激昂
声の主は倉掛百花が最も知り得る人物だった。竜宮真名子、柵野栄助が死体として、同じく死体の倉掛百花に混ぜ合わせた、本物の五芒星の水属性の巫女と呼べる人物。竜宮に長年も閉じ込められて、隠された存在として生涯を過ごすはずだった、倉掛百花の親友である。
「なんで声が出せる……。なんで今更、お前が……」
(あの子を殺さないで。悪い陰陽師に操られているだけなの)
「そんな……だからって本体がどこにいるのか分からないのに、アイツを止める方法なんかないだろう。このまま奴らを暴れさせたら……」
ここから全員で逃げるという話だろうか。この開門海峡が崩壊如きの騒ぎでは済まないだろうが、そんなのお構いなしに皆で戦場から逃げ出すとか。それともただの根拠の無い作戦だろうか。感情に身を任せて、バトル漫画の主人公のように、理屈や理論ではなく『自分がこうしたい』という願望を述べているだけだろうか。
(大丈夫。そんな真似はさせない。私に任せて……)
「任せる?」
急に倉掛百花の視界が暗んだ。目眩がして、頭痛がして、次の瞬間には得体の知れない何かを感じ取った。まるで自分の魂が外界へと引っ張られるように、引き剥がされるように、死神の背中側の服を引っ張られるような感覚で、自分の意識が身体とは確実に違う方向へと移動した。
「身体を返して貰ったよ。倉掛百花」
(……………………はっ、はぁ!?)
切り替わった。そこにいたのは明らかに目つきが違う女の子だった。佇まいも、雰囲気も、凛々しい姿も、微笑んだ表情も。今までの黒い顔つきの女の子とは違う。声も今まではとは違うのだ、明るくハツラツとした若いお嬢様の声になった。
すぐ近くにいた理事長は今までの逆テイストな馬鹿面を止めて、真剣な表情で倉掛百花を、いや竜宮真名子を見ていた。服装や容姿は全く同じなのに、そこにいる人物は完全に別物なのだ。
「栄螺鬼。私がすぐに海に返してあげるからね……」
海水に波紋が広がる。優しくて温かい波紋だ。そこには癒しの妖力を含み、今まで蛸入道と因幡辺の抗争のお陰で荒れていた海が、少しの波動もなくなる。
「私の名前は竜宮真名子。五芒星の水の巫女。その能力は『鎮静』。全ての感情の昂ぶりを沈めて、本来の姿に戻すこと」
いわば悪鬼羅刹強襲之構の真逆。相手を鎮静させ、振動を奪い、心を落ち着かせて動けなくする能力。竜宮真名子は優しい顔をしながら橋から飛び降りる、微笑んだ表情で水の上を歩き始めた。あまりに自然な動作だったので、理事長も大慌てしているが竜宮真名子は振り返らない。
「栄螺鬼は可哀想な妖怪なの。海に投げ捨てられて殺された。それが悲しいのよね。その心の昂ぶりを私が受け止めてあげる。だから、もう暴れないで。貴方を殺した人間は、もうこの時代には生きていないのよ。だから、怨念なんかに縛られちゃ駄目だよ」
(怨念なんかに……だと……)
竜宮真名子の殺され方だって想像絶する物だった。無関係な他人の家族の無理心中から巻き添えになって、包丁で腹を刺されて殺されたのだ。ようやく長年夢だった外界に出たのに、それで殺されたんじゃ世話がない。それでもコイツの腹の中には怨念が無いのか。
「悲しい気持ちは『怒り』じゃ収まらないよ」
遂に栄螺鬼と竜宮真名子が対面した。その大きな殻から、濡れた女が顔を覗かせる。竜宮真名子は全く臆することはない。優しい顔で、微笑む仕草で、哀れみ嘆き慈しみながら、手を差し伸べる。
「誰かを恨んでも誰も幸せにはならないよ。そうでしょう?」
まだ栄螺鬼の妖力は途切れなかった。今までの鈍間なスピードが嘘のように、中にいた女が激昂する。栄螺の突起が竜宮真名子を襲う。それを彼女は身体で受け止めた。
「どう? すっきりした?」
口から吐血し、腹部には突起が突き刺さっている状態で、尚も笑顔を絶やさない。痛みも震えも訴えない。
「してないでしょ? こんな事では貴方は救われないの」
(おい、死ぬ気かよ。なんで防御しなかった。悪霊の妖力を振りかざせば、へし折るくらい楽勝だろうが!!)
「貴方は黙っていて!!」
倉掛百花の申し出に、大声で反抗する。他人から見たら、さぞ意味不明な一人芝居だろう。しかし、彼女たちは大真面目だ。竜宮真名子は本気で栄螺鬼を救おうとしている。それを肉体の主導権が奪い返せない倉掛百花が、理解不能で苦しんでいる。悪霊の妖力を体外に出さないので、傷は治癒しない。カーデガンが鮮血で染まる。
「幸せってなんだろう。誰かを不幸にすれば得られる物なのかな……」
乙姫は思い出していた。もう何世代も前の古き記憶を。浦島太郎を恨んだ。自分を置いて元の世界に帰ると主張する彼を。もう一度会いたかった。だから玉手箱を使用した。あれは老化現象を引き起こす代物だと誤解されているがそうじゃない。霊界と現界の時の刻み方は同じじゃない。竜宮城で過ごした三年間は、人間界では300年の歳月だった。老人に変えたのではなく、元の姿に戻したのである。
「私は私を愛さない彼を恨んだ。でも、虚しい気持ちばっかり残った。彼は来世に鶴になった。初代は生まれ変わって亀になった。またお互いに巡り会えた。その瞬間が幸せだったと思う? 浦島太郎の物語には主題や教訓がないってよく言われるけど、主題ならあるんだよ」
叶わぬ恋に嫉妬した女と優しいだけの男に末路。
「人を呪わば穴二つ。誰かを恨んでも幸せになんかならない」




