絶頂
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土御門カヤノは喜んでいた。彼女は五芒星の土属性の巫女であり、党首をも上回る最高権力の持ち主である。そんな彼女だが、当然のこと竜宮真名子と倉掛百花が死亡する現場を同調で目撃している。あの底深い絶望をその身を持って体感した。だからこそ、彼女は喜びに満ち溢れていた。
彼女は暇だった。退屈だった、窮屈だった、億劫だった。日々の変わらない暮らしに。誰からも必要とされていないのに、ただ機械のように悪霊を倒すだけの毎日。社会とは隔離された世界で、一般人と極力関わりを持たず、古臭い屋敷で寝泊りして、悪霊が出たら倒して事件をひた隠しにするだけ。
代わり映えのない毎日。例えるならば朝ドラのヒロインのように天真爛漫でトラブルメーカーで暴れ回る義理堅い主人公などいない。昼ドラのように、禁断の愛に陥って不倫や家族騒動になってというドロドロした物もない。殺人事件なら目撃するが、それを警察に悟られる前に消すばっかりだから、その方面の刺激もない。都市伝説は火のない所から煙が出るから面白いのだ、煙の正体を知ったら面白味の欠片もない。
両親からは子供を産んで五芒星を安泰にしろ、そう言われて育った。いつ何の役に立つか分からない、そんな役職に付いたって面白くなかった。五芒星に就任してから、何度も陰陽師の世界が崩壊すればいいのにと思っていた。前党首である阿倍清隆に何度かお会いしたが、本気で暗殺を考えた事もある。悪霊に殺されたと聞いた時には心底喜んだ。本部が崩壊して、山積神陰陽師機関の今まで味方だった人間が狂ったかのように暴れだした。最高指揮官を失って機動を失った機関は内乱に内乱を重ねた。その連中が建物を壊す姿を喜んで見ていた。
自分の役目が果たせる。この世界に自分の意味を持たせられる。自分が主人公の物語がこの瞬間から始まる。この腐りきった陰陽師の社会を立て直す為に、地方の名乗りを上げた陰陽師を次々に倒して、その度に面白い奴を仲間にして、散り散りになった過去の仲間などとも戦って、そんなワクワクする物語を思い描いた。そんな最中に安倍晴明の子孫と蘆屋道満の子孫が生きている事を知った。もう順風満帆この上ない。
彼女は退屈から開放されたのだ。
「この世界は巨大で偉大で壮大だ。劇的で神秘的で神々しい。私は今、絶頂の中にいる」
倉掛絶花は半分くらい気が狂っていた。天羽々斬を大きく振って寝静まって動かない八岐大蛇に斬りかかる。例え何度切り刻んでも奴は起きない。飲んだくれのオッサンのように鼾をかいて鼻提灯まで膨らませている。そんな間抜けな大蛇に容赦なく刃先を切り込んだ。面白いように切れる。腕に力など入れずとも真っ二つになるほどだ。通常の蛇の鱗の方がよっぽど硬度がありそうだ。前に大百足との戦いで経験した感覚とは真逆だった。
「これで三匹目だ。こんだけ大きいと一匹を切断するのにも一苦労だな」
絶花の黒い学生服が血まみれになっていた。八岐大蛇を切った時に生じる物である。まるでワインの樽を切ったかのように、ズルズルと流れ込んでくる。痛々しいまでの出血の量だが八岐大蛇は絶対に起きない。完全に首と胴体を切断するまでにかなりの時間がかかる。一匹に一時間程だ。当然、休憩時間などない。血液に毒が混入している可能性も考えたが、三匹の首を切断しても動けている所を見ると、この辺の血は大丈夫なのかもしれない。
「切れるのはこの天羽々斬だけ。他の剣じゃ枷にならない」
絶花は汗だくになっていた。スサノオと違い神格化された筋力など持ち合わせていない。次々に首を切り落としたいのだが、頭にベットリとこびり着いた鮮血が前髪から滴り視界を悪くする。精神的、肉体的な限界を感じていた。腕が上がらない、足が震えている。いつ八岐大蛇が目を覚まして反撃してくるか分からない恐怖と、荷重労働から精神は確実に摩耗していった。途中から声で出なくなり、ただ我を忘れて放心状態で剣を振り続ける。この天羽々斬が絶花の妖力を奪っていくのだ。
こんなに苦しいのに、考える脳だけは止まない。姉のこと、陰陽師の未来のこと、親父のこと、嫌われ者の自分のこと。それをぼんやりと考えて、それを声に出さず、ただ憎しみを込めて振り下ろす。それを繰り返す。何度も何度も。八岐大蛇は土地と合体した妖怪である。だから途中から自分が何を切っているのか分からなくなる感覚があった。天羽々斬の切れ味の良さと八岐大蛇そのものの巨大さからである。自分が土を切っているのか、木を切っているのか、川を切っているのか、それとも空気を切っているだけなのか。そんな事も分からなくなった。
無の境地に達している絶花を見て、土御門カヤノは喜んでいる。彼女は他人の思考を読む能力がある。だから絶花が何を考えているのかよく分かる。取り留めない絶望を抱えているのは絶花も同じだった。あの倉掛百花と照らし合わせて二度美味しいと言った感想である。どこまで楽しませてくれる、そう言った感想を抱いていた。




