害虫
頭部の1対の触角と口器が鮮明に見えた。ムカデ亜綱にも様々な種類がいるが、その全てが肉食である。セミのような大型で活発な昆虫やネズミ、コウモリさえ捕食する。樹上での待ち伏せでは、長い脚を空中に巡らせて飛行中の蛾などを採食している。土壌動物として生活しているものが多いが、家屋の内部に侵入し咬害の被害も多く、紛れもない衛生害虫だ。
しかも今回に相対しているのは、日本の百足の中でも最大級のトビズムカデだ。体長が15cmほどで成虫の大きさだろう。真っ赤な頭に真っ黒の胴部。元気が有り余っているのか活発的に行動し、徐々にこっちへ向かってくる。
「怖い……動けない……」
巨大なザリガニや、首の切れた馬の方がまだマシだ。こんな小さい生き物の方がよっぽど怖い。噛まれたら毒を入れられる。ムカデは性格が横暴なので人間相手でも平気で噛み付く。スズメバチと違い死に至るケースはないが、それでも危険に変わりはない。頭ではせめて逃げるべきだとは分かっている。しかし、頭で分かっていても、体がついてこない。
「うわぁ……気持ち悪い……無理、無理、無理!!」
ようやく体が動いた。半泣きで怯えながら私は廊下へ駆け出していた。そのまま玄関へ直行し、何の荷物も持たないで家の鍵もかけずに飛び出した。なんでこんな時に限って絶花がいないのだ。男ならばこういう時に、ビシッと駆除してみせるべきだろう。女子高校生にあんなに大きいムカデを殺せなんて難易度が高すぎる。
★
少し冷静になって、家へと戻った。数分くらい家の周りを走り回って、服が汗だくになっていた。家には誰もいない。あのムカデもいつの間にか消えていた。先ほど、奴がいた父親の部屋は特に念入りに捜索したがやはりアイツの姿は見えない。戦わずして消えてくれたなら、それに越したことはない。と、でも言うと思ったか。まだこの家のどこかに潜伏している可能性があるので、絶花が機関から帰ってきたら家の中を隈なく探させるとしよう。
居間に戻ってくるとそこでも念入りに奴がいないか調べる。机の下をしっかりと眺め、距離感を取りつつテレビの下や棚の上、ゴミ箱の裏も確認する。どうやら本当に見当たらない。この部屋は安全だとみていいだろう。奴が入れないようにしっかりと障子を閉めて、奴が侵入しないように殺虫スプレーをしっかりと撒いた。クーラーの電源を入れて一息つく。
「あー気持ち悪かった」
「姉君、虫が苦手なんですね。妖怪に対してはかなり耐性があったので、気の強い人だと思っていました」
「セミとか触る小学生やカブトムシを飼育して戦わせる人間の心理が分からないわ。もし虫の妖怪がいるなら、間違いなく私が苦手な相手ね」
「同感です。虫の造形をする妖怪は多くいます。土蜘蛛や平四郎虫、赤蜂に蝉丸。その全てが『土属性』です。『水属性』の我々にはとても相性が悪いですから」
そんなことが言いたい訳ではない。私がそもそも視線すら合わせたくないって話だ。
「虫なんてこの世から消し飛べばいいんだわ。本当にろくな日常じゃない……。ただでさえ気分が悪いのに……」
「でも殺さなかったのは正解かもな~。ほら、俗にムカデはつがいで行動しているために、1匹を殺すともう1匹必ず現れるって言うからな。まあ生物学的な根拠は全くなくて、つがいで行動しているなんて配偶時だけらしいけどな」
1匹現れるような環境には自然とその他の個体も出現しやすいというだけのことである。と、ちょっと待て。今、喋ったの蒲牢だったな。いつまで百足知識を聞かねばならないのだ。もうそんな害虫の話はウンザリだ。
「さて、蒲牢が喋ったから契約を切るか。おい、折りたたみ傘。式神との契約って、どうやって切るの?」
「ちょっと待て、待ってくれ。30分くらいは黙っていただろうが。勘弁してくれよ」
「姉君。イライラしていて当たり散らしたい気持ちは分かりますけども。ここはどうか大きな心で許してあげてください。この式神は姉君を守る上ではまだ必要です。いつ何時に柵野眼が襲って来るかわかりません。だから……」
「ちぃ」
怒りに任せて行動をしてはいけない。なんとか理性で踏みとどまった。
「はぁ。眠いな……寝ちゃ駄目だ。寝たら柵野真名子に会うことになる」
確かに有力な情報は手に入れられるかもしれない。しかし、そのせいで前回かなり痛い目をみた。夢というのは、夜中よりも昼間の方が見やすい。だからこそ、今ここで暇だからと言って眠るわけにはいかないのだ。まだ自分の過去から真実を暴く勇気が持てない。
それでも自分の体が寝転がる事を求めていた。私は家に帰ってくるとすぐに畳の上に膝を落とし、そのままうつ伏せに倒れ込んだ。ガサッ、と小さな物音がした。デジャブが到来である。しかもさっきの音よりも大きい。この部屋の安全は確認したはずだ、侵入経路には近づきたがらないようにスプレーしているはず。それなのに……。
「違います、姉君。ムカデではありません」
唐傘の震える声が私の脳内に響く。
「妖力を持った何者かが、この家に侵入しました」
妖怪ウォッチの蝉っぽい妖怪
モデルがいたみたいですね




