黙々
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気分最悪である。憂鬱な夜を通り過ぎて魂が抜けてしまった私の体は、枯れ木のようになっていた。頑張って信念を持ち出し気張ってみたまでは良かったが、私は鍛えられた軍人でも何でもないのである。この抱えきれない絶望を担ぎきれない。夏の暑さにやられたフリをして項垂れるしかないのだ。ベランダの物干し竿に洗濯物を引っ掛けながら、頭の中は真っ白だった。ただ黙々と手だけを動かしている。放心状態で、『心ここにあらず』といった感じだ。
明日から学校である。こんな調子で真面に授業を受けられるだろうか。笑顔で学園生活をおくれるだろうか。もし、私のフリをして柵野眼が学校に侵入してきたらどうすればいいのか。近くに絶花がいない状況が続くのだから。まあ数多の可能性を考えた所で、特にコレといった対処法などない。もう成るようになれとでも思っている。
「お姉ちゃん。大丈夫? 具合悪そうだけど」
「大丈夫だから一人にして」
「あのね。ちょっと元機関の方で問題が起きたみたいだから、そっちに行ってくるけど」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
心にもないことを言いながら、見向きもせずに、顔も合わなかった。絶花が家を出ていく時に玄関の締まる音だけが確認できた。その音を聞いて初めて玄関の方を向いたが、案の定誰もいない。
「流石に冷たい態度だったか」
絶花に対して全く何も思うことがない訳ではない。今までの自堕落な態度に対する説教ではない。単純に私の身に襲いかかった不幸はお前のせいだと八つ当たりがしたいのだ。まあ半分くらいは八つ当たりで、半分は事実なのだが。もう過ぎ去ってしまった事を責めても仕方がない。なんて綺麗事を胸に秘めて必死に叫びたい気持ちを我慢している。それがいつの間にかこんな姿になってしまった。
父はいない、昨日から顔を合わせていないが、きっと仕事へ行ったのだろう。母親も私と絶花が起きてくる頃には、朝食の用意を済ませた後に五分くらいで着替えて、最低限の化粧をして出て行った。随分と行動の早い人だ。これが私に対する負い目などなく、ただ規律正しい人だという評価ができれば私の心も少しは晴れるのだが。
「姉君。絶花様のおっしゃっていた問題とはなんでしょう?」
「さぁ? 緑画高校の生徒さんが地方の陰陽師狩りに襲いに来たとか?」
「一昨日の今日で、それはないぜ、きっとな」
私がこんなにも心の傷に苦しんでいる時に、蒲牢ときたら呑気な口ぶりである。
「じゃあ内乱とか始まったんでしょ。今の陰陽師って本部が束ねていた規律が無くなったから無法地帯なんでしょ? じゃあ猿山のボスザル決定戦でも勃発したのかしら」
「こんな片田舎の寂れた機関で大将を気取っても虚しいだけだと思うがなぁ」
「蒲牢、お前さっきから本当に五月蝿いよ」
イライラした声を聞かせたら、「おぉ~怖い」と、さもワザとらしい声を出して静かになった。
「なんにせよ、私には関係ないわ。柵野眼がやって来たなら私も動くけど、そうと決まったわけじゃないでしょ。ならば、ここは無駄に首を突っ込まずに待機するのが定石のはず。これ以上に妖怪や悪霊と関わりたくないし、何より絶花に振り回されるのも御免よ」
しかし暇を持て余しているのは事実だ。夏休みの宿題は完了し追い詰められていない。家事、炊事は母がパートの合間に終わらせているので、今まで私がしていた仕事はなくなった。特に娯楽品は持っていないし、メールをする程仲の良い友達もいない。今までの当たり前が母と絶花によって変わった。だから、私もライフスタイルを変えるべきなのだろうが、如何せんこの環境が馴染まない。
超スローペースで行っていた洗濯物を物干し竿に掛ける作業も、とうとう終わりを迎えた。いよいよ暇な時間である。昼寝でもしようと横になるが睡魔は現れない。全く眠くない。身体だけは健康な私。
「謎解きの続きでもしますか。えっと、どこまで考えたっけ? えっと、私が柵野眼で、あいつが倉掛百花で。どこかのタイミングであいつと私が入れ替わっていて……。そう言えば、あいつと出会った瞬間に、あいつは私に変身したよな……」
この町の機関にやってきた時に奴は初めに悪霊の姿から私の姿に変身した。だが、あの姿は誰に変身した訳でもなく、あれば元ある彼女そのものの姿であって、装飾なしのスタンダートの状態だったとするならば。
「待て待て。じゃあなんで私がこの姿をしているんだよ。元の真名子の容姿はどこに行ったことになるんだよ。なんかイマイチ合点がいかないなぁ。そもそも私が全て記憶を思い出せればそれでいいのだけど」
昨日の夜の睡眠では何も記憶は復活しなかった。ストレスにより眠りが浅かったからだろうか。
「やっぱり頑張って昼寝するべきかな。昼に寝る方が夢を見やすい、睡眠時間が少ないほど良いって聞いたことあるし」
と、やっぱり横になっても眠くならない。こればっかりは使命感では解決しないことだ。そもそも私自身が眠ることによって、悪夢を見ることを本能的に嫌がっている気がする。




