苗字
私と母親との記憶を思い出していた。私の母親はまだ私が幼い頃に亡くなったと聞かされていた。だが、その曖昧な記憶は遠い昔に陰陽師の機関の連中に作り替えられたものであり、本当は私は母親と死別などしておらず健在であったのだ。
その後私の記憶は徐々に戻りつつある。幼かった頃の私と母親が引き離される前の記憶を思い出し始めたのだ。買い物に行った記憶、玩具を買ってもらった記憶、叱られた記憶、愛されていた記憶。
どうにも私には私と疎遠な関係にされた母親が幸せだったとは思えない。貧しさはあっただろうが、家族三人で一緒にいた方がきっと幸せだったはずなのだ。陰陽師機関は私たち家族の幸せを力でねじ伏せる形で奪い取った。
戻ってきた母親が私を見ると卑屈そうに腰が低くなることに嫌気もある。彼女は私が怒っていると思っている。それを押し殺していると。だから彼女は私に対して恐怖を抱いているだろう。だが、私の心の中に恐怖が生まれた。
倉掛絶花はいつ生まれたのであろう、という話だ。母親はいつ絶花を産み落としたのであろう、という恐怖である。
本当に私の弟なのだろうか。絶花側の父親とはどんな人間なのだろうか。倉掛の苗字になる前は、どんな名前だったのだろうか。誰が絶花をこんなに我が儘に育てたのであろうか。絶花は本当に父親に育てられたのであろうか。
私の記憶は完全には修復していない。陰陽師から消し去られた記憶はまだあるはずだ。それを私は時間をかけて取り戻しつつある。人間の記憶とは感情に密接に関係している。私が心を動かされた、インパクトのあるエピソードを蘇らせる。そうすればきっと私の体に起こっている、『妖力がないのに陰陽師の技が使える』という摩訶不思議で奇妙奇天烈な現象が解明に至るはず。
そこで私の記憶がまた一つ復活した。この記憶は絶花に出会った日に思い出したことである。そこは……駅のホームであった。
座席に座って電車が来るのを私は待っていた。母親と二人での旅行の帰りである。季節は真冬、粉雪がチラホラと舞い散る雪景色。母親は温かい缶ジュースを買ってくると宣言して席を外していた。私は腕を組んで暖を取りながら、口から白い息を吐き出して、それを面白くもないという感想を抱きながらぼーっとしていた。
木製の座席が私の尻部を冷ました。眠くて寒くて手が悴んで。少し泣きそうになっていた。ニット帽もマフラーも役に立たない。私は母親の帰りを今か今かと待っていた。
その時に……一人の子供であった。私と同じ歳の少女である。その子は地元の女の子だった。名前は確か……真名……なんだったっけ?
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「お姉ちゃん。おはよう」




