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1話・遭難者を拾いました。


 粉雪が、凍えた身体へと降り注ぐ。



 あまりの静けさで、雪がしんしんと音を響かせ、夜の闇を白く染め上げていく。


 足跡は歩いた先から消されていき、どちらから来て、どちらへと向かって行くのかもわからなくなった。

 かじかむ指先にはもう感覚はなく、外套のポケットの中で握り締めているものが、残りわずかなチョコレートの欠片なのか、宝石だったのかさえわからないほどだ。

 エリックは、ただがむしゃらに生にしがみつくように、歩みを進めた。

 そしてどれくらい歩いた頃だろうか。一軒の民家が見えてきた。凍りつく足を叱咤して、その家の玄関先まで辿り着くと、ドアを叩いた。――何度も、何度も。

 しばらくして、しっかりと防寒具を身に纏って出てきたのは、警戒心をあらわにした若い女性だった。


「……何か?」


「申し訳、ないが、泊めてもらう……わけには――」


 がたがたと寒さに震えながら懇願している途中で、彼女は表情を一変させた。――無論、悪い方に。


「無理よ!別の家を当たってちょうだい!……まぁ、どこも断られるとは思うけど」


 そう言って、情けをかけることなく、鼻先でドアが閉ざされた。

 一瞬見えた暖かそうな室内には、幼い子供たちの姿があった。

 エリックはそれだけで、無理だと悟った。


 このルイミ村は、一年の内のほとんどを雪に埋もれて過ごす。約九ヶ月間ほどのその期間のことを、『雪ごもり』という。

 その暮らしにくく雪で閉ざされた村に古くから住んでいたのは、ルイミ族という、白金の髪に真っ白な肌を持つ一族であった。

 雪がやんでからまた降り始めるほんのわずかな期間のみ、村は開かれ、外との交流をする。その間、村への行き来は誰でも自由となる。

 しかし雪が降り始めたら最後、一切、外から人が訪れることはない。

 なぜなら、帰ることができなくなるからだ。

 雪はとどまることなく降り続け、ルイミ村に住む村人たちは、一人残らず家の中へと閉じ込められる。

 なので雪の降らない三ヶ月間で薪や食料や日用品を蓄え、万全の体勢で雪ごもりを迎える。

 人を一人泊めるということは、九ヶ月ものの間、家に他人を居候させると同義だった。

 いくら余分に食料を溜め込んでいたとしても、たかがしれている。

 エリックもそのことを十分理解してはいたのだが、絶望は計り知れないものだった。

 これで一体、何件目のことだろうか。

 氷づけにされて、無惨な姿で発見される自分の想像をして、ぞっとした。

 近い未来、そうなり得てしまだろうことが恐ろしい。

 追い払われた家を離れ、エリックはあてもなく彷徨った。

 ここでは金などあっても、何の意味も成さない。

 王都ならば、ポケットの中にある宝石を渡せば、最高の待遇で迎え入れてくれるだろう。

 しかしここルイミ村の特産こそが、エリックのポケットに収められた、『雪の雫』と呼ばれる、この宝石だった。

 雪の結晶のように一つ一つ形が違い、加工の必要がない美しさを持つ。

 この雪の雫を婚約者に贈れば、溶けてしまうことのない永遠の愛が誓われると王都では昔からまことしやかに囁かれ、特に上流階級の貴族たちの間では恋人への贈り物としても大変人気の品だった。

 買ったものではなく、自ら手に入れてきたものなら、なおさらだ。

 エリックは貴族であり、政略結婚ではあるが、妹のように可愛がっていた子爵令嬢との結婚を控えていた。

 雪の雫で結ばれたという両親の仲睦まじさに憧れていた彼女が、エリックにその宝石を採って来て欲しいと、珍しくわがままを言ったのは、雪ごもり目前の今から二週間ほど前のことだった。

 彼女を妹としてしか見れないことへの負い目も手伝い、結婚前に何とかその願いを叶えようとしたのだが――。

 どちらにしてももう、式に間に合うことはないだろう。

 それに、生きて九ヶ月間をここで過ごせたとしても、もう遅い。

 ルイミ村から帰らない時点で、きっと生存の見込みがないとされるはずだ。


 そしてエリックの視界は霞み始め、本格的に意識が朦朧としてきた。


 ――その時。


 すぐそばで、吹雪に紛れた煙突から、煙が揺らいでいる光景を目にした。

 エリックはそのまままっすぐ視線を下ろす。

 ほとんど雪に埋もれた、一軒の家がそこにあった。

 これまで見てきたどの家よりも小さく、少しばかり傾いている。


(あんな質素な家に、人一人を養えるだけの余裕があるだろうか……)


 それでもなけなしの力を振り絞って近づくと、窓辺に積もった雪を払いのけ、室内を覗き見た。

 結露がにじんでぼんやりとしか見えないが、暖かそうな炎を宿す暖炉のそばでは、大きめの安楽椅子に揺られながら毛糸を編む人の姿がある。

 長い髪は白金色で、後ろ姿ではあるが、女性であることは確かだった。

 そして彼女が一人暮らしであろうことは、分厚い木のテーブルに乗った、一人分の食器で判断した。

 エリックは逡巡したが、これがもう最後の機会かもしれないと、玄関口へと回ってドアを叩いた。


 そしてそれだけで、精魂尽き果てた。


「はーい!どちら様ですかぁー?」


 その愛らしい声の主がドアを開けた直後、エリックは意識を失い、前へと倒れ込んだのだった――。




* * *




 サラは記念すべき、百作品目の編み物を仕上げたところだった。

 三桁の大台に乗るにふさわしく、大きな作品がいいと考え、人が丸ごと二人は包めそうな特大ショールをこさえ終えて一人万歳をしているところへ、祝福の鐘ではなく、ドアが弱々しく打ち鳴らされた。

 村の人間ならば、用があってもできるだけ明るい時間にやってくる。

 それに雪ごもりの最中に、『外』から来ることはほぼない。


「迷子のトナカイでも来たのかしらねー?」


 サラはくすくすと笑い、「はーい!どちら様ですかぁー?」と声をかけながら、完成したばかりの特大ショールを羽織った。そして裾をずりずりと引きずりながらドアまで行き、大きく開いた。――瞬間だった。

 血の気のない真っ白な顔をした青年が、サラの方へと倒れかかってきたのだ。

 迷子のトナカイどころではない。――遭難者だ!

 ルイミ村では時折、帰る時期を見誤って遭難する人がいる。翌年雪の中から遺体が発見されるという事例もままあるほどだ。

 おそらく彼もそうなのだろう。

 サラは青年を一旦床に下ろし、かちかちに凍りかけている外套の襟首を掴むと、一気に暖炉のそばまで引きずった。

 手袋を外して現れた指先は赤く、凍傷になりかけている。

 革の重たい靴を脱がして、靴下を剥ぎ取った先にあった足の指も同様だ。

 この様子だと、寒い中を随分と長い間、歩き回って来たのだろう。

 どこの家も他人を安易に受け入れないことを、サラが一番よく知っている。

 食料だけの問題ではない。不思議とみんな、遭難者を嫌煙する傾向にあった。

 そうしてはじき出された遭難者たちが、命を落としていくことも、よく知っている。


「うちにも、余裕はないけれど……」


 今さら投げ出してしまっては、きっと一生後悔するだろう。

 食料に関しては切り詰めていけば、来年まで何とかなるかもしれない。

 狭い穴蔵のような家中から、ありったけの毛布をかき集めてくると、青年の濡れた外套を脱がせて代わりにかけた。

 生気のないその顔は、サラが見たことのある遭難者の遺体によく似ていた。

 毛布の内側へと手を滑らせると、心臓はとくりとくりと規則正しく脈打っている。


「寒かったよね……」


 そう呟いてから、サラは彼の濡れた髪をタオルで拭った。

 赤みがかったブラウンの髪は、暖炉の熱で次第に乾かされていく。

 彼の両手を握り続けていると、芯に冷たさは残っているものの、次第に体温が戻ってきた。

 ほっとすると同時に、ふわりとあくびが出た。

 サラは眠気に誘われて、見知らぬ青年と同じ毛布にくるまれると、彼の手と足を自分のものとくっつけ合わせた。

 そのまま彼に体温を分け与えて、サラはことりと眠りについたのだった。



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