下等
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倒せるはずがない。倉掛百花の目の前にいるのは紛れもなくこの世で最凶の悪霊だ。妖力がある限り無限に復活し、あらゆる物理的法則を無視したチートのような能力を持ち、コチラの闘争心も奪い尽くされた。お姉ちゃんが死ぬまで戦う? 永遠に決着がつくとは思わない。
何より倉掛絶花が倉掛百花に対して明確な殺意を持っていない。
「どうして俺がお姉ちゃんを……」
「私は貴方に殺されたいから」
「俺にこれ以上の罪の意識を植え付けたいの? 姉殺しの重みを背負って生きていけと?」
「違う。貴方のお姉さんは既に八年前に死んだ。貴方の目の前にいるのは倉掛百花ではなく、柵野眼。人類の平和を脅かすレベル4の悪霊よ。それに……死は希望だから」
「死んで花見が咲くのかよ」
「人は死ぬから美しい生き物なの。永遠に続く物なんてない。必ず何者も何事も終わりが来る。だから、人は物を大切にするの。居場所を守ろうとするの。そうやって人間の感情が揺れ動く。愛が芽生える。永遠の命なんて価値はないわ」
まるで妖怪を侮辱するような発言だった。妖怪は死を迎えても必ず復活する。完全なる消滅はない。今回の騒動で八岐大蛇が復活したように。どんな下等な妖怪でも死は訪れない。
「私の命を摘み取って欲しい。その中で生まれ変わって欲しい。未来に希望を持って欲しい。この世が素晴らしい物だったと知って欲しい」
意味不明だった。この論理を倉掛絶花が受け入れられるはずがない。どうして姉を殺す事が未来の架橋になるのだろうか。苦しみが増えるだけだ、痛みが広がるだけだ。なんてウジウジしている内に、倉掛百花の方が痺れをきらした。衝撃波が絶花を襲う。
「ぐあぁ」
波の大きさは極小の物だった。本当に倉掛絶花を殺すつもりはない。だが、このまま倉掛絶花が動かないのは、倉掛百花としては困る。自分を殺して貰わないと、気持ちが変わらない内に、正気を保っていられるうちに。彼女には一寸の迷いもない。
対照的に倉掛絶花は迷っている。悩んでも悩んでも結論が出ない。姉をこのまま誘導されるままに殺しても構わないのか。ここは、『命よりも尊い物はない』みたいなバトル漫画の主人公のようなセリフを言って食い下がった方がいいのか。それを姉は腹の底では願っているのではないか。そんな憶測が胸を締め付けて、心を惑わす。
「お姉ちゃん……。殺せなんてあんまりだ。お姉ちゃんはどうして生きる事を諦めたの? 悪霊だから? 折角お姉ちゃんの妖力は、悪霊や陰陽師だけはなく、人間の魂もあるはずだ。だから……」
「死んだの。父親に殺されたの。だから私は生きていては駄目だ。生きていてはこの世の調和が乱れる。生命の美しさが崩壊する。私が生きている事は美しくない」
「美しくないって。バトル漫画っぽい」
「美しくないんだけど。こんな醜いまま死んでしまうなんて。生きているくらいなら死んだほうがマシよ。それに、このままじゃ貴方は変われない。倉掛絶花が卑屈なままになってしまう」
もう一度、衝撃波で吹き飛ばされる。絶花を殺すつもりは微塵もないが、天叢雲剣は破壊しなくては困る。このままでは、あの八岐大蛇から製造された妖刀の効力で、絶花が死んでしまう。腰に指している間に、出来れば奪い取りたい。
「お姉ちゃん。俺は自分の過ちに気がついたよ。人を批判して生きる癖は止めようと思うんだ。これからは皆を尊重して生きて行こうと思う」
「はぁ?」
自分の父親の教育が間違っていたのだ。旧式の陰陽師の教育方針の従って、倉掛絶花の精神は狂ってしまった。これ以上不特定多数の人間を苦しめない為にも、自分の心は変わらなくてはならない。
「もうこんな自分は嫌だと思った。だから……」
「別にそれはどうこう言わないけど、貴方が『幸せ』ならそれでいいんじゃない。でも、アドバイスさせて貰うと、人間って誰しも批判家だし、性格は腐っているし、自分が一番じゃないと気が済まない物だよ」
…………。さっきから姉の言いたい事が全く分からない。
「分かりにくいかなぁ。皆が倉掛絶花だってこと」
「そんな馬鹿な」
「自信を持って言ってあげる。これは事実だよ。人間という生き物がそんなに変わるはずがないでしょ。人間は誰もが気分屋で卑怯者で批判家で残酷で嫌味で孤独で、自己顕示欲と不満と悪意を抱えた、どうしようもないゴミ屑だってこと。私も貴方も地球上のみんなも」
そんな風には思わなかった。自分だけが特殊な教育を受けてきたから、そういう間違った精神になってしまったのだと思っていた。教育環境や陰陽師としての職務など全く関係なく、人類が生まれてきた瞬間にDNAに刻み込まれている、インプットされたデータだとすれば。
「私が陰陽師を滅ぼそうと思わなくなったのは、それが一番の原因。古いも新しいもないもの。旧陰陽師も新陰陽師も結局は同じ。きっと何も変わらない。人間が人間でいる内は悪意は消えないし、悪霊も消えない」




