物心
まあ日本の昔ながらの風習を私も知らないわけではない。だからこそ、この先の展開も予想できる。私の母親は伝統に縛られた政略結婚なんぞよりも、私の父との愛のある結婚を望んだはずだ。詰まるところ残る選択肢は駆け落ちしかないのである。私の母の両親がそれを許さないだろう。絶花の父親の家系が追いかけてくるだろう。それから逃げられなかった。そして、私を父親に預けて母は記憶から去ったのだ。
これ以上は全て知っている。だから話すことなんてない。
と、言いたいところだが、もう一点気になることがある。それは絶花を生んだ時期だ。私は生まれて間も無く父親だけとの生活になったと思っていた。しかし、そうではない。私の記憶の中には母親との記憶があった。私と絶花の歳の差は、私が高校一年生で、絶花が中学二年生だからおよそ3年。3歳までではまだ物心がつかない。記憶が定着しない。
私は三歳以降の母親と過ごした記憶がある。つまり、絶花を生んだ時期が分からなくなるのだ。だが、質問しにくいことではある。母親からすればとても気分の悪いことだろう。この危ない橋を渡りたくはないのだが。語れるだろうか、母親は私に向かって。
「お母さん。ちょっと…‥分からないんだけど……お母さんっていつ絶花を生んだんだっけ?」
「そんなの俺が今16歳だから16年前でしょう。お姉ちゃん」
母親が口を動かす前に絶花が声をだした。悪気はなかったのだろう。ただ私の疑問に対して即答しただけだ。私の質問の仕方も悪かった。だが、こんな難しいことは取り留めのない言葉でした言えないのである。
「絶花ちゃんの言うとおりだと思うけど? どうしたの? 百花ちゃん。怖い顔して」
震える表情を浮かべる母親に罪悪感は感じたが、それでもこの胸につっかえる嫌な気持ちだけは拭わねばならない。
「えっと……その……私ってお母さんと……いつ別れたんだっけ?」
ようやく言えた。もっとオブラートに包んで傷つけないように、遠回しに遠回しに尋ねるつもりが結局全力投球になっていた。
「あなたが生まれて間も無くだよ。すぐにあなたは私と分かれてしまったのよ」
「そんなはずはない!!」
私は深夜だと言うのに大声を張り上げた。両拳を固めて立ち上がり、目をギュッと瞑った。
「そんなはずはないの。だって私はお母さんとの記憶がある。今の私は夢の中で陰陽師に昔消された記憶を取り戻している。その夢の中にお母さんが出てくるの。だから……」
「あのさぁ、お姉ちゃん」
絶花が私の声を遮った。別に私に負けじと大声を張り上げる訳でもなく、まるで優しく諭すような声で、ゆっくりと声を発した。
「少しだけ疑問に思うわけだけどさ。なんでお姉ちゃんは陰陽師に記憶を消されるわけ? いや、俺も陰陽師だから、この質問が不謹慎なのは分かるけど、そういう意味合いじゃなくてさ。お姉ちゃんがお母さんと別れたのは生まれて間もないってさっき言ったじゃん。お姉ちゃんのお父さんは記憶を失って陰陽師なんか知らないのは分かる。でも、生後間もない赤ちゃんから記憶を消し去る理由が分からない。だって記憶なんかまだ構築されていないだろう。陰陽師なんて概念が分からないどころか、言葉すら理解していない時期だ。記憶を消すことなんて、そんな真似が必要なのかな」
絶花が言い終わる頃には私も可笑しさに気がついた。確かにおかしい。もし母親の言っていることが本当で、私が生まれて間も無く母親と引き離されたならば、私が記憶を消されているというのは可笑しな話だ。記憶なんて、そのものが存在しないのだから。
え?
じゃあ私が夢の中で見ている、あのリアルはなに?
「陰陽師から記憶を消された人間が、それを思い出す際に夢の中で復活するって話は本当だよ。そこが本当だからこそ、この話は食い違って見えるんだ。お姉ちゃんが夢で何かを見ていると言うのであれば、絶対にお姉ちゃんはその記憶があるはずさ。つまり……」
寒気がした。狭い家に、立て付けの悪い隙間風が通るように、この焦燥は私の肩を通り過ぎていった。
「お姉ちゃんは、本当にお姉ちゃんなの?」
★
これ以上会話はしなかった。出来なかった。
私は誰だ? 倉掛百花ではないのか? もしかして自分は柵野真名子なのではないか。自分自身が分からなくなるなんて、バトル漫画ではよくあることだが、そんな生易しいものではない。だって今の話から結論が出てしまったのではないか。私は倉掛百花ではないと。
「なんなの、これ?」
自分の部屋で黄昏る。今日は朝から壮絶な一日だったが、最後の最後でまたもどっと疲れた。もう意味不明なんて通り越して頭の中が真っ白だ。頭の中で消しゴムが隅から隅まで私の大切な情報フォルダを消し去ってしまった感覚だ。
今まで自分に違和感なんて感じたことはない。いつも自分は倉掛百花だと信じて生きてきた。テスト用紙には倉掛百花と書いたし、名前を聞かれれば倉掛百花と答えたし、自分を自分だと疑ったことなど一度もなかった。
なのに……いつ、私と倉掛百花は入れ替わったのだ? というか、私はいったいどこの誰だ?




