絶花
竜宮真名子が優しく横に座る。寒そうに両手を擦り合せながら、息で温める。優しそうな声で語りかける。こっちが素っ気ない態度を取っているにも関わらず、温かく接してくれる。
「お姉さん。好き?」
「勿論。俺のたった1人のお姉ちゃんだ。例え父親が違うとしても、俺の大切な家族だった」
「そう。私は君の家族にはなれないかなぁ」
「なれねーよ。俺の家族は、俺とお姉ちゃんとお母さんだけだ」
飲み干した紙コップをクシャクシャに潰した。姉が死んだのが今でも信じられない。もしかしたら、成仏などしていなくて、まだどこかで生きていると思いたい。もう一度でいいから、お姉ちゃんに会って、お礼とか言いたい。笑顔くらい見せたい。
「人生なんてさ。誰でも辛いことばっかりだ。俺の人生も波乱万丈だった。今もその渦中にあるよ。でも、自分の味方でいてくれる人は、人類の中でほんの少ししかいない。だから、お姉ちゃんは俺にとって、本当に大切な人だった」
生憎の曇り空を見上げて啜り泣く。どんなに泣き叫ぼうが、暴れ回ろうが、姉の命は帰ってこない。魂と対峙する職業である陰陽師であっても、姉と再開する事は出来ない。『いたこ』である白神棗にお願いして、降霊術を使ってもう一度会話をさせてくれと頼んでみたが、断られてしまった。これ以上、彼女の魂に触れるなと。
体操座りになって、頭を膝に埋める。身体を圧縮させる事で少しは寒さが和らいだ。
「腹が立つよ。俺が死ぬべきだった。お姉ちゃんが生き残るべきだった」
「まだ、そんな事を言っているんだ。あの世でお姉ちゃんが悲しんでいるよ」
「しらねーよ。どうせお姉ちゃんは俺の人生の最善の選択肢は分かっても、俺の気持ちなんて分からないんだ」
「分かった上での行動じゃない?」
まだ倉掛絶花の中に『自分なんて』と思う気持ちが残っていた。
竜宮真名子は彼を抱くように腕で覆う。真横から彼の頭に、自分の頬を乗せた。
「泣いてちゃ駄目だよ。お姉ちゃんが喜ばない。もっと笑っていなきゃ。嘲笑いじゃなくて、本当に人生を楽しんでいるっていう喜びで満ち溢れた笑顔で」
本来ならば優しくされるのは嫌いなのだが、この時だけは倉掛絶花も気が緩んでいた。顔をあげて自分を全力で慰める竜宮真名子の姿を見る。見上げると彼女も苦しそうな顔をしていた。それでも必死に笑顔を作っていた。彼女の飲みかけの紙コップの中に、粉雪が入るのが腕の隙間から見えた。
「笑って、絶花」
無理矢理なその言葉に腹が立った。漫才でも見ている訳じゃあるまいし、こんな寒空でどうやって笑顔なんぞ作ればいい。そもそもお前が作り笑いじゃないか、なんて言っている内に自然と笑えていた。
「あれ、出来た」
自分でもバカらしく思うほど簡単だった。何の理由もいらない。今までの苦しみも悲しみも忘れた気分になった。何の根拠もない、理由もない、余韻もない。そんな状況でただの『喜び』だけで笑う事が出来た。
「人間はオカシイ時も、楽しい時も、『嬉しい時』も笑えるんだよ」
「へぇ。そうなんだ」
そんな言葉を言っている内に、屋上までの階段からカンカンと足音が聞こえる。誰かがやって来るみたいだ。慌てて涙を袖で拭って立ち上がった。深呼吸をして心を落ち着かせる。弱さを見せるのは姉の前だけだ。こんな姿を第三者に見せる訳にはいかない。
いつでも人生を最高の笑顔で楽しんでいる倉掛絶花でいなくてはならない。
「誰かな。あんなに慌てて」
高い音がどんどん近くなっていく。急ぎの用事らしい。
「なんだろう。俺に用事かな」
現れたのは竜宮真名子だった。汗ばんでいながら、その凛とした表情は乙姫たる優雅さを欠けていない。頭の上に変なリボンを付けて、極めて異質な結び方をしている。黒髪が肩まで伸びているので、結んている理由が薄い気がするのだが。ただのファッションなのだろう。
「弟君。理事長先生からお呼び出しだよ。一緒に行くから」
竜宮真名子には兄弟がいない。彼女は箱入り娘の一人っ子だったから。だから、近しくて弟のような存在である倉掛絶花が可愛くて仕方がないのだ。いつも、弟と言って優しく接している。まるで生きていた頃の倉掛百花の代理でも務めているかのように。
「はいはい。休憩終わりね。今から行きますよ」
______________。はっ。
「あれ、じゃあコッチのお姉ちゃんは……」
いつの間にか隣にいた竜宮真名子はいなくなっていた。その場に残っていたのは、自分が飲み干して丸めた紙コップだけ。その場には何も残っていない。誰もいない。
「えぇ?」
本気で頭を傾げた。そんなはずはない。倉掛百花はもういないはずなのに。幻覚だろうか、姉に会いたいあまり、こんな幻想まで目に映るようになったのか。そこまで仕事の疲れが溜まっているのか。
「どうしたの? 弟くん」
「…………。いえ、なんでもありませんよ。じゃあ行きますか」
二人は屋上を後にした。丸めた紙コップをゴミ箱に投げ捨てる。しかし、入らなかった。柄の部分でバウンドして地面に落下する。だが、倉掛絶花も竜宮真名子もそれに気がついていない。
★
それを持ち上げて、自分の紙コップと一緒にゴミ箱に捨てた。
「頑張れ、絶花」




