道連
姉の妖力が薄くなっているのを感じた。あの無限にも感じたドス黒い倉掛百花の魂の波動が消えかかっている。だが、その度に笑顔になり、温かくて優しい波を感じる。乙姫の優雅さではない。倉掛百花の本人の姉としての愛情だ。
「どうしてお姉ちゃんは死んでしまうの?」
「私は悪霊だから。この世には取り返しのつかない事もある。お姉ちゃんは、悲しくて、苦しくて、死にたくて死ぬ訳じゃないよ。貴方を祝う為に死ぬの。これからどんなに苦しい困難に出会っても貴方が立ち向かって行けるように。お姉ちゃんは貴方の心で生き続ける。だから、誰かの魂に寄生する事はやめるの」
「お姉ちゃん……」
生きる事は素晴らしいこと。でも、死ぬことだって素晴らしい事だ。死ぬことでした示せない愛情もある。言葉にならない悲しみと嬉しさが倉掛絶花の心を覆い尽くした。
「貴方の姉で本当に良かった……」
「うん……」
「利口じゃないけど、我が儘だけど、ひねくれ者だったけど、それでも最後の最後に『お姉ちゃん』になれた。ありがとう。貴方が私を幸せにしてくれた」
途切れる。この世から姉の魂が消える。姉が成仏する。その消えゆく魂を受け取りながら、倉掛絶花は啜り泣く。顔を真っ赤にして、その今にも引き飛んでしまいそうな彼女の魂を全身で受け止めている。
「怖くない。貴方には皆がいるから。私がいなくても大丈夫だよ。だから精一杯、幸せになって。あの世なんてあるなら、どこまでも応援するから。笑顔だよ、苦しくても、悲しくても、最後には笑うの」
そんな無茶な事を言いながら、本当に彼女の魂の灯火は消えてしまった。レベル4という世界最大の脅威が、自ら成仏を選択したのだ。感情を学び、弟を愛し、悪意を捨てて、感謝の気持ちを抱いたまま、消えていなくなっ……。
「う、うわっ」
その時だった。恐れていた事態が発生する。最後の最後で危ぶまれていた最後の呪いが発生した。
天叢雲剣。
その妖力が絶花の魂を回収しに来たのだ。使用者は必ず死に至る。最高の神器である呪いの剣。倉掛絶花の腕が真っ黒に染め上がる。悲鳴を漏らした。慌てて捨てようとするも全く剥がれてくれない。魂の回収というよりは、罪による罰、妖力の徴収である。圧倒的戦闘力を得た代わりに発生する見返り。その代償を償わせようとしている。
「死にたくない。お姉ちゃんと生きるって約束したんだ!! 死んでたまるか!!」
必死に剣を引き剥がそうとするも、抵抗も虚しい。もう八岐大蛇の呪いが全身を回っている。土地を染色する絶大的な支配権を持つ妖怪の特徴が色濃く受け継がれているのだ。例え腕を切り落とそうとも、この呪いからは逃れられない。力の譲渡による代償、まさに妖怪ならではの怪談である。
使用者を狂わせる悪鬼の力添え。
「死にたくない。死にたくない。死にたくない」
先程まで、姉を殺して自分も死ぬと言い張っていた絶花だったが、ここでは改心して自分の命に執着している。ここから自分の人生が始まるのだ。命を賭して生きる素晴らしさを教えてくれた姉に顔向け出来ない。ここを乗り越えてこそ、倉掛絶花の新しい門出が始まる。
黒色が徐々に全身を覆い尽くす。痛覚や神経が麻痺していくのを感じる。壊死とも違う、まるで自分の身体が石像にでも変貌していく感覚だった。痛みも無く、違和感もなく、ただ身体の感覚がなくなっていく。どう動き回ろうとも、この現象を止められない。
「このままじゃ……」
倉掛絶花は泣きじゃくっていた。自分の取り返しのつかない過ちに。どうして簡単に生きる事を捨てようとしたのだろう。自分の精神が未熟だった事に気がついた。自分の命を犠牲にして体制を成そうなんて、漫画の世界の美談であり、現実世界では恥ずかしいだけなのだと。勘違いして悦に入った自分の愚かさに恥じた。
「畜生が!! 死んでたまるか!!」
尻餅をついて地面に倒れこむ。吠えるも嘆くも暴れるも、何も変化はない。倉掛絶花の身体はもう真っ黒に染め上がってしまった。
★
「いやいや、最後にお前だけは道連れにするって決めてた」
次の瞬間に倉掛絶花の皮膚から黒い色が消えていく。服にまで侵食していた漆黒の影が何者かに吸収されていた。恐る恐る振り返ってみると、そこには悪霊と化した姉の姿がいた。さっきまでの優しいオーラの姉ではない。というか、目の前に竜宮真名子なら存在する。
つまり、竜宮真名子の身体から倉掛百花は分離したのだ。もう共同で身体を使っていない。後ろにいる彼女の姿こそ、本物の倉掛百花だ。姉には悪いが本気で怖いと思った。その鬼の形相は、安心感を取り戻した倉掛絶花の顔を大きく歪ませた。
「私が道連れにするのは、お前だよ。『八岐大蛇』。お前だけは私と一緒に死んで貰う。私の魂の慰めとなれ」
本気の悪霊の声のトーンだった。姉が本気で悪霊として行動している事が、何もしなくても感じ取れた。恐怖で腰が砕ける感覚に陥る。最凶の悪霊である柵野栄助から受け継いだ莫大な妖力の塊であり、怨念の集合体が伝説の神獣をも蹴散らした。
「私の弟に何をするのよ」
天叢雲剣が一瞬にして粉々に砕け散った。




