跳躍
矢継林続期は殺気立っていた。朱の盆の舌で舐めとる攻撃を高速移動で躱して、星のように輝く目を思いっきり蹴りつける。上空からの踵落としを浴びせた後に、身の纏う爆炎でこの身体を焼いていく。
「魂を吐くにゃあ。とっとと吐き出すにゃあ!!」
高い跳躍力を活かして、また上空へと飛び上がる。その瞬間に飛び上がる反動で顔面に穴が空くように足跡がめり込んだ。目潰しが効いている、まだ朱の盆は魂の煙の中に隠れる事が出来ない。今度は上空からの落下の勢いを合わせた飛び蹴りを、角の近くの眉間あたりに叩き込む。苦しむ鮟鱇を背に橋の上へと着地した。
「少しだけ吐いたにゃあ。でもやっぱり食べた物を吐かせるならば、胃を狙うべきだにゃあ」
追撃の手を止めない。次に橋の上に焦げ跡が残るほどの高速移動で朱の盆の顔面の先へと移動する。鮟鱇と表現した通り、朱の盆は四つん這いの状態で立っている妖怪だ。鬼とは言っても直立二足歩行とは限らない。だから腹部を狙うならば、朱の盆をひっくり返す必要がある。しかし、それは間に合わなかった。
「ちっ」
朱の盆がまた魂の中に逃げ込んでしまったのである。身体を攻撃不能の煙に逃がして自分は閉じこもる。硬い甲羅に守られていた栄螺鬼とは真逆の発想だ。自分自身を流動する気体の中に隠して、物理攻撃無効の存在となる。
「でも、別にお前が無敵になったわけじゃないにゃあ。私の拳が届かなくなっているだけで、この身体を貫通すればいいだけの話だにゃあ」
朱の盆は火属性の妖怪だ。矢継林続期とは相性が良くも、悪くもない。だが、相手が悪かった。矢継林続期は五芒星の1人であり、炎を操ることにおいては右に出る物はいないのである。
「押して駄目なら引いてみろ。火事で人を救いたくば、消防車を呼んで消火活動。で? 火事で誰かを殺したくば、火炎瓶を投げ込むんだにゃあああぁぁ!!」
朱の盆の触れても意味がない魂の煙に手を当てる。そこから自身の身に纏う火炎を送り込んでいく。まるで朱の盆の抱えている魂を増やしているように。
「…………ぐ、ぐ、ぐぐぐぐぐぐ、ぐぎゃあ!」
「そのまま黒焦げになって炭火にしてやるにゃあ。火属性の妖怪ならば多少の我慢は出来るだろうけど、それも時間の問題にゃあ。全ての魂が炎となって燃え盛る。互いが貰い火になって、炎は膨れ上がっていく。お前の罪は火傷じゃ済まないにゃあ!」
徐々に朱の盆の大きさが膨れ上がっていく。身にまとっていた魂が、今まで白かったのに、真っ黒な色へと変わった。燃焼している事が傍目からも分かる。明らかに内部の肉片を焦がしている。そこまで火の手が回ったのだ。
「矢継林続期ちゃん。ナイス、アイディアだ!!」
「このくらい凄くない。今まで思いつかなかった自分が情けないにゃあ。って、お前最後まで見ているだけだったにゃあ」
「え、ほら、僕は参謀だし」
「その仕事もやっているようには見えない……」
朱の盆は火達磨の状態で転げ回り、開門海峡の橋にまで炎が飛び火していく。現界の鉄橋とは違い、ボロボロの錆びた汚い橋なので、すぐに燃え広がる。だが、この飛び散る炎を、既に戦いを終えた倉掛百花が一瞬で消し去ってしまった。彼女が周囲の海水を巻き上げて橋の上だけに降り注いだのである。
「百花ちゃん…………。あの……」
「積もる話は後だ。さっさと、片付けろ。私もお前に相談したい事がある」
朱の盆はまだ死んではいない。転がりながら、橋の上から海へと滑り落ちるように落下する。自分の身体の炎をとにかく消したかった。身体が焦げてしまっては、本当に死んでしまう。それだけは避ける為だ。しかし、無駄な足掻きである。
まず、この行動により身体に纏っていた煙も一緒に消えてしまった。水の上に落ちていたのは、人間の子供の大きさくらいの小さな子鬼だった。この弱々しい鬼こそが、あの朱の盆の正体である。これでは何度殴っても攻撃が当たらないはずだ。奴の舌と角、そして一つ目は瓜二つである。奴は魂を喰らうことで巨大化する妖怪だ。
「きっと陸上に置けば、二足歩行するんだろうなぁ」
「呑気なものね。理事長先生」
渡島塔吾と倉掛百花の会話に、矢継林続期は加わらない。一心に朱の盆を食い入るように見ている。朱の盆は海の上で、まだもがき苦しんでいた。全身の大火傷に加えて泳げないようである。バタバタと足をバタつかせて、必死に手を伸ばして水上に頭を出そうとするが、浮上は出来ずに沈んでいく。
「あれ、溺れていない?」
「…………。悪い陰陽師に操られていただけ。元々はそこまで悪鬼じゃない。人々の魂を失った今の奴は、何の抵抗も出来ない無力な鬼。助けてあげる事は出来る」
理事長がゆっくりと諭すように呟く。目を瞑って祈祷するように。しかし、矢継林続期の考えは食い違った。
「いや、駄目にゃあ。そういう理屈や理由があろうとも、人殺しは重罰にゃあ。アイツは人を殺す快感を覚えた悪鬼に変わりはない。ちっとも可哀想じゃないにゃあ」
程なくして朱の盆は海の底に消えていった。力尽きたのだろう。喉を押さえて、あれだけ輝きを放っていた目を真っ白にして。倉掛百花は海底で朱の盆の心臓の鼓動が止まった事を、誰にも報告しなかった。これにて、開門海峡を襲撃した大型妖怪の全ての討伐が完了した。
明日からまた話を動かします




