駱駝
結果から先に言おう。私はこの事件から逃げ出す事など出来なかった。
「お前は……」
「またお会いしましたね……倉掛百花さん」
お会いしたくはなかった。帰り道の石階段。私はもう見たくもない奴の顔を見てしまったのだ。須合正樹という男。私が一人で会場が始まるのを待っていた時に、勇敢にも喋りかけてきた男である。
それだけでは警戒まではしないのだが、こいつにはちょっと嫌な思い出がある。得体の知れない『何か』がある。私を強引に引き止めたあの手には、セクハラ根性や無神経さよりも、もっと感じてはいけない何かを感じ取った。
逃げた悪霊はこいつか、それとも……関係のある何か……。私よりも悪霊を熟知している、唐笠でも結果は判別不明だった相手を、私が何者なのか特定するのは不可能に近いが、それでも……こいつが一般人じゃないのは分かる。
「やっぱり悪霊なのか……こいつ……」
今回の弟が倒した悪霊は女性だった。死後婚から考えて、相方は男である可能性が高い。婚約者はこいつだったのか?
「そう怯えないで下さいよ。取って食べたりしませんよ」
今のはセクハラだろうか……。
「今日はとっても楽しい一日でしたが…‥まだ少し時間があります。ですから……私と一緒にデートをしてくれる女性を探しているんです」
「この季節ですし、ナンパならビーチとかに行って下さいよ。私は生憎、あなたには興味がないので。これで失礼します」
逃げなければ、それだけが脳裏を過ぎった。このまま会話をしてはいけない。こいつと親密な関係になってはいけない。この男は……危険だ。
「ねぇ、倉掛百花さん。つかぬことをお聞きしますが、この世でもっとも体のパーツが他の動物で出来ている『神獣』ってご存知です?」
……弟じゃあるまいし、神獣の明確な定義を知らない。西洋には合成獣という怪物がいるのは知っている。顔と胴体がライオンなのに、尻尾が蛇になっているという奇妙な生き物だ。そういう動物だろうか?
「……難しいですか。ではお答えしましょう。『龍』ですよ。意外だったでしょ? でもこれは世界的に見て、事実なのです。西洋のドラゴンではありません。中国に伝わる最大にポピュラーな神獣が、まさか世界最大の合成獣なんです」
……興味ない。そんな話を現役女子高校生にされても……お門違いだ。
「まだ納得されていないようなので、私から何がどう合体しているのか説明させて頂きます。頭は駱駝、角は鹿、目は鬼、耳は牛、項は蛇、腹は蜃、鱗は鯉、爪は鷹、手のひらは虎。この九個のパーツに髭と顎の下の宝珠を持って、『龍』という生き物は完成します。つまりは伝説上の生き物でありながら、原型は人間世界の産物を模していたという事です」
それが……どうした……。そんな無駄知識が私にとって何の役に立つだろうか。トレビアが好きな人間は多いが、私は特に興味がない。陰陽師絡みのネタなど、今はむしろ聞きたくないくらいある。
「だからお前は誰なんだよ」
「その……龍の子供です」
……妖怪。妖怪なのか……。
「今回の僕の目的は『復讐』です。因縁の対決に決着をつける為に、私は今すぐすべきことがある」
復讐……私の弟にだろうか。妖怪なんて始めて出会った訳ではない。この折り畳み傘も同様に、あの化鯨も妖怪なのだろう。
「私の弟に恨みでもあるの?」
「恨みがあるのはあっちの骨だけ鯨の方ですよ。私とは深い因縁の関係でね。私がこの世界に名立たる名声を馳せたのも、奴のお陰なんですよ。まあ、深海の奥底に沈む羽目になりましたが」
名声を馳せた? 私は龍という生き物に子供がいること事態を知らなかったのだぞ。
「おい、唐笠。あいつって……そんなに凄いの?」
「凄いも何も……鯨と戦った龍の息子なんて……あいつしかいませんよ。『龍生九子』の中で、『吼える』ことを司る神獣。龍という形状そのものを受け継いだ、二匹の中の一体……」
「そう。俺の真の名前は『蒲牢』。龍の息子である九匹の中に一匹さ」
知らない……心の底から知らない……。
「あの……お嬢さん。知らないの? 確かにここは俺の地元からは離れている島国だけどさ……。俺みたいなビッグな名前を知らないなんて……」
「ごめんなさい。妖怪とか陰陽師とか……興味ないから」
なんだか、こいつが自分が妖怪だという事を暴露してから、だんだんと態度がでかくなっている気がする。
「俺ってさぁ、咆哮を司る妖怪だから…‥神社の鈴とかに、俺の絵が装飾されているのが多くあるんだぜ?」
「そんなに頻繁に神社なんて行かないから」
「実は腕時計のゼンマイ巻きの装飾にも、俺のイラストがあるんだ!! ほら、『竜頭』って一般用語があるだろ。それって実は俺の事を言っているんだ」
「ゼンマイってさぁ。今時の腕時計はデジタルだから……。『竜頭』なんて単語は始めて聞いたし」
私のこの台詞の後に長い時間の沈黙が続いた。