい顔を見せた。その顔で、笑った。……無理やり。

 まだ責めてくれた方がよかった。

 なのにまだ、彼女はエリックを優先に考える。

 それでもこれからは、心を許してはくれないのだろう。

 サラを見捨てて去るエリックではなく、サラを見捨てず結婚を望むドーランに、これまで向けられていた愛情がすべて、移っていく。

 エリックへの優しさは、好意から善意に。

 心があの湖水のように、一気に凍りついていくのを感じた。

 青ざめて立ち尽くすエリックに、サラは小首を傾げて尋ねた。


「――エリック様?」


(……ああ、そうか)


 それはもう二度と、彼女の口から旦那様とは呼ばれないのだと、エリックがはっきりと理解した瞬間だった。



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