大成
悪霊は私になった。悪霊の習性など皆無に知らないし、今の状況で何を確信を持てるわけもないが、それでも私の目には私がいる。鏡の前にでもいる気分だ。
「倉掛百花。女子高生。一般人。人間。学生。地球人」
自尊感情がない者は自分自身に嫌悪感を覚えるのだと言う。漫画でも『自分を嫌いにある』なんて台詞はありふれている。奴がどうして私になったのか、露ほども理解できないが、無理やり考察するなら、奴は私が一番に怯えるものになったのではないか。
化物でもない。怪物でもない。無機物でもない。私になったのだ。
「レベル3が全滅した。柵野栄助は……いる……が、いないか。どうやらエネルギー単位までバラバラにされたか。どうも私は生まれてくる時代を間違えたようだ。三ヶ月ほどな」
私にはなにを言っているのか皆目検討がつかないのだが、奴は空を見上げて憂うような顔をして、静かに涙を零した。
「柵野栄助。我が偉大なる母よ。安らかに眠れ」
脈絡が読めない。私の両足が正常に作動するなら今すぐにでも、背中を向けて走り出したいのだが、それが出来ないこの状況だから厄介である。
八月下旬の炎天下、熱が篭った森林と石畳に跳ね返る太陽の熱が私を苦しめる。今の私の額から流れる汗が冷や汗なのか、純粋な体温調節なのか、もう分からなくなっていた。
「我が母は大成をなした。多くの兄弟を生み出し、多くの同胞を復活させ、陰陽師と最後まで戦った。偉大なる悪霊である。だが、その完璧さ故に『反逆者』も複数いた。裏切り者の面来染部。期待に沿えない綾文功刀。役立たずの久留間点滅。行方不明の音無春菜。各々が各々の末路を辿った。では私はどうするか」
その悪霊は爪を齧る動作をした。まるで子供のように、みっともなく。私という赤の他人がいる前で。
「私が為すべきことはなんだろうか。母の仇討か、社会の掌握か、人類との交戦か。否、私のすべきことは……『知識を貪ること』か。全ての正論を超越し、己の証明を飾り、誰よりも独善的になる」
分からない、こいつがなにを言っているのか。
「唐傘。どうにかできないの? あいつ」
「そう言われましても、私にはとてもレベル3の悪霊は手に負える相手ではないので」
レベルがあるのだろうか。では、今回の作戦で仕留める予定だった奴よりも、こいつは強いということか。一般人の私には然程危機的状況は変わらないのだが。
「レベル3の悪霊には必ず個性のようなものがあります。やつもきっと」
何やら意味の分からない事を豪語していた私そっくりの悪霊はこっちを向いていった。
「私の名前は倉掛百花。歴史の教科書になる女だ」
意味不明な自己紹介をされた。歴史の教科書……そんな物は中学卒業と同時に今までの苦しみと怒りを込めて、学校の教室のゴミ箱に捨てた記憶ならあるが、そんなものになんの価値が有るのだ。どうして目の前の私はそんなものになろうとしている?
「さて、じゃあオリジナルを殺しておこうか。成りすませるとは思えないが、まあ同じ人間が二人いるのは不愉快だからな。殺しておこうか」
これだけ場の空気のテンションを下げておいて、結局殺すのかよ。もうこいつは随分と自分勝手だった。取り敢えず持っていた折りたたみ傘を奴に向けた。弟の話から、唐傘お化けで対抗できる相手ではないとはわかっている。あいては悪霊だ、それも何やら様子が違う。
「いや、それで抵抗しているつもりかよ」
「あんたに勝てるなんて思っていないわよ。それでも、あの馬鹿がこっちに来るまで時間が稼げれば。それで私を助けてくれるはず」
「助けには来ないと思うよ」
奴が冷たくそう言い放った。そうすると私の傘を見て、クスッと笑った。
「だって私は悪霊の妖力をまだ見せていないもの。私の能力は『変身』。いわば何にでもなれるし、見れば全てを映像的に奪える。どんなナノサイズにでもなれるし、どんな複雑な物にでもなれる」
かのダーウィンが言った。この世で最も生存力が高い生物は、強い生物でも、賢い生物でもない。状況の変化に合わせて自らを適応させることにできる生物だと。
「ただ弱点がないわけでもなくて。変身なので『良いとこ取り』が出来ないのですよ。変身した相手が蟻なら、私は蟻の馬力した持てなく、体のそこの眠る妖力を発動させない限りは、あなたと互角の勝負しかできないという話です」
一瞬、自分の目を疑った。さっきまであるはずがなかった、私と全く同じ折りたたみ傘を錬成していた。くそう、変身とか言いながらあんな真似までできるのか。
「でも、あなたの言葉を鵜呑みにするなら、あなたは私を殺せないわね。妖力を使えば仮に私は殺せても、山の頂上の私の弟に気づかれてあなたは死ぬ」
「えぇ、ですから妖力を使いません。ですが果たして本当に互角でしょうか? 私は悪霊です。あなたは人間だ。殺人という観点において初心者であり、一人前に罪悪感を持ち、恐怖による抵抗が有るあなた。その傘を本気で振れますか?」
「自分の命を守るためならするわよ」
腕が震えているのを見て奴が嘲笑した。確かに奴が思っている状況になるかもしれない。まるで条件が同じになって勝機が湧いたようなシュチュエーションになっているが、私にはどうも状況は悪化しているようにしか思えない。まるで変身能力をテストしているかのような。