接近
陰陽師の倫理ってなに? また意味の分からない連語が出てきたが、正直付き合ってられない。はやくこの状況をどうにかして、この危機を脱出する。
「私も舐められたものだ。たかが大鯨に負けた親の臑齧り子供と、初心者と呼ぶどころかそもそも陰陽師にすら認定されないだろう小娘のタッグで、『これで勝てる』と思われるとは」
さっき思いっきり階段から転けた奴が何を言っているんだ。
「レベル3……それでいて悪霊に元々備わっている変身という能力を持ったこの私を……誰だと思っている!!」
シラネーヨ!! お前が私の名前と姿をしているからわかんねーよ!!
「よし、それじゃあ……いくぞ!!」
式神契約成立なのだろうか。私はこの過程を見たこともないので、定義が分からないのだが。きっと成功したのだろう。体になにかが漲る感じがする。それと同時にあの馬鹿でかかった龍の姿は収縮し、顔の部分だけが私の腕に引っかかっている。これが戦う上で有利なのだろうか。
「本気で契約しているのですね。確かに定義上では有り得ない。計算式が狂っているにも程がある」
…………異常さに気がついたかのように唐傘が不吉なことをいった。
「ウォりゃあああ!!」
私は階段を駆け下りて折りたたみ傘を振り下ろした。それを両手で受けた偽物の私は、そのまま歯を食い縛るポーズで踏ん張っている。
「接近戦、禁断の失敗を犯しましたね。これで私の勝ちです。そのままあなた達に憑依すれば……」
……レベル3の特徴。悪霊伝染。レベル3の悪霊は既存の低レベルの悪霊や妖怪。しいては妖力を持つ陰陽師さえもレベル3のすることができる。ただし人間の場合は複雑な手順を踏まなくてはならない。
それが憑依だ。相手に憑依をすることで、その人間の死後にも一匹の悪霊がトレードするように復活する。
「……憑依……できない」
「そう、それがこの娘の悍ましい能力だな」
さっきから計算式に合わないだの、異端だの、異常だの、失礼なことばかりを言いやがって。ちょっと私も嫌気が差してきたぞ。
身体を捻って奴の腕を振り払い、どうにか後ろに下がった。冷や汗が流れる。確かにさっきの妖力の拡散弾に比べて接近戦は恐怖を感じる。
「この娘。特徴もなにも妖力がそもそも『初めから備わっていない』。謂わば才能なし。陰陽師としての適正がない。ノーマルな一般人と一緒な『はず』なのだ」
……私は陰陽師としての知識がないのでよく分からないのだが、それって凄いことなのか?
「妖力が備わっていない陰陽師なんて……おそらく一千年の歴史のなかであなたが始めてですよ」
異端にして異質、荒唐無稽で奇想天外。絶対に有り得ないとされる陰陽師の常識を根底から破る行為。つまりは……私は特別扱いされているということだろうか。
「妖力を己に持たずして陰陽師なんて。もう概念の崩壊ですね。マジで何者なのですか? そこの小娘」
「自分で変身しておいて、それで分からないの? もしかして姿形が変えられるだけで、その能力までは奪えないとか。どんな不完全な能力よ」
……そんな強がりを言いつつも、自分がそんな偉そうなことを言える立場ではないのはわかっている。私にだってこの現象の説明などできないし、そもそも陰陽師の定義すら分かっていない。
「不完全、確かに私は不完全だ。まだ生まれたてなんでね。ここ最近に卵から孵化しましたから。こんなものじゃ駄目だ。私はもっと広く世界を観察する必要がある」
「お好きにどうぞ。でも私の姿をするのと、私の目の前に現れるのだけは勘弁してよね」
「それは二つとも承諾しかねる。私はこの屈辱を忘れない。必ずお前はこの手で私が殺す。だから私は何度でもお前の前に姿を現すし、お前の姿をしてお前を研究する。まずは普通から研究だ。特異体質の番外は最後のお楽しみにとっておきます」
だから現れるなって。なんで私みたいな陰陽師などとは殆ど縁もない人間を目の敵にして、若干ライバル発言みたいなことをしているんだよ!!
「それでも倉掛百花と名乗るのは烏滸がましいでしょう。ですから今の瞬間に自分の名前を命名しました」
自分で名前を考えて、自分で名付けるのか!?
「柵野眼と名乗らせて頂きます。以後お見知りおきを。それでは…………」
そう格好良く人差し指を突き立てると、そのままトボトボと階段を下りていった。両足以外は動かさず揺れる葉っぱのような動きで。私が瞬きをした瞬間にはいなくなっていた。
「おねえちゃん。追わなくてよかったのかい?」
「ハッタリかましていただけなのよ。真面目に戦っていたら私に勝ち目なんかなかった。追うはずないでしょ。命が助かっただけで十分ね。あとは…………私の馬鹿弟が私の代わり倒してくれるはず」
適材適所、餅は餅屋。私が陰陽師として戦うには、どうしても知識不足であろう。あいつは賞金を稼ぎたいと言っていた。それほど強い悪霊ならさぞかしお礼が貰えるだろう。奴に任せるのが最高の判断だ。