独断
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広い砂浜に出た。見渡す限り霊界の汚らしい海であり、もう片方には汚い闇を抱えた森林が目にうつる。『ぬらりひょん』はこの場で待ち構えていたように、杖を砂場について、取り巻きの陰陽師と共に、緑画高校の面々が追いかけている方向を向いて座していた。
相良十次は呼吸も落ち着かぬまま、目を真っ赤に染めて嬉しそうにコッチを見る爺さんに話しかけた。いや、そのあまりの気持ち悪い特徴に感想を述べずにはいられなかった。
「お爺さん。あんた、どんな事をしたら、ここまで妖力が汚れるんだよ」
「痴れ者が。ワシに質問とは、随分と生意気じゃな」
「あぁ、質問するもの駄目なのかよ」
鯰のような顔をしている。特徴的な形状をしたはげ頭の老人で袈裟を着ている。目つきが悪く、気持ちが悪い程の巨大な妖力を秘めている。さほど腕力や奇術に長けているようには見えないが、それでもこの妖怪の恐ろしさが近距離で伝わってくる。
「陰陽師機関党首代理、相良十次だ。一般人を開放しろ、命が惜しかったらな」
「貴様、勘違いしていないか? ワシは確かに現界の一般人を襲ったが、別に人質の目的じゃないぞ。それに返せと言われても、もうどこにもおらんわい」
気色の悪い笑みを浮かべる。袈裟に染み付いている血痕から、襲われた一般人がどうなったか察しがつく。これは間違いなく最悪の顛末だ。
「殺したのか」
「喰ったよ。不味かったがね。捉えた獲物は一匹残らず喰った。仲間の妖怪たちと分け合いながら、皆で飯を囲んで、鍋でグツグツ煮込んで食べたよ。元々喰う為に捕らえたんだ」
人喰い。それは絶対に許されない禁忌。古来よりどの宗教でも、どの文化でも、どの国や民族でも、それだけは躊躇った。妖怪が人間を襲うなど、1000年も前の話である。江戸時代くらいで末期だったはず。悪霊との戦いが始まって、まだ悪霊が人間ではなく妖怪の姿をしていた頃の話だ。
「栄螺鬼、蛸入道、蟹坊主、朱の盆。コイツ等が悪鬼と化していたもの……。ここに集まった河童や塗壁、しょうけらみたいな妖怪も……」
「ワシが喰わせた」
許されない。この現代において、妖怪が人を殺すなど。差別的な意味合いではない。悪霊はともかく、妖怪までも一般人に危害を加えるなんて、人々に安寧を提供するはずの陰陽師が名折れだ。
「お前を操っている陰陽師はどこのどいつだ!! 出てきやがれ!!」
相良十次は血管が切れるにまでキレていた。もう理性が吹っ飛び、怒りの感情だけで我を忘れていた。
「余裕のない男だ。大声で叫びおって。まるで赤子じゃな」
「うるせぇ、クソじじい。俺はお前の陰陽師を絶対に許さない!!」
だが、取り巻きの陰陽師たちは誰も前に出てこない。全員が死んだような顔でコッチを見ているだけ。声も出さず、表情も変えず、ただ『ぬらりひょん』を囲むように突っ立っている。あの中にいる訳はないのか、どこか別の場所に身を潜めているのか。
「おい、相良十次。少し落ち着け。この中に恐らく『ぬらりひょん』の陰陽師はいない。というか、アイツは誰とも契約なんかしていない」
その言葉に驚くように相良十次は振り返る。声の主は、白神棗を山から下ろす任務で一緒だった、鶴見牡丹だった。彼女もあの凶悪な妖怪の物怖じしているのか、額から冷や汗がたれている。険しい顔つきで爺さんを眺める。
「契約をしていない?」
「少なくともアイツだけは誰とも妖力を分かち合っていない。この作戦は全てがアイツの独断だ。アイツは陰陽師の命令に従ったのではなく、自分の意思で現界の一般人を遅い、陰陽師を操って、同じ妖怪を誑かして、ここまでのぼせ上がっている」
妖怪が陰陽師を操る。その考えられない逆転現象に目を丸くせずにはいられなかった。全てが冗談のように聞こえる。そんな摩訶不思議な事があっていいのか。
「そうよね? お爺さん」
「いかにも。ワシはお前たちのような下等生物と妖力を分かち合うほど、落ちぶれていはいないのでな。妖力など使わずとも、人間などいくらでも操れる」
後ろの陰陽師たちは操られているだけなのか。確かに目に生気を感じられない。全員が麻酔でも吸ったかのように、アホ面であの爺さんの命令を待っている。
「妖力が濁っている。もう貴方は妖怪ではなく悪霊よ。悪鬼の類だわ。これで死刑確定ね。『妖怪の総大将』、ぬらりひょん!!」
「そう笑わせるでない。ワシが妖怪だろうが、悪鬼だろうが、そんな事はどうでもいい。キサマら陰陽師には死んで貰う。忌々しい五芒星も、党首候補である貴様も、新しく出てきた研究機関も。このワシが喰い散らかしてくれる。この戦乱の世を制し、新たにこの国を牛耳るのは、お前ら陰陽師ではなくワシら妖怪じゃ。お前たちはワシ等の餌で構わん」
「妖怪にも認知症ってあるのかぁ? そんなふざけた事が許されると思っているのかよ」
「出来るさ。陰陽師など妖怪の力を借りねば何も出来ない貧弱な生物。ワシが本気を出せば、後ろの連中もアッサリ魂が抜けてもうた。前党首が死んで、安倍晴明の世継ぎが根絶やしになった時点で、お前たちの天下も終わった」
「根絶やしになってねーよ。まだここに俺がいる」




