布巾
現れた妖怪はぼろい布でできた竜のような姿だった。古い雑巾や布巾がこの妖怪に変化した物であり、龍の造形をしているが、金属性であり、付喪神の種類である。積極的に人間を襲う妖怪であり、体を覆う不快な粘液と全身から放つ悪臭で人を気絶させるという解説がある。一反木綿同様に人間を窒息死させる殺害方法も秘めている。
「あんな妖怪を持っていたのか」
近くにいた赤い鬼が金棒を持って現れた龍に突進する。まず頭から角で突き立てるが、ひらりと風に舞うが如く躱された。続けて金棒を胴体に振り下ろすが、棒で布を切れるはずがない。スイングした風によって靡いてしまった。、容裔という熟語は「風でものがなびく様子」を示す。この妖怪に単純な物理的攻撃は効かない。
「終いでござんす」
その鬼に長い身体を活かして顔に巻き付き締め上げる。視界が消えた鬼はあたふたと駆けずり回り、息ができない苦しみに耐えられず、必死に布を引き剥がそうとする。しかし、全く剥がれる様子はない。最後は橋の手すりから崩れ落ちるように、海の底へと消えて行った。数秒後に白容裔だけ帰って来る。
「ご苦労さんでござんした」
矢継林続期は考えていた。これだけの大型妖怪が橋に一斉攻撃を仕掛けたら、この場にいる全員が危険だ。敵味方を区別して攻撃できないだろう。つまり、今相手にしている奴らは捨て駒だ。よく見るとあの巨大妖怪が出現してから、他の陰陽師だけが陸地の北九州側に避難している。襲いかかってくる妖怪は殿として、食い止める為に戦っているようだ。
「にゃるほど。取り敢えず、私たちを捕獲するのが目的ではなく、殺す事を考えているわけね」
矢継林続期も、もう自分たちが安全には戦えない状況だという事実を自覚する。このまま奴らの作戦に嵌る訳にはいかない。猫又の三味線の音楽による幻覚で、周囲にいた河童や鬼の動きを止めて、肩や頭の上を飛び跳ねるように移動し、橋の外へ逃げようとしている連中を追いかける。
「逃がさないにゃあ!」
驚異的な身体能力で上空へと飛び、ミサイルのようにドロップキックを浴びせようとする。狙いは陰陽師ではなく、一緒に逃げている頭の大きい古着の爺さんだ。彼女の身に付けている草履に凄まじい爆炎が灯った。
「お前が指揮官なのくらい分かっているにゃあ!」
ただ攻撃は決まらなかった。姿を消した状態で、妖怪『塗壁』が待ち構えていたのである。最前列にいてキックを真面に正面から受けた奴は、身体が爆発するように破片が飛び散った。ただ奥の陰陽師たちは守り抜いた。
「邪魔が入ったにゃあ」
更なる塗壁の分厚い盾が立ち並ぶ。捨て駒作戦だ。自分たちが逃げ切る為に塗壁を利用しているのである。塗壁は習性から横からは抜かせて貰えない。いくらでも身体を伸ばして通せんぼする。ここを通るには全て打ち取るしかない。
「このままだと朱の盆と直接対決になるにゃあ。とっとと、陰陽師を仕留めるのが得策だけど……、こうも壁を並べられると厄介だにゃあ」
何を言っても塗壁はこの場を動かないだろう。この場に位置してはあの巨大妖怪と戦う事になる。いや、誰かが倒さなくてはいけない。だが、さすがに四匹は多すぎる。同時に相手にするには無理がある。拳に火炎を纏い、一番近くにいた塗壁に正拳突きをする。塗壁は物を言わずに崩れ散った。反動で矢継林続期の拳からは血が流れる。
「こんな時に百花ちゃんがいれば……」
戦って欲しくない気持ちはある。レベル4の悪霊である柵野眼が戦いを覚えてしまったら、それこそ党首復活を待たずして陰陽師は終わりだ。ただでさえ陰陽師に不満を持っている彼女が、これ以上の醜い現実を知ってしまったら、今度こそ人類を滅ぼすと言いかねない。それだけは避けねばならないと考えた。しかし……。
「アッシは蛸入道と交戦します。ソッチは雲のような妖怪をお願いします。それから……」
栄螺鬼と蟹坊主まで手が回らない。因幡辺が白容裔の背中に乗って迫り来る蛸の方へ突進して行く。自分もこれから朱の盆と対決しなくてはならない。だが、どう見積もっても時間が足らない。このまま幽霊列車に攻撃されて、眠れる獅子を呼び起こしてしまったら。取り返しのつかないことになる。
「私がコイツ等を瞬殺するしかないにゃあ……」
焦る気持ちが心を動揺させる。砕け散る壁は倒しても倒しても次が現れる。飛び越える事も、横から抜ける事も出来ない。この間にも陰陽師には逃げられる。いくら五芒星でもこの人数を倒しきるのは無理があった。しかも相手側はかなり入念に段取りをしていて統率されている。遂に矢継林続期の頭上に朱の盆が現れた。
「このままでは……」
幽霊列車の中で援護射撃していた絵之木ピアノが弱音を吐いた。妖力のテレパシーで全員に響き渡る。
「状況は厳しいにゃあ。このままでは……百花ちゃんが……」
「アッシも無念です。折角の切り札も……こうも囲まれてしまっては……」
文字通り絶体絶命。こうなる事が読めていたように、倉掛百花は両目を大きく開けた。列車から降りて自分も加勢しようと、ドアの取っ手を掴んだ。自分も戦うと決心した瞬間だった。もう、夜回茶道も絵之木ピアノも彼女を止めない。いや、状況から止められない。このままでは全滅する。彼女の力を頼らなくては。
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「あぁ、列車から降りなくていいよ。お嬢さん」




