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精魂

 やって来た。八岐大蛇を倒したその足で、白溶裔の背中に乗って、倉掛百花は現れた。今までの絶望に歪んでいた顔でも、苦しみ果てて気力が喪失した顔でもない。いつもの元気で明るい倉掛百花だった。


 「ただいま」


 「ただいまじゃありやせんよ。どうして現れやがりました……」


 「うん、決着をつけないといけないから」


 倉掛百花はこれから死ぬ事になるだろう。本人がその運命を決心している。この世の法則が捻じ曲がってはいけない。死んでいた人間が生き返ってはいけないのだ。


 「お姉ちゃん」


 「なんで昔のわたしみたいな顔をしているの? 笑ってよ、絶花」


 「俺はもう、どうしたらいいか分からないんだ」


 倉掛絶花は膝を曲げて倒れ込んだまま動こうとしない。もう精魂尽き果てていた。生きる事が嫌になっていた。今までの自分が間違っていた人間が、どうしてこの先の人生を生きていけるだろうか。今までの歩んで来た道のりが実はコースアウトしていて、いきなり振り出しに戻されたら、また走り出せるだろうか。


 「お姉ちゃんに会わなかったら、こんなに苦しまずに済んだのかな」


 「だから運命なのかもね。貴方のお姉さんは死んでいた。でも、こうやって巡り会えた。なのに、この出会いによって苦しみしか産まなかった。お互いに苦しんで苦しんで苦しんだ。アナタは大切な自尊感情を失ったのかもしれない」


 「…………」


 「でも、それでも、笑って。笑顔でいて。貴方が心配で成仏できないの。このまま貴方が苦しみ続けると思うと。死んだ方が楽だなんて思うと」


 「死にたいよ。いっそ、殺して欲しい。俺は生きる事が間違っていたんだ。多くの人を苦しめて、悲しませて、それでも高笑いして笑っていた。俺には生きる資格なんてないんだ」


 「駄目。絶対に殺さない。死なせやしない。貴方はその苦しみを背負って生きていくの。そんな苦しみは笑って誤魔化して、忘れ去って、思い出して、そうやって生きていくの。失敗したって言うけどね。殆どの中学生までの出会いなんて、この先の人生で何の役にも立たないの」


 「人生は何回でもやり直せるとか言いたいのかよ」


 「やり直せないよ。爪痕は消えない。でも、そんな些細な事は気にしないで。深いことは考えなくていいの。貴方は私と同じで十分にネガティブな人間だから。だから、思いっきりポジティブでいていいの。細かい事は忘れて頑張って」


 倉掛百花は笑っていた。悪霊が見せる狂気のような笑い方じゃない。本物の姉の見せる笑顔で。弟を心配して、弟を大切に思って、弟の背中を押してあげたいと思う、優しい姉がそこにいた。


 「ようやく貴方を弟だと思えた」


 馬鹿みたいに甘党で、口達者で自己中心的で偉そうで、態度が悪くて鼻につく物言いで、全てを敵に回すような愚か者だけど。


 「ようやく貴方を弟だと思えるようになった……」


 そんな馬鹿でも、大切な弟だから。


 見捨てられるはずがないから。


 でも、いつまでも手を握っていてはあげられない。私はきっといなくなるから。


 「貴方を愛している。この感情は本物だよ。最後までお姉ちゃんらしい事が出来なかったけど、貴方の力になりたい。最後に貴方の本当の笑顔が見たい」


 今まで喜怒哀楽を示すだけの直情的な能力が、ここまで様変わりした。先程の八岐大蛇を倒す際に悪意を放出したのかもしれない。波動を伝えて相手を癒す。この悪鬼羅刹強襲之構フィーリングアサルトゲイザーの本当の能力がここで生きた。


 「この愛情を感じて。大丈夫、あなたに悪意はない。貴方を救いたいの」


 「お姉ちゃん……」


 今まで激しく過呼吸のような肩の動きをしていた倉掛絶花が穏やかになった。徐々に落ち着きを取り戻して、顔色も良くなっていく。感情を伝える能力が倉掛絶花の感情の高低運動と逆の周波数を出し、見事に調和したのである。怒りを鎮め、悲しみを消し去り、鼓動を弱める。


 「少しは落ち着いた?」


 「驚きやした。その能力は竜宮真名子が人格を保つ場合に放つ技だとばかりに思っていました。まさか主人格がそれをやってのけるとは」


 「使おうとしなかっただけよ」


 怨念で復活したはずの悪霊が人の心を癒す。これほど存在意義を引っ繰り返した事案もないだろう。レベル4は原点回帰、生命の円環。この超越した行動こそが、本当のレベル4の本質かもしれない。


 「さぁ、その剣を捨てて……」


 ★


 次の瞬間に頭の中に亀裂のような物が走るのを感じた。電撃にでも当てられたように目眩がする。もう1つの人格であり竜宮真名子から応答がない。まるでまた以前のように眠ってしまったみたいだ。身体の中に別の妖力が流れてきている。悪霊の妖力ではない。もっと違う腹黒さを持った妖力だ。


 「お姉ちゃん……どうしたの?」


 「この感じ。今までのどの妖力とも違う感覚がありやす」


 悪魔のささやきが聞こえる。まるで喜びに歓喜する雄叫びが。その咆哮は心の中を飛び交う。毒のようにむしばみ、火傷のように腫れあがる。今までこんな意味不明の感覚に陥ったことはなかった。


 「ここで裏切るのかよ」


 「裏切る? 俺は何も裏切っちゃいない。初めから『化け鯨』と戦いたいだけだと言っているはずだ。今までだって、俺は姉ちゃんの味方だったし、妖力もそれなりにプレゼントしていた。互いを利用し合う関係だったはずだぜ。今まで虎視眈々とこの瞬間を待っていた。悪霊の能力と神獣の妖力が混ざり合うこの瞬間を」


 奴は御札の中に隠れ潜んでいた。咆哮を司る妖怪にして、龍の息子である龍生九子りゅせいきゅうしの三男坊。遥か中国の古の妖怪。空は飛べないが、兄弟の中で親と同じ龍の姿をそのまま受け継いでいる稀有な例。


 「蒲牢ほろう!!」


  

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