緻密
電車が過ぎ去る嫌な金属音が耳に響く。夕方の帰宅ラッシュによって足跡が重なり合うガサガサという音が聞こえる。私は涙を拭いてゆっくりと立ち上がった。少しよろめきながらも改札口へと向かうために、階段へと視線を合わせる。私の精神を察したのか、弟は私の肩に手を添えようとした。それを私は鬱陶しいとでも言わんばかりに跳ね除ける。
何もかもこいつのせいだ。私が陰陽師の世界に関わらなければ、こんなことにはならなかった。柵野眼は復活しなかったし、私も危険なことに巻き込まれなかった。このまま一生、母親と対面できなくても、それでも父親と二人暮らしで、それなりに幸せを味わって生きていけばよかったのだ。こいつが家に来てから、何もかもが狂った。いや、悪霊の緻密な計画が遂行してしまった。
全部、コイツのせいだ。
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21時を回っていた。もうすぐ夏も終わりという季節で辺りはすっかり暗くなっている。駅から出たあとに、すぐに二人でタクシーを捕まえて、家まで寄り道せずに帰った。これまでに弟との一言の会話もない。まるで氷河期のような冷たい空気であった。この気まずさに耐え切れないのか、弟は必死に話しかけるタイミングを伺っていたが、私が明後日の方向を向きながら荒んでいるのを見て、絶句し声が出なくなっていた。差し出した手が震えていた。
「あら、おかえりなさい」
「ただいま、お母さん」
「…………ただいま」
父親はまだ仕事の関係で家を出ている。私と弟と母親で食卓を囲んだ。小さい畳の部屋に部屋の殆どの表面積を稼いでしまっているちゃぶ台を囲んで、三人で料理を摘む。弟が携帯で具体的な帰宅の時間を母親に知らせていたみたいで、母親はそれを計算して既に料理を机に並べておいたのだ。
「絶花ちゃん。明日から菅茅中学校に転校生として行くわけだけど、もう準備は済ませた? 教科書とか体操服はお母さんが先生に会いに行って取り寄せておいたから。他になにか必要なものがあったら遠慮なく言ってね」
「あっそう? ありがと」
母親は常に弟のことを気にかけていた。おおよそパート勤務の給料が出たのだろう。陰陽師の仕事を辞めて一般職など務まるのかと思っていたが、少なくとも一ヶ月は順応しているようである。まあ、金に困っているのは事実だから、多少の逆風では辞められないというのが本音だろうが。自分のパート代も子供の養育費に消えていくとは、複雑な心境である。
「百花ちゃんは? あなたも明日から学校でしょう? 宿題とか大丈夫?」
初めて母親面した。今までは私に対する負い目から必要最低限の言葉しか交わさなかった。すれ違うたびに視線をそらされた。態度が大きいと私の機嫌を損ねると思っていたのだろう。実際はビクビクしている態度の方が気に入らないのだが。ようやくそれを感じ取ったのか、母親は勇気を出して私に前向きに接するように考えたのだ。
「旅行行く前に済ませたよ。気にしないで」
「そ、そう? よかった」
取り留めのない言葉だった。母親は私が呪いに掛かっているや、弟の抱えている案件を知らない。今の陰陽師機関とは無縁のごく普通の暮らしを維持することが精一杯なのだろう。今までの陰陽師の当たり前が崩れ去ったのだ。環境が変われば暮らしを変えねば人間は死ぬ。母親は必死に今のこの空間に入り込もうとしている。
対照的なのが絶花だ。こいつは絶対に自分という領域を崩さない。自分は変わらない。別にこの家に対して敵対的に動いているとか、そういう意味じゃない。反抗しないし、性行不良じゃないし、陰陽師の仕事も曲りなりにはやっている。だが、自分の性格というか、自分の生き様というものを貫いている。
変わる母親と、変わらない弟。そして今の自分がどういう状況なのか全く把握できない私。
「あのさぁ。お母さんってお父さんとどこで知り合ったの?」
旅行中に弟と『母親に話しかけてみる』という話をした。彼女は私の断片的な記憶を一番に共有しているはずの人間だ。倉掛一輪。彼女ならば、なにか私と柵野真名子との出会いや別れを見ているかもしれない。私の記憶を蘇らせる礎となってもらおう。
「大学生の時の先輩と後輩だよ。よくあるタイプ。あの人は昔は研究者になろうとしていたのよ。工学の専攻でね。システムエンジニアになるんだって頑張っていた。あの人は大学院生で、私は二年生くらいだったけど、飲み会の席で意気投合して、そのまま大学生活を時間が許す限り一緒に過ごしたの」
「それって俺の親父じゃないよね」
普通この会話の流れだと嫌そうな顔をして不満気に語っていいいはずの絶花だったが、意外とコイツはケロッとしていた。むしろ、さっきまで音信不通だった私が声を発したので、会話を持ち寄るチャンスとでも感じたのだろう。
「陰陽師は古くからの伝統を受け継ぐ古の文化。今では考えられないと思うけど、一世代前にはあったのよ。『許嫁』っていう素晴らしい文化が。結婚なんて家系勢力同士の結び合いなんて、そんな考え方がまだ残っていたの。陰陽師は自分の式神をその子供に託す。いわば家族そのものが、陰陽師としての一派である。だから、御家騒動なんて珍しくもないし、女は家で家事をする奴隷だし、長男を産めよって何度も言われる。まるで明治大正時代の時代劇でしょ? でも……まだそれが続いているの。少なくとも……一か月前まではね」




