旅館
旅館の入口で他の小隊のメンバーと合流した。本当にただはぐれただけと分かると一気に緊張感が取れたように安堵する。その後、自分の深読みし過ぎの無能さにがっかりした。霧を湯気と間違えるとか、アホとしか言い様がない。注意力散漫な自分の弱みを反省すべきだと自覚した。
相良十次は複雑な気分だった。女湯を覗くなどそんな気持ちは微塵も無かったのに、思いっきり腹部を殴られて、その上で印象すらも悪くなっているのだから。自分が党首として五芒星に認めてもらえるか、本当に不安になってくる。
「遠路遥々(えんろはるばる)ご苦労様でした、新しい党首様。お待たせいたしました」
小隊の全員は式神に連れられて旅館のような場所へと連れて行かれた。この地は陰陽師が利用する別荘のような場所であり、また鍛錬をする施設でもあると説明を受けた。基本的に一般の陰陽師も受け付けているようだが、最近は修行僧のような旅人は現れず、全ての鍛錬を地元内で完結させてしまうので、この施設は廃りかけているらしい。
だが、旅館の内部は綺麗に掃除してあった。さっきから旅館の従業員の姿が全く見えないことから、ここの雑務をこなしているのは式神だとはっきりする。さすが群集型の妖怪だ、隅々まで掃除が行き届いている。だが、旅館の女将は人間だろう。ソイツが五芒星である可能性が高い。あの後に鶴見は湯船にした女性を確認せずに真っ直ぐ式神の誘導に従って旅館に移動したので、結局は彼女が白神柄杓かどうかは確認出来ていない。
「こんな僻地にある旅館に来る奴なんか、今の時代にはいないだろうな」
「え、でも温泉はいい感じだったよ。後で入ってもいい!? 汗を流したかったの」
「白神柄杓との交渉が終わったらいくらでもどうぞ。」
『天狗の奥庭』と呼ばれる客室間に案内された。おそらく一番豪華な、ボロ旅館だとは思えないほど美しい部屋である。高級そうな習字や陶磁器が置いてあり、机も座布団も鮮やかな黄緑であり素人から見ても超一流だとはっきり分かる。畳も新品同然のような一点の汚れもなく、天井からの証明の光を反射している。障子の外の景色は、小さな池を配した天然の庭園である。こんな旅館にただの観光目的でやって来たらいくらお金を取られるか分かったものではない。
登山中の疲れなど吹っ飛んだかのように嬉しそうな顔でソワソワしている鶴見牡丹。その姿を横目で見つつ、興味無さげに頬を拳に乗せて胡座をかいて到着を待つ。重要な話なので、この小隊の中で最強である鶴見牡丹だけを護衛として残し、残りは別室に移動してもらった。
「なんかここまで凄い部屋だと落ち着かないな」
「ここまで来たからには旅館を思いっきり楽しもう! さっき式神に聞いた話だけど、少し歩いた所に滝があるんだって。魚釣りとかも出来るらしくって、釣竿はタダでレンタルしてくれるらしい。あと、卓球台もしっかり完備されていて」
「お前、仕事する気あるか?」
ここには遊びに来たのではない。五芒星との党首任命の件を話し合いに来たのだ。浮かれた気持ちでいて貰っては困る。と、再三言い聞かせようと思ったが、鶴見の顔は一件が片付いたら勇み足でこの部屋から出て行って、旅館を満喫してやるという気迫が顔から伺える。もう声をかけるだけ無駄だと察し、相良の方が折れた。
「お待たせしました。白神柄杓様にございます」
妖精である式神の若い子供のような声が聞こえた。より一層気を引き締める。この交渉に日本の運命がかかっているのだ。だから…………。だから…………。
その心構えが一瞬で吹き飛んだ。鶴見牡丹も目を丸くして言葉にならないように驚いている。相良十次も座布団からひっくり返って驚いた。白神柄杓の容姿というか年齢にである。
「とぉしゅ様。これは、これは、こんな田舎にど~も、おいでなさいました」
「お、お、お婆さん!?」
そう、白神柄杓のイメージはまるで違っていたのだ。竜宮真名子や矢継林続期の容姿を見て勝手に、若い高校生くらいの女性だと勝手に決めつけていた。だが、実態はまるで違った。目は閉じたまま開かない。杖を付いて立っているが今にも転げそうで、思わず手を差し伸べたくなるほどだ。手も顔もシワだらけで、着ている灰色の着物もお年寄りを連想させる。髪は簪で綺麗に結ばれており、とても気品高いお婆さんというイメージだ。
「どうやら温泉で見た女性は別人だったみたいだね。あんなシルエットなはずないし」
「そうだな。というか、このお婆さん。下山できるのか? 五芒星に全員集合して貰わないと困る。最悪は残りの四人をここに集める決断をする事になるぞ」
小声で鶴見と話し合う。最初は二人共、声も出ないほど驚いていたがようやく現状を飲み込めた。五芒星が若い女性だなんて、そんな道理は無いのである。別に驚くような話では無かった。強いて言うなら、あの爽やか役立たず理事長は、こんなお婆さんを緑画高校に入学させようとしていたと思うと、思いの外滑稽だ。
「ゴッホっ!! うっ、ゴッホ! あぁ、ううう」
「お婆さん、大丈夫ですか!!」




