網戸
暇だ……本当は私から行動を起こしたほうが良いことなどいくらでもあるのだろうが、もう何も考えたくないし、体が怠くて腰が重い。睡眠欲はないのに立ち上がる気力がまるで湧いてこない。おかげで今日は朝から畳の上に突っ伏して寝転がっている。自堕落な生活この上ない。あぁ、早く明日になれ。そうすれば学校が始まるから、嫌なこと忘れられる。
がさっ、と小さな物音が隣の部屋から聞こえた。地面に耳を付けていたから小さな音も聞こえた。私はその音にすぐ反応し思わず立ち上がってしまった。立ち上がった後に、そんなに過剰に反応することでも無かったと思い返すが、それでもこの家には私しかいないので恐怖を感じずにはいられない。特に最近は妖怪に驚かされる日々が続いたので、こういうのに敏感になってしまっている。
「なに……」
地面を注視しながら嫌な顔つきでその場をグルグルと歩き回る。どうやら気のせいではないようだ。何者かがこの家を徘徊している。しかし、物音がやたらと小さい。抜き足差し足という意味ではなく、小動物が駆け回っているイメージだ。小動物サイズの妖怪もいると聞く。何かしらの妖怪がこの家に侵入したのか。それとも換気と避暑の為に窓を全開にしている為に、本当に虫でも迷い込んだのか。しかし、網戸にしているはずだが。
「ねぇ、唐傘。妖力は感じられる?」
「いいえ。何者も侵入していないと思いますが」
杞憂か。私がすこし過剰に怖がっているだけか。
「ってことは、動物じゃないかな。さて何が迷い込んだのやら」
そう思い安心して隣の部屋を開いた。その部屋は父親の寝室である。父親の着替えと睡眠にしか使用されていない。ちなみに父はしっかり布団を押し入れに直して仕事に行っているので、床には殆ど何もない。強いて言えば扇風機くらいだ。机もなければ本棚もない。
だから……一面が緑色なので注視せずとも違和感は手に取るように感じ取れるのだ。その奇妙な部屋の違いに。この部屋に入った瞬間から嫌な気はした。真っ黒に煌くその姿。
「これって……」
私の家には……ムカデが侵入していたのだ。
★
「気持ち悪い!! 私、こういう気持ち悪い虫が大っ嫌いなの!!」
両生類や爬虫類は問題ない。別に亀や蛇を触ることに抵抗はない。しかし、人間誰しも嫌いな生き物はある。私の場合は『蟲』だ。特に蜘蛛や百足、芋虫のような造形が気持ち悪いのは心底だめだ。私も現役の女子高校生なので、こんなことを言うのは気が引けるが、私はゴキブリよりも百足が駄目なのだ。ゴキブリも勿論、気持ち悪いと感じるし手で触れない。だが、造形がまだ虫っぽいので少しは我慢できる。しかし、この百足だけは駄目だ。
見た瞬間に心臓を握られたような心苦しい気持ちになる。寒気が出て鳥肌が立ち口がへの字に曲がる。足が震えてきた、少し涙まで出てきた。毒など注入されていないのに、体が痒くなっている気がする。部屋には入れず立ち往生している状況だ。もう直視していることも嫌だ。まだ妖怪でも部屋にいてくれた方が我慢できたかもしれない。ゴキブリ程度なら安定して処理できただろう。いくら私の家が貧乏だからとはいえ、殺虫スプレーくらいは常備しているから。
だが、百足は……そうはいかない。立ち向かう勇気すら湧いてこない。奴は静止などせず、今でも活発に動き回っている。壁に激突しては、少し歩いて、まだぶつかっては少し歩くを繰り返している。この世に生きてきてはならない生物だ。多少、食物連鎖に問題が生じて生態系が崩れたしたとしても、この百足という生物だけは絶滅して地球上から消え去るべきだと心から思う。
「なんだ、たかが虫じゃねーか」
「姉君、落ち着いてください。一般的なただの虫ですよ。悪霊や妖怪の類ではありません」
なんの慰めにもならないアドバイスを式神から聞かされる。そこまで言うなら今すぐ御札から出して撃退して欲しい限りだ。この狭い部屋の中では蒲牢は出せないので、取り敢えず折りたたみ傘だけは御札から取り出した。
「姉君……本当にただの虫ですよ!?」
「あれは私には無理。これ以上近づきたくないの。あんた殺してきてよ」
「えぇ……そんなぁ」
私の声には雑念など入っていない。ただただ百足に対する憎悪の気持ちでいっぱいだ。陰陽師が式神に命令する雑務としては、ちょっとお門違いなのは私にもわかる。しかし、陰陽師ではない私にはそんなことどうでもいい。この家から百足が抹消されることのみが重要だ。
「そういえば、百足って『一匹見れば十匹いると思え』っていうんだよな」
「蒲牢、お前は次に喋ったら契約を切る」
「えぇ!! ちょっと最近の俺に対する態度が酷くねぇ!!」
勿論、この案件が片付いたらすぐさまホームセンターにでも行って、害虫駆除のスプレーや殺虫剤を買いあさり、徹底的に私の家から虫を排除するさ。今まで私の家に百足が侵入することなどなかった。最近は母親に任せて掃除を怠っていた為に、こんなことになったのか。手抜きな仕事をしやがって。
「姉君、百足がこっちへ向かってきます」
「なんですって!?」
たかが百足一匹、2000文字で倒せない私(´;ω;`)




