鋼鉄
八岐大蛇は夢中で酒樽に喰らいつく。八つの山脈を形成し七つの谷を形成する超巨大化物が、美味そうに大樽の中の液体にありついている。この奇妙な光景を眺めながら、絶花は唖然とした顔をしていた。心臓が高鳴り、鼓動が早くなっているのを感じる。体中からこの一寸先の見えない闇をぼんやりと眺めるしかなかった。
「あの酒は上物なのか?」
「いえ、最安値です」
「大丈夫なんだよな、酔いどれて寝てくれるんだよなぁ。これで奴が酔っ払って暴れ出したら洒落にならないぞ」
「伝承を信じるしかありません。最終的には肉弾戦になるかもですね」
頭と尾はそれぞれ八つずつあり、眼は赤い鬼灯のようである。その真っ赤に染まった目が樽から少し見え隠れする度に、背筋が凍る感触になる。奴の背中には松や柏などが生い茂る。その辺いったいの山々を取り込んだからだ。その山に在住していた妖怪たちが洪水に巻き込まれないように逃げ出している。
「…………」
「妖怪に同情している暇はありませんよ」
次の瞬間に信じられない光景を目にする。八つある顔の一匹がコチラに気がついたのだ。顔は真っ赤に染まっており、すぐ酔っ払っている事が確認できた。奴は首を少し畳むように折り曲げて、高熱の火炎を放射したのだ。慌てて左方へと回避する。幸い距離が遠かったので直撃は免れたが、熱風を肌で感じ取った。
「おい、複合属性って言っても水・土・木だけじゃなかったか? 火属性の攻撃も出来るのか」
「文献にこんな攻撃手段はなかった……」
奴は小蝿を払った程度の動作だったようだ。払い除けるとすぐさま酒樽に顔を埋める。戦闘の意思がない事を確認しホッとするのも束の間だった。
「死んでいる……」
逃げ惑う地面付近の妖怪が死んでいる。さっきまでは外傷など無く、威勢良く逃げ回っていたのに。
「原因はあの濁った川かもしれません。あれはただの血液ではなく猛毒なのでしょう。あれが外傷なく死している原因かもしれません。近づこうと思わないでください。観察したい気持ちは分かりますが二次被害は避けねばなりません」
火炎、猛毒。今まで知り得なかった情報だ。地殻の深部にあったマグマを吸収して放出したとしたら、スサノオと戦った場所がたまたま火山ではなかっただけだとしたら。気になっている情報は他にもある。八岐大蛇が天叢雲剣を構築した事である。スサノオは天照との仲直りの印に、天叢雲剣を献上した。それがきっかけで、出雲国は古代製鉄文化を象徴する。八岐大蛇がもし鋼鉄を作り出す能力を持ち合わせているなら、その先輩特許は金属性だ。つまり八岐大蛇の倒し方を記した文献は少々情報不足だった。
「複合属性は三種類じゃない。奴は全ての属性を操る。全ての属性を司る。まさに天照の生まれた時期の妖怪だ。まだ属性が分裂する前の、全ての妖力を秘めた土地と合体する妖怪。これが、八岐大蛇だったんだ」
不気味な灼眼の目の光が絶花の心を揺さぶった。桁外れ、規格外。知れば知るほど気が遠くなるような化物だ。こんな奴を倒さなければ姉を救えないのか。倒した所で姉を救えるか分からない。
酒を飲む八岐大蛇を驚いた表情で眺めていた絶花に対して、土御門カヤノは至極ご機嫌である。少し楽しそうに頬を緩めては、鼻歌混じりに顔を揺らし、時々クスッと微笑む。ちなみに彼女の異常行動は絶花には見えていない。後方に座っているのもあるが、絶花が彼女の事を気に掛ける余裕がなかった。
「さぁ、面白くなってまいりました」
「これっぽっちも面白くねーよ」
御札から金切り声が聞こえる。今は不必要だと思い御札に締まっている唐傘お化けだ。直接脳に話しかけてきた。
「絶花さま。やはり八岐大蛇の討伐は不可能だったのでは。酒で酔わせれば勝てる相手とは思えませんよ。ここは御門城に戻り一旦体制を整えてから軍を率いて参りませんか? ゆくゆくは姉君のお力もお借りして」
「お姉ちゃんを倒す為にこんな無茶をやっているんだぞ。今更、お姉ちゃんに泣きつけるか。そもそも八岐大蛇を無断で復活とか、打ち首で済む重罰じゃない。いくら腹を切っても足りねぇよ」
「その辺は大丈夫。党首よりも権限の高い五芒星がここにいるから」
「アンタ……余裕だな……」
困り顔の絶花に楽しそうにグッジョブを見せる土御門。そもそもこの人、戦闘中なのに巫女服を着用せずに、いまだに真っ黒のライダースーツのままだ。もうやる気があるのか問い質したいレベルで意味不明である。
「それに、私たちだけで勝てると思うよ。上空にいれば毒の影響は無いし、火炎攻撃も回避できる。そもそも奴は私たちに興味がない。このまま寝込むまで酔わせて寝首をかけば、それだけで勝利が手に入る」
「相手は不死身じゃないのか? 無限に復活されたら」
「それも文献ごとに違うんだよね。もしかしたら、それもデマかも。まぁ、どの物語も倒すとこまでは出来ているから、全てを切り刻めばいいでしょ」
遂に八岐大蛇の中央の一匹が顔面から地面に倒れた。眠り込んだのである。まさかこんなアッサリと成功するなんて、あまりの拍子抜けな難易度に今までの自分の緊張が馬鹿みたいに感じた。




