妖精
いくら単体で非力な妖怪と言っても、ここまで群衆しているなら油断は出来ない。彼らも攻撃手段が無いわけでもないのだ。妖精と言っても侮るなかれ。家畜を全滅させたり海で船を沈めて溺死させるなど、恨みを買えば徹底的に祟られると伝えられる。この東北地方で有名な妖怪として座敷わらしという妖怪がいるが、あの妖怪と同じで呪われると家が滅びるとされるのだ。スピリチュアルな問題など発生されては困る。今から陰陽師の党首となろうとする相良十次がお家崩壊など洒落にならない。
「というか、普通に出てくるなら座敷わらしだろうが。なんでお前たちなんだよ」
相変わらず噛み付くような際どい口調で喧嘩を売る。しかし、妖怪達には戦意はないようだ。少し怯えている個体もいるくらいである。襲ってくる気配など微塵もない。むしろどうにかして会話をしようと数匹が木の上から地面に降りてきた。
「それでお願いってなに?」
眉間にシワを寄せて鬼の形相を止めずに警戒する相良十次を放っておいて、鶴見牡丹が腰を下ろして気軽に話かけた。
「はい。実はこの地はとても神聖な場所です。あなた方が陰陽師なのは分かります。今のご時世が乱世なのも存じておりますが、ここで暴れるのだけは勘弁して頂けないでしょうか」
「うん。私たちもこんな山奥で喧嘩をしに来たわけじゃなくてね。実は白神柄杓さんに、ちょっと要件があって来たのだけど。そこの男は見た目は目つきの悪い学生だけど、実はあの安倍晴明の御子息なのです。だから、五芒星の彼女に挨拶に来たよって、事情を全部話しちゃった」
いきなり全部を口をするなと言おうと思ったが、これ以上に怒声を浴びせると自分の党首としての株を下げると思ったので、我慢して黙る選択肢を選んだ。だが、歯ぎしりをしながら我慢に耐えている姿は極めて怖い。
「党首様が直々に!! これは大きい事態になりました。すみません、今すぐには姫にはお会い出来ません。あと、小一時間は待ってくれませんか。党首様をお待たせするなんて恐れ多いのですが」
どうやら相良十次を党首と認めないと言っている奴ではないのははっきりした。どうやら山奥で情報が満足に届いていなかった機関なのだろう。敬う姿勢を見せているという事は、この熱風や霧はトラップでもないらしい。予想するに侵入者を避ける防壁のような機能だろう。
「いや、待てない。すぐにでも会うぞ」
「お待ちください。本当に申し訳ありませんが、待ってくださいまし!!」
手前にいたコロポックルが可愛らしい悲鳴をあげる。総勢150匹以上の精霊が慌てるようにジタバタと地面や木の上で歩き回る。頭を抱えたり、壁に頭をぶつけたり、驚きすぎて声が出なくなっていたり。攻撃の意思など見えないがこの狂乱は凄く歪だ。
「いいから居場所を教えろよ」
「うわっ、おい。ちょっと相良!! こっちへ来るな!!」
「なんだ、白神柄杓がいたのか!!」
来るなという鶴見牡丹の発言に、相良十次は彼女の方を向く。彼女に外傷は見えないが、何か幻覚や特殊攻撃を受けたのだろうか。俺を巻き込ませないように、払い除けているのだろうか。そう考えた相良十次は彼女を救う為に忠告を無視して手を伸ばす。
「馬鹿っ、来るなって!!」
「なんだっ、何かされたのかっ!! 今助けるぞ!!」
「何もされていない!! いいから来るなって!!」
散々の忠告を無視して相良十次は鶴見の方へと向かう。彼女は手を大きく使って近づくなというポーズを取るが、なかなか聞き入れて貰えない。その場にいる妖精たちはパニックによりお祭り騒ぎで、泣き出す者や、必死に相良のズボンの裾を引っ張る者もいる。まあ、何の役にも立っていないが。
彼女の視線と同じ位置に達して、ある光景を目に写し、瞬間的に相良十次はこの空間の正体に気が付く。頭に電撃が走ったかのように、今までの違和感が全て取り払われた。この霧は『霧』ではない、『湯気』だ。この熱気はこの近くに存在する温泉により生成されている物だ。
白神山地は有名な温泉のある地として知られる。その名前を不老不死温泉と呼ばれる有名な露天風呂だ。こんな山奥にも湧き出ているとは思わなかったが、ここが陰陽師により存在を消されている地で、巫女がその身体に残る汚れを払うのに使われているお湯だと仮定するのであれば、十分に考えられる。確かに天狗岳の近くにも温泉地は存在した。
「待てよ。じゃああの裸体の女性って」
「死ね、この変態がぁ!!」
湯気で全く奥の景色など見えず、シルエットくらいしか見えなかったのだが、鶴見牡丹の容赦のないボディブローが炸裂し、相良十次は腹を抑えたまま変な声を出してその場に倒れた。鶴見は一仕事を終えたような爽やかな達成感を自慢気な顔に示していた。コロポックルとキジムナーの惜しみない拍手と爽やかな声援が飛び交う。
「党首を腹パンして気絶させちゃったよ……」
冷静なコロポックルが冷めた一言を言ったが鶴見牡丹は気にしない。これで党首の面目も丸つぶれだと思うのだが、まあ女湯の覗きにならなかっただけでも、党首の名誉を守ったと言えるだろう。
「どうしたんですかぁ? 誰かいるんですかぁ?」
★
「党首様。申し訳ありません。ここからは女湯という看板が見えたので、全員でここで待機しておりました。大声で呼びかけたのですが、お二人共足が速くて、全く振り返ってくれなくて」
「いや、そこは全力で引き止めろよ!! 危うく覗き魔だと思われる所だったぞ!!」




